拉致問題を利用してのし上がった安倍晋三 | じろう丸の徒然日記

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私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

前回の記事で、安倍晋三有力スポンサー韓国系パチンコ業者であることを書いた。
 
このことを報道した「噂の真相」2003年2月号の記事の内容を、もう少し紹介しよう。
 
日本北朝鮮外交は、当初は福田康夫官房長官外務省田中均局長(当時)が主導権を握っていて、対話を重視した日朝関係正常化路線が基本方針だった。
だから、強硬路線を主張する当時官房副長官だった安倍晋三は、完全にカヤの外に置かれていた。
だが晋三は、汚い手を使って福田官房長官田中局長から発言力を奪い、方針を圧力重視強硬路線に強引に転換させたのである。
 
当時、晋三は、毎週月曜日水曜日の夜、東京・港区にある全日空ホテルの1階の小宴会場に、新聞テレビ局各社の政治部記者を集めて、極秘のオフレコ懇談会を開いていた。
晋三はここで、自分の立場を有利にするような恣意的な情報を、オフレコリークしまくっていた。
その情報というのは、自分が、いかに北朝鮮に対して毅然とした態度で臨んでいるかとか、拉致被害者家族からいかに信頼されているか、とかいった自己宣伝である。
集まった記者たちも、嬉々としてその情報を垂れ流し、この懇談会晋三裏宣伝部隊になっていたという。
同じような懇談会を、自宅でも開いていたらしい。
 
それらの懇談会リークされるのは、晋三自己宣伝だけではなかった。
外務省田中局長不手際失態を次々と記者たちに暴露していた。(自分がその不手際失態フォローしてやろうなどとは考えないのである)
晋三は、田中局長が帰国した拉致被害者北朝鮮に返そうとするのを自分が一喝して止めさせた、などと得意げに話していたという。
そうした話が記者たちによって報道され、福田官房長官田中局長北朝鮮外交における発言力を失い、かわって晋三がその全権を握った。
晋三マスコミ世論から圧倒的な支持を受け、小泉純一郎首相(当時)も北朝鮮問題は完全に晋三に任せっきりになり、すべての情報がまず晋三のもとに集まり、晋三方針を決定し、小泉首相報告を受けるだけ、という体制ができあがってしまった。
 
また、晋三「現代コリア」というグループと、もともと近い関係にあった。
「現代コリア」とは、日本人の立場から韓国北朝鮮問題を考える目的で設立されたグループで、代表は、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の初代会長でもある佐藤勝巳氏
このグループは、北朝鮮に対する強硬路線を主張していて、「救う会」だけでなく「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」をも牛耳っているという。
2002年拉致被害者のうち横田めぐみさんら8人死亡を伝えられショックを受けた被害者家族が、強硬路線晋三を頼るようになるのも、自然な流れであったと言えよう。
だが、それは同時に極めて危険なことでもあるのだ。
 
「家族会」元副代表蓮池透さんは、その著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』の中で、晋三は帰国した拉致被害者たちを、むしろ北朝鮮に戻そうとしていたと暴露。
透さんの弟の薫さん地村保志さんらが周囲からの説得を受けいれて、日本にとどまる決意を固めたため、晋三はシブシブそれに同意しただけなのだ。
つまり、前述の田中局長一喝したとかいう勇ましいハナシは、どうもアヤシイ。
晋三真の狙いは、日朝関係正常化はもちろんのこと、拉致問題の解決でもなく、それをも利用しての憲法改正であることは、もはや明白である。
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々
 
もともと晋三は、日朝関係正常化には絶対反対という考えであり、田中局長が水面下で北朝鮮交渉しようとしていると知ると、自分の腹心を送り込んで邪魔をさせ、その動きを潰した。
そのため、この年10月クアラルンプールで行われた日朝関係正常化交渉は、完全に決裂してしまった。
もはや、拉致問題解決どころの話ではなくなってしまった。
しかし晋三は、例のオフレコ懇談会の席で、勝ち誇ったように、こう言い放ったという。
「この期に及んで日本国民に北朝鮮との国交正常化を望む声は出ないんじゃないの」
 
さらに晋三は、ある全国紙の政治部幹部によれば、こんな恐るべきことを口走ったという。
このまま北朝鮮を孤立させたら、いずれ暴走して、日本ミサイルを撃ち込んでくるのでは、という記者の質問に、
「テポドンなんて大したことは無い」
と、まさに撃ち込まれたっていいじゃないかと言わんばかりのことを口にしたのだった。
 
なるほど、憲法9条の改正を目論む晋三にしてみれば、むしろミサイルが飛んできてくれた方が都合がいいのだ。
たとえ、それで人が死んだとしても。
 
(続きます。)