90年代、2000年代にシューマッハ、2010年代にベッテルが戴冠。30年弱で10回のF1チャンピオンになっているドイツ勢だが、それ以前に優勝経験のあるドライバーは、51年に2勝を挙げ、タイトルにあと一歩と迫ったヴォルフガング・フォン・トリップス卿と75年のスペインGPでキャリア唯一の優勝をしたヨッヘン・マスの2人しかいない。
そのマスの優勝したスペインGPも開催前から、大問題を抱えていた。金曜日の朝にグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)がコースのチエックをすると殆どのガードレールがボルトでしっかり固定されていないことが発覚。
GPDAは予選1日目のボイコットを決定。全チームが協力してガードレールを修繕し、主催者の強硬な姿勢で、何とか予選は開始されることになったものの、チャンピオンのエマーソン・フィッティバルディは、コースインだけして早々に離脱、サーキットをあとにしてしまう。
<Montjuic 1975 F1 Grand Prix>
レースも波乱続き。クラッシュが相次ぐ波乱のレースは、26周目、トップを走っていたロルフ・シュトメレンのヒルGH1のリアウイングが脱落。コントロールを失って観客席に飛び込み、5人が犠牲となり、シュトメレンも重傷を負う。
レースは29周で打ち切り。トップにいたマスが優勝、6位にはレラ・ロンバルディが女性ドライバー唯一のポイントを獲得したことは以前書いた通り(既定周回数の75%以下だったので、ポイントは半分)。
ちなみに92年のベルギーGPでシューマッハが優勝するまで、ドイツ人ドライバーポディウムの中央に立つまで17年の歳月を要することになる。
80年代以降のマスはスポーツカーレースに舞台を移し、1989年にル・マン24時間レースで優勝。F1での参戦歴は10年だが、参戦中もスポーツカーレースで戦い続けており、スポーツカーレースでの活躍でのイメージもかなり強いのではないだろうか。