~ぶらぶら江戸散歩~vol.40『御成門』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

文化家ブログ 「轍(わだち)」

美術や紀行、劇場や音楽などについて、面白そうな色々な情報を発信していくブログです。

BraSampo40

江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回お邪魔したのは、「御成門」。
都営三田線の『御成門駅』が最寄駅ですが、新橋駅からもブラブラと歩ける距離にあります。
まずは、地名の由来につきまして。

BraSampo40-4

御成門駅を降りますと、すぐに東京タワーが目に入ります。そのタワーを背に左手の先には皇居がございます。
近くの虎ノ門は江戸城の外郭門(がいかくもん)であるものですので、今回、じっくりとこの地を調べるまでは、御成門も江戸城の門と思いこんでおりました。
実際は芝増上寺(しば・ぞうじょうじ)の北方馬場にあった裏門の別称との事でした。

増上寺は徳川家の菩提寺(ぼだいじ)の一つで、将軍が参詣する際にこの裏門がもっぱら用いられたそうですので、御成門と呼ばれるようになりました。
確かに、古地図を見ますと、御成門から東京タワーさらには東京プリンスホテルにかけての広大な敷地一帯が、江戸時代におきましては増上寺の本寺と塔頭寺院(たっちゅう:祖師や高僧の死後に弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院のこと)の敷地と記載されております。

増上寺を語る機会はまた次回に譲るとしまして、御成門の当時の面影を求めてぶらぶらしておりましたら、東京プリンスホテルの駐車場の敷地にその遺構を見る事ができました。

BraSampo40-5 BraSampo40-6

ひとつが、『二天門』。名前の由来は、門の両脇には、広目天と多聞天が祀られているため。
正面向かって左にが西方を守護する広目天が、右に右が北方を守護する多聞天(別名毘沙門天)の堂々とした像を見る事ができます。

BraSampo40-2 BraSampo40-3

もともと、東京プリンスホテルは、増上寺の北廟だった場所。
そこには、6代家宣と7代家継の廟がありました。その霊廟は8代将軍吉宗が享保 2年(1717)建立したもので、日光の東照宮に劣らぬといわれるほどの豪華なものだったそうです。その廟の往事の名残をとどめるのが、この二天門になります。
現在は国の重要文化財に指定されています。

BraSampo40-1

そして、もうひとつ。駐車場の脇にひっそりとたたずむのが、この地の名前となった『御成門』です。今は、人目につかぬ場所に有りますが、この場所に移されたのが明治25年。それまでは御成門交差点の場所にあったそうです。

東京プリンスホテルは、1964年、東京オリンピックに合わせて開業されたホテル。
歴史の長さをつくづく感じさせます。

さて、御成門にいらっしゃったらぜひおススメの場所がございます。
それは「東京美術倶楽部」。明治40年に設立されて以来、長年に渡って、美術商取引を支えております。

BraSampo40-7

そのひとつとして、今ではお宝鑑定団のような番組により美術・古物の真贋鑑定がポピュラーになりましたが、東京美術倶楽部はこのようなお墨付き=鑑定書を発行しております。

平成3年に建て替えられた今の建物では、各種無料の展示会が定期的に行われております。
広々とした館内には、庭園や茶室もあり、ゆったりと美術鑑賞が楽しめます。

それではぜひ、皆さんも『御成門』をブラブラ散歩してみてください。

この記事について