【遠藤のアートコラム】「高山寺の至宝 明恵上人の信仰世界が残した美」vol.3 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

文化家ブログ 「轍(わだち)」

美術や紀行、劇場や音楽などについて、面白そうな色々な情報を発信していくブログです。

引き続き遠藤がお届けします【アートコラム】。
5月は、現在東京国立博物館・平成館 (東京・上野)で開催中の特別展 「鳥獣戯画 ―京都 高山寺の至宝―」の作品をご紹介しながら、高山寺に伝わる貴重な作品群の由来をお届けします。

※1 国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 (部分)

artColumn15May3-1


―菩薩如来の微妙の色身を愛して菩提心をおこす、これすなはち親愛の菩提心なり。
 いはむや軽毛退位の凡夫有徳の人において、愛心なきはすなはち法器にあらざる人なり―


上記は、国宝《華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん) 義湘絵(ぎしょうえ)》の詞書(ことばがき)の一部で、義湘(ぎしょう)という美しい僧に恋をし、仏法の守護神となった善妙(ぜんみょう)という女性の話に続く一文です。

菩薩や如来の美しい姿を愛して、仏道に進む志を起こすことは、「親愛の菩提心」といえる。ましてや、菩薩の位ももたない毛のように軽い身であれば、凡庸な人も徳のある人も、愛する心がなければ仏法を受け入れる素質は無いというような内容です。

国宝の絵巻《鳥獣人物戯画》で有名な高山寺に伝わる、もう一つの国宝絵巻こそ、国宝《華厳宗祖師絵伝》です。

この絵巻は、古代の朝鮮半島にあった新羅国における華厳宗の祖、義湘(625-702)と元暁(617-686)という二人の僧について描いたもので、《義湘絵》4巻と《元暁絵》3巻から成ります。

どちらの物語も、ともに求法のために唐へ渡ろうとするところから始まります。
旅の途中、二人は塚に泊まります。しかし、洞窟で一夜あけると、実はそこは骸骨が散らばる墓場でした。ぞっとしますが、嵐のために仕方なく二人はもう一泊。すると、夢に恐ろしい鬼が現れて二人を襲おうとしました。
そこで元暁は、只の塚だと思えば安心して寝ていたのに、墓場と知ったとたんに鬼に襲われた。全ての物事は自分の心から生じるのだから、心の外に仏法はないと思い直し、新羅にとどまることにするのです。

ここから二人は分かれ、それぞれの道を行きます。

上記の作品は、無事に唐に渡った義湘の物語の一場面です。
義湘が入唐の途中に物乞いをしていると、善妙という美しい娘がその姿を見て恋に落ちてしまいます。

しかし義湘は、自分は衆生のため、仏道に命を捧げた身の上だから、あなたの恋には応えられないと、仏の道を説きます。すると善妙は道心を起こして仏法に帰依。生まれ変わっても義湘に影のように添いお護りしようと泣く泣く語ります。

※ 国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 (部分)

artColumn15May3-2

無事に法を修めた義湘は帰国の途へ。それを知った善妙は港を目指しますが、義湘を乗せた船はすでに出帆した後でした。

嘆き悲しむ善妙は供物を納めた箱を、船まで飛んで行けと念じて海中へ投じ、自らも海へ身を投げてしまいます。

すると、彼女の姿は龍に変わり、義湘を乗せた船

artColumn15May3-3

を護って本国へと無事に送り届けたのです。

その後も善妙は、大きな石となって飛び回り雑学の僧たちを追い払って、義湘が華厳の道場を建てる助けとなるなど、身を変じて義湘を守護し、ひいては仏法の守護神となったのです。



※ 国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 (部分)

この絵巻の製作には明恵上人が関係していると考えられています。
明恵にとって義湘は憧れの先輩。そして、女性に慕われながらも一生不犯を通した明恵自身の姿も重なります。

また、涅槃経(ねはんきょう)を読んでは、父なる釈迦の死の場面で息が詰まるほど泣き、《仏眼仏母像》の美しい姿を母と慕ったという明恵。執着ではないかと思えるほどの「愛心」を認め、その先に仏法の道を見た明恵の姿がこの絵巻の善妙に重ねられているとも言われます。

白洲正子は著書『明恵上人』のなかで、「華厳絵巻は、明恵の信仰の告白に他ならず、義湘は勿論のこと、善妙もまた、彼の分身であることを知るのです。」と書いています。

善妙のひたむきな姿を慕った明恵は、華厳宗の守護神である善妙神を高山寺に勧請しました。今でも高山寺には、美しい善妙神立像が伝わっています。
また、戦乱で夫を亡くして尼僧となり、明恵を頼って高山寺に集まった女性たちのためには善妙寺が建てられたのです。

いっぽう、元暁絵にもまた、明恵の姿が重ねられていると言われます。
国内に残った元暁は、内外の経典に通じ、天下の信を集め、ある時は巷で琴を鳴らし、歌を歌い、あるときは山や水辺に座禅して鳥や獣と遊ぶといった自在な生活を送っていました。そのため、一見狂人のような振る舞いにも見え、国王が「仁王会」という仁王経に基づく行事に呼ぼうとしても、讒訴する者があって呼ばれなかったりすることもありました。

そんなある日、国王の后が重い病気にかかってしまいます。祈祷や医術をつくしても一向に効き目がありません。ついに唐へ勅使が派遣されますが、ある時勅使は、南方の海上で不思議な老人に出合い竜宮へと誘われ、竜王から一巻の経を譲られます。

※2 国宝 華厳宗祖師絵伝 元暁絵 (部分)

artColumn15May3-4

 
そして、大安聖者という人(市井で胴鉢を打ち、大安、大安と唱える人物)に整理させ、元暁大師に注釈を頼めば、病は直ちに癒えるだろうと言われるのです。元暁をねたむ人が経を盗むなどの事件が起きますが、最後には元暁が無事に講座を開くと后の病は癒え、元暁はいよいよ尊敬されました。

元暁絵のほうが、義湘絵よりも後の時代に作られたと考えられています。元暁の姿が明恵の容貌を踏まえたものであることや、画中で月の和歌を多く読んだ明恵のイメージが重ねられていることなどが指摘されています。宮廷や、鎌倉幕府の北条泰時など、時の権力者に慕われながら、山中で清貧な生活を送り、栂尾の上人と呼ばれて尊敬された明恵上人の姿を、後の人が元暁の姿に重ねたのかもしれません。

義湘絵、元暁絵、どちらも女性救済の物語になっています。明恵は、夫や子を亡くした悲しみのなか、善明寺でひたむきに過ごす女性たちを見て心を打たれたようで、「善明寺二我ガ流ハ多トマリテ候也。」と書き残しています。
そうした明恵の想いがこの絵巻を生み出したのかもしれません。

高山寺に伝わる絵画や彫刻は、時に諧謔味がありのびやかで、時に写実的な美を湛え、明恵上人独特の世界がそこにあるようです。
厳しい修行を己に課しながらも、現世から乖離するのではなく、現世でいかに生きるべきか、いかにすれば衆生の救いとなるか、実践的な教えを説いた明恵上人。
上人の優しさや熱さ、自在な境地を伝える逸話はとても魅力的です。
そうした上人の気配は今も高山寺や、そこに伝わる多くのものに残されているのかもしれません。


※1 《国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵》(部分) 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
   この場面は、前期(4/28~5/17)展示のため、展示は終了しています。

※2 《国宝 華厳宗祖師絵伝 元暁絵》(部分) 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
   この場面は、後期(5/19~6/7)に展示されます。

<展覧会情報>
特別展「鳥獣戯画 ―京都・高山寺の至宝―」
2015年4月28日(火)~2015年6月7日(日)
会期中、一部作品、および場面の展示替えあり。
《鳥獣人物戯画》については、全4巻の前半部分が前期、後半部分が後期展示。
■通期展示:4月28日(火)~6月7日(日)
■前期展示:4月28日(火)~5月17日(日)※展示期間終了
■後期展示:5月19日(火)~6月7日(日)

会場:東京国立博物館・平成館 (東京・上野公園)

開館時間:午前9:30~午後5:00(金曜日は午後8:00まで、土・日・祝休日は午後6:00まで)
(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、5月7日(木)(ただし5月4日(月・祝)は開館)

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
関連サイト:
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707

http://www.chojugiga2015.jp/



この記事について