【遠藤のアートコラム】「高山寺の至宝 明恵上人の信仰世界が残した美」vol.2 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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引き続き遠藤がお届けします【アートコラム】。
5月は、現在東京国立博物館・平成館 (東京・上野)で開催中の特別展 「鳥獣戯画 ―京都 高山寺の至宝―」の作品をご紹介しながら、高山寺に伝わる貴重な作品群の由来をお届けします。

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―モロトモニ アハレトヲホセ ミ仏ヨ
 キミヨリホカニシルヒトモナシー


上記は、こちらの国宝《仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)》に残された、明恵上人(1173-1232)の筆です。

この後に続くのが、「无耳法師之(みみなしほうしの)母御前也(ははごぜんなり)、哀愍我(われをあいびんしたまえ)、生々世々(しょうじょうぜぜ)不暫離(しばらくもはなれず)、南無母御前、々々々々々」

そして、反対側には「南無母御前、々々々々々、釈迦如来滅後遺法御愛子成弁、紀州山中乞者敬白」と記されています。

最後のほうの「成弁(じょうべん)」は、明恵上人が15歳で出家・得度したときに最初につけられた名前です。

ここで、明恵上人は、自分のことを他にも3つの表現で記しています。

まず一つ目が「无耳法師(みみなしほうし)」。
明恵上人は24歳のときに、こちらの《仏眼仏母像》の前で、なんと自分の右耳を切り落としてしまいます。
「形をやつして人間を辞し、志を堅くして如来のあとをふまむことを思い」ということだったようですが、その後、耳の痛さを我慢して経を読んでいると、金色の文殊菩薩が現れたそうです。

二番目が「釈迦如来滅後遺法御愛子」です。
明恵上人は、釈迦が亡くなってしまった後に生まれたことを、とても悲しんでいました。
ですが、自分たちは釈迦の遺した法を受け継ぐ仏の子なのだ、もし仮に仏が自分を「憎し」と思ったとしても、自分は釈迦の愛子を自称しようと考え、釈迦を父のように慕いました。

そして、明恵上人が「南無母御前、々々々々々」つまり、「お母様、お母様」と呼びかけているのは、この仏眼仏母です。

※仏眼仏母像 部分

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モロトモニ~ の一文は
「もろともに あはれと思へ山桜 花よりほかに 知る人もなし」
という百人一首にもなっている前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)(1054-1135)の歌が下敷きになっています。
行尊という僧が山の中で修験道の厳しい修行を積んでいた時の歌です。

明恵もまた、仏眼仏母像の前で耳を切ったのは、学僧たちの派閥争いを嫌って、故郷である紀州の山中で修行していた時のことでした。
3番目に出て来る自身を表す言葉「紀州山中乞者」とはそのためです。

行尊(ぎょうそん)の場合は、寂しい山の中で桜の木と心を通わせています。人里離れた山中で桜を見上げる一人の修行僧。寂しげながら、なんとも風情溢れる情景ではないでしょうか。
それに比べ、庵室で《仏眼仏母像》を前にした明恵上人のほうは、まるで鬼気迫るかのようです。

「ミ仏」よ、憐れみ愛しんでください。あなたの他に私のことを知るヒトはいません。
「无耳法師之母御前也」あなた様は耳なし法師の母。
「哀愍我、生々世々不暫離」私をふびんに思ってください、生まれ変わっても片時も離れません。
「南無母御前、々々々々々」お母様、お母様・・・
「釈迦如来滅後遺法御愛子成弁、紀州山中乞者敬白」釈迦如来入滅後の仏道で、釈迦の愛子であろうとする成弁、紀州山中で乞食をするもの。敬い謹んで申し上げる。

と読めば、若き明恵上人の興奮と孤独と仏法への想いが生々しく伝わってくるかのようです。

仏眼仏母とは、「真理を見通す如来の眼」を人格化した尊像で、密教独特の如来です。
眼で見ることから智が生まれる。すなわち、悟りの智恵をもととする諸仏の母なる存在として、「仏母」と呼ばれます。

そのためか、明恵はこの尊像を母と慕い、生涯、持仏として常に身近に置いて信仰しました。

二メートル近くの大きな作品で、白色を基調とした美しい像です。

高山寺には、《白光神立像(びゃっこうしんりゅうぞう)》という神像も伝わっています。
インド・ヒマラヤの「雪山大神」に基づく「白光神」もまた、白い肌と衣をもっています。
幼くして母を失った明恵上人にとって、白く美しいそれらの像は心を寄せる重要な存在だったのかもしれません。

※2 重要文化財 仏涅槃図

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明恵上人は、釈迦を慕うあまりにインドへ渡ろうとしていました。もしかしたら、明恵上人のイメージしたインドは、北に白光神のような真白な山を持つ、輝く世界だったのかもしれません。

明恵上人は、西遊記でおなじみの玄奘三蔵が書いた「大唐西域記」を元に、「長安から・・・一日に八里歩けば千日で王舎城(古代インドのマガダ国の首都)に着くだろう」などと計算し、実際の渡航計画まで立てていました。

しかし、周囲からも反対され、あげくの果てには春日明神が来臨、宣託して明恵上人を止めたため、インド行きが実現することはありませんでした。
この顛末は「春日龍神」という能となって現代まで伝わっています。

釈迦を「父」、仏眼仏母を「母」と慕う明恵上人のエピソードを知ると、明恵上人にとってインドへ渡りたいという想いは、釈迦の事績を辿るというだけではなく、父、母の懐へ行きたいという切なる思いに近かったのではないかとさえ想像してしまいます。



※1 《国宝 仏眼仏母像》鎌倉時代・12~13世紀 京都・高山寺
   この場面は、前期(4/28~5/17)に展示されます。

※2 《重要文化財 仏涅槃図》鎌倉時代・13世紀 和歌山・浄教寺
   通期展示

<展覧会情報>
特別展「鳥獣戯画 ―京都・高山寺の至宝―」
2015年4月28日(火)~2015年6月7日(日)
会期中、一部作品、および場面の展示替えあり。
《鳥獣人物戯画》については、全4巻の前半部分が前期、後半部分が後期展示。
■通期展示:4月28日(火)~6月7日(日)
■前期展示:4月28日(火)~5月17日(日)
■後期展示:5月19日(火)~6月7日(日)

会場:東京国立博物館・平成館 (東京・上野公園)

開館時間:午前9:30~午後5:00(金曜日は午後8:00まで、土・日・祝休日は午後6:00まで)
(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、5月7日(木)(ただし5月4日(月・祝)は開館)

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
関連サイト:
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707

http://www.chojugiga2015.jp/



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