「走る」 ----太古の自然に還れ---- | gcc01474のブログ

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「走る」
----太古の自然に還れ----


【抄録】
 薬を使わず,「走る」ことにより精神疾患を寛解させることを目標に筆者は努力してきた。患者は安易に薬に頼ろうとする傾向性があるが,薬に頼らず自力で治そうとする傾向性も持っている。
 「走る」ことで今まで約3例の患者が自力で寛解してきた。それは患者自身のたゆまぬ努力の結果である。また,疾病を治したい強い願いの結晶である。1日のみなら誰にも実行可能であろう。しかしこれを長期間続けるには強い克己心を要する。短期間で「走る」ことを中止したものは非常に多い。「走る」ことを始め症状が軽症化した故に「走る」ことを中止し、疾患が再燃した者は多い。
 「走る」ことは身体を「太古の自然」に帰し、これがこれらの疾患の寛解を促すものと確信する。

【key words】 running, walking, relative hypoglycemia, anxiety disorders, affective disorder, schizophrenia, mental disorders

【始めに】
 不安障害、気分障害、そして統合失調症の最善の治療法は「走る」ことである。そして太古の昔に帰ることである。できる限り1日1時間以上、そして1週間に一度で良い、できる限り長時間「走る」ことである。「走る」ことによって全身の自律神経は調整され安定化する。その理論的根拠は交感神経過緊張を解消し東洋医学で言う「気の流れの円滑化」に由来すると説明される。

【症例】
[症例1]33歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]幼少時より自律神経失調が激しかった。中学1年時,痙攣性発声障害(疑)発症。高校1年時,小学生時代よりの吃音が重症化。高校3年時,社会恐怖発症。22歳時,精神科受診。それ以来,抗不安薬を主とした治療を受けてきた。
[現病歴]初診時,症例はbenzodiazepine系の抗不安薬なしには仕事および日常生活が極めて困難であった。2週間に一度は仕事を早く終えて来院することが可能と言う。体格の良い頑強な男性であるが,気弱いところが感じられた。「過去が暗かったんです」と嗄れた声で言う。
 症例の要求する抗不安薬の量は以下のように比較的大量であった。flunitrazepam 4mg/日,bromazepam 20mg/日, etizolam 3mg/日, cloxazolam 12mg/日,そして湿布も強く希望する。
 現在まで複数の精神科・心療内科を渡り歩き,その4剤そしてその量がベストであると言う。症例の要求どおりに処方。症例は自身の「交感神経過緊張」を是正したいため,様々な民間療法を試みてきたが全て徒労に終わった。症例は自身の病気を「交感神経過緊張」と言う。それは過去,症例は星状神経節ブロックを多数回受けており,そしてそれが一時的ながらも奏功し,星状神経節ブロックに非常に共鳴し,また星状神経節ブロックに関する専門的な書物を多数読んできた故である。
 筆者が走ることを勧めると「今まで夜,走ることを行ってきたことは良くある。体調は良くなるが自身の「交感神経過緊張」には効果がなかった。雨の日でない限り,夜,風呂に入る前に15分走るのを日課にしてきた」と言う。
 2日に一度,1時間,比較的ゆっくりと走ること,しかも胸を大きく張って走ることを強調する。しかし始めの2週間は今までのように毎日15分走る。しかしそれではほとんど効果はなかった。
 2週間後の来院時,2日に1度,1時間走ること,それも大きく胸を張って走ることを再び強調する。症例は2日に1度,1時間走るよう努力し始めた。前夜に1時間走ることを行うと翌日は抗不安薬が全く必要ないことを経験する。その経験以来,仕事が終わって夜の走ることを2日に一度,1時間行うようになる。前夜に1時間走ることした翌日は抗不安薬が必要でない経験を重ねる。しかし2週間ごとの来院は続ける。「ストックがあるというだけで安心する」と言う故に今までの処方どおりの処方をする。しかし1時間の走ることを始めて2ヶ月近く経ったとき「もう当分,抗不安薬は必要ありません。今でも,ときどき,緊張するときなどには少し服用しますが,今は以前と違い,僅かな量で充分に効きます。有り難うございました。また,もし,抗不安薬が必要となったときは来させて貰います」と言って帰院後1年余り経つが再来院無し。現在は抗不安薬を全く必要としない健康な日々を送っている。現在も週に一度,1時間以上走ることを行っている。

[症例2]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃から性格も明るく人気者であった。高校卒業後,陸上自衛隊に入り3年間何の問題もなく過ごし除隊後,地元の商社に入社。しかし生来の倦き易さのため2年間でそこを辞め,その後,様々な職を転々とすることになる。
[現病歴]やっと居付いたと思われた会社の営業の仕事中,自動車を運転中に心臓が早鐘のように打ち,すぐ近くにあった内科を受診。そこで自律神経失調症と言われる。それが何回も続けて起こり退社せざるを得なくなる。
 症例はいろんな健康法を渡り歩く。整骨院にも通ったが椎骨が歪んでいることを指摘されたのみで痛むところは存在しないため通院を中止する。
 本院受診。症例は「こうなったのは夏,会社の同僚とビアガーデンでビールを飲んでいたとき,近くにいた人が突然倒れ,それを見ていた女性が悲鳴を挙げた。そのためと思う。」と解釈していた。今でも酒を飲もうとするとそのときの情景と女性の悲鳴が思い出されて来るため酒を飲むことができない。
 走ることを指導。薬剤は一切処方せず。彼は走ることを始める。復職を急いでいたため彼は真面目に毎日走った。1日2時間に達することも有ったと言う。
 次第に彼を覆っていた女性の悲鳴が鳴り響く恐怖の光景は気にならなくなってゆく。酒も少しづつ飲めるようになってゆく。心臓が早鐘のように打つこともなくなってゆく。
 1ヶ月後,彼は新しい職場へ就職した。以来,2年が経過しているが健康な日々を送っている。現在も週に一度は1時間以上走ることを行っている。

[症例3]29歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]小さい頃より病気知らずであった。
[生活歴]小さい頃より著患無し。スポーツは得意であったという。近親者に精神疾患の罹患者はない。
 地方においては有名大学の部類に入る大学を留年など無しで卒業後、地方においては大手である会社に就職。40歳時、その会社の中間管理職に昇進するとともにうつ状態発現。“昇進うつ病”の診断のもとmianserin 2ヶ月間投与(最大投与時60mg, 夕食後のみ投与)で効果無し、setiptiline maleate 2ヶ月間投与(最大投与時 6mg 夕食後のみ投与)で効果無し、 trazodone 2ヶ月間投与(最大投与時 200mg 夕食後のみ投与)でも効果無し、sulpiride 2ヶ月間投与(最大投与時 600mg 朝夕投与)でも効果無し、 maprotiline でも効果なし。しかし会社には真面目に通勤していた。うつ状態の出現以来、会社から帰ってくると風呂に入り、簡単に夜食をしてすぐに床に就いていた。休みの日は一日中布団の中に寝ているという状態が続く。
 治療開始9ヶ月経過後、患者自身、薬剤による治療に見切りを付け、毎朝、山の頂上まで走って登りこの病気を治すと決意する(これは筆者が元より運動することを勧めてきたことに依る。しかし患者は薬剤で治ると思い、ほとんど運動は行わないできていた。)。
 性格は非常に頑固、一徹なところがあり、また真面目であった。
 そして毎朝、山の頂上まで走り登り始めた。(その山の頂上へ走り登るには1時間半ほど懸かる。降りるのに40分ほど懸かる。かなり負担の懸かるものであったが一度決めたことはやり抜く性格であった。また少なくとも男性の場合はこれほど負担の懸かるものの方が良いと思われる。)仕事が午後1時から午後9時までのため、夜走らず、早朝走ることを行っていた。走り終わった後、風呂に入り仮眠を取って出勤していた。(この患者の場合、午後および夜間は比較的調子が良く、朝の倦怠感が激しかった。しかし、内科的精査上、肝機能は正常、甲状腺ホルモンも正常など全く異常はなかった。)
 走り始めて1カ月後、気分障害、完全寛解。この症例は“軽症うつ病エピソード”がもっとも適した疾患名と思われる

[症例4]30歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいないと主張する。
[既往歴]小さい頃より大きな病気や怪我はない。しかし2年前,左手の血圧が計れないことを就職のときの健康診断で指摘された。症例自身も最近左手の脈が触れず,しかも軽い痺れを感じることに気付いていた。そして大学病院にて動脈造影したところ左肩のところに狭窄があり大動脈炎症候群疑いということで手術。しかし手術後,胸郭出口症候群だったのではないかと整形外科の先生からは言われていた。
[生活歴]小さい頃より社交的ではあるが性格が円満でなく独りよがりなところが強く存在し,周囲から変人扱いされ敬遠されていた。
 患者は一浪して入学した一流大学であるはずのW大学教育学部を自分の希望したところではなかったと2年で辞め,元から入りたかったJ大学英文科を受け直した。しかし入学試験勉強をほとんど行なわずに受験したためJ大学には落ち,またT外国語大学にも落ち,第3志望にしていたO外国語大学モンゴル語学科にモンゴル語が好きで興味があるからということで自ら進んで受験,合格し入学した。
 O外国語学科では一年留年するだけで卒業し,大阪の新聞社に新聞記者として就職。そこで3年間働いた。しかし仕事に対する不平不満強く,上司や同僚との不仲があったわけではないが,親元である長崎で働きたいという思いがあり,長崎へ帰ってくる。そして実家から自動車で2時間ほどかかるところにある佐世保の銀行に就職し,その銀行の社宅に住み始める(彼は独身で,結婚歴はない)。
 しかしその銀行も一年足らずで辞め,実家に戻って来る。その後,オランダ村が開かれたとき,そこへ就職した。しかしそこは実家から通うのは困難であり,アパートを借りて生活を始めたが再び3ヶ月あまりで退社。そして今度は実家から自動車で40分あまりの長崎市の中心域にあるN新聞社に再び新聞記者として入社。そして現在に至る。
[現病歴]将来に対する漠然とした不安感を主訴として来院。彼が訴えるその不安に対し,薬物は投与せず。帰宅後など,できるだけ毎日30分以上走るよう指導する。症例は素直に実行することを誓う。
 彼は一夜にして不眠障害が寛解する。そして雨の日以外は会社から帰ってくると30分ほど走るようになる。
 彼の漠然とした精神不安は次第に消失してゆく。
 しかし初診より3ヶ月を過ぎた頃,彼は「走るのは面倒」とある精神科クリニックを受診。そこで症状を非常に大袈裟に言い,大量の抗不安薬と催眠鎮静剤を処方される。そしてそれ以降,彼は大量の抗不安薬と催眠鎮静剤に頼って生きる日々を開始する。走っていたのは夏の3ヶ月間だけであった。現在,彼は大量の抗不安薬と催�ー鎮静剤無しには生きてゆけない状態になっている。
      
[症例5]30歳,女性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]結婚を目前にしている女性。しかし手掌多汗症を苦にして受診。近日中,相手方の母親と一緒に食事をすることになっている,その一緒に食事をしなければいけないときが目前に迫っている,と言う。症例は漢方療法など様々な治療法を試したが効果が出ず。自身の病気は精神科の病気と考え精神科を受診。
 筆者が予診をとったが上級医が「不眠症」という診断のもとに追い返す。これは森田療法のような方法で治すようにとのことであったと思われる。しかし筆者はこの病態が星状神経節ブロックにより比較的容易に寛解した報告例を幾つか読んでいた。筆者は症例があるところの受付などをしていることを知っていたため,後日,症例に星状神経節ブロック療法の資料とそれを施行している医院の場所をコピーして持っていく。1ヶ月ほどして症例とその星状神経節ブロック療法を施行している医院で偶然出会う。症例は星状神経節ブロックをすでに6回ほど受けた,しかし一時的にしか効かない,と言う。症例は星状神経節ブロックを週2回の割合で受けていた。その医院の麻酔科医は星状神経節ブロックは週に2回程度が適当と思っていたらしい。しかし星状神経節ブロックはでき得る限り毎日行うべきである。症例は軽度のalprazolam 依存になっていた。その麻酔科の医院よりalprazolam を1日2.4mg 投薬されていた。しかしその量のalprazolam では不足であった。
 症例は筆者に受診する。星状神経節ブロックは中止とする。 alprazolam の量は1日2.4mg のままで,症例に走ることを勧める。
 しかし症例は走ることを怠っていたため最初の1ヶ月ほどは一進一退であった。そのため症例自身考え走ることを始める。走るのは1日30分ほどであった。そしてそれからは一週毎に良くなってゆくのが症例自身解るようになる。
 3ヶ月後,alprazolam の服用量は1日1.2mg に減る。この頃,薬剤にてコントロール困難な手掌多汗症に対し胸腔内よりアプローチする胸部交感神経節切除術で完全寛解させる安全な手術法が確立され急速に普及しつつあることを筆者が麻酔科の雑誌より知る。懇意にしている麻酔科の医師に紹介状を書く。症例はやがてその手術を受け長年の手掌多汗症が完全寛解する。
 
[症例6]37歳,男性。
[家族歴]母親が統合失調症の診断のもと通院中である(入院歴もある)。
[既往歴]特記すべきことなし。
[現病歴]大型トラックの運転手。性格は明るく友人も多い。深刻に物事を考えるようなことはしない性格である。
 2年ほど前,休日,自家用車の運転中に突然心臓が早鐘のように鳴り出し,救急車を呼ぶエピソードがある。それ以来,トラックの運転中にもその発作が起こるようになる。内科を受診し心電図・心エコーなどを撮ったが異常はなく,パニック障害と言われる。そのため精神科を受診。alprazolam の投与を受け始めた。alprazolam の投与量はすぐに1日量3.2mg に達した。2年近く,このような状態が続いた。症状は軽快傾向も重篤化傾向も示さず。alprazolam なしにはトラックの運転が恐くて行えない状態が続く。
 筆者が当直中の夜10時頃「今から東京までトラックを運転していくが,クスリがない」と言って来院することが2回連続する。2回とも14日分,処方されていたのを10日間程で服用終了していた。筆者が前主治医と交代して主治医となる。
 初診時より走ることを強く勧めたが症例は不真面目な性格であるため消極的であった。それ故,症状は一進一退であった。症例が走ることを始めたのは筆者が担当となって4ヶ月経過した頃であった。2日に一度,20分ほど走ることを始めた。alprazolam の服用量は少しずつ減少してゆき,以前の3分の2ほどに減少。しかし筆者が担当となって8ヶ月経過した時点で高速道路をトラック運転中に居眠り事故を起こす。このとき alprazolam を服用して運転していた。路肩に接触し前方の車輪が外れるのみの単独事故であった。事故は軽いものであったがalprazolam を服用していたことが会社に知れ解雇処分となる。
 その後,不況のため,再就職口が見つからず,大阪に就職してゆき,連絡が途絶える。

[症例7]27歳,男性。
[家族歴]少なくとも親兄弟に精神疾患の罹患者はいない。
[既往歴]特記すべきものなし。
[現病歴]大人しい,真面目,素直。母親から分離していない。
 大学卒業の年である4年時(22歳時),12月頃,発症。このとき,片思いの末の失恋などストレスが重なっていた。
 発症して2年間は多少重篤な社会恐怖と診断され,その病名どおりに治療されてきた。前医で様々な変薬の後,sulpiride 150mg/日を2ヶ月間服用。体重が62kgから95kgへ増加。
 1999 年8月,体重が急増したため筆者の処に転医してくる。前医と同じく,多少重篤な社会恐怖と診断し治療開始。初診時,ジョギング,自然食を行うことを勧める。処方は(bromazepam 12mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3,fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) )
とする。
 1999 年9月,患者自身,免許証の更新へ行くことを不可能と考え,診断書の依頼あり。更新に行くことを引き延ばしても結局行くことができない,それ故, bromazepam を4錠でも5錠でも服用して良いし,みんなから離れたところに座って講習を受ければ良いから行くよう,考える余裕が無いよう更新の直前30分前に電話し強く説得し行かせ,免許証の更新は無事できる(免許証の更新の場所はすぐ近くに有った)。        
 母親が仕事の終わった夜10時頃より,15分ほど母親とジョギングを行っていた。薬は母親が取りに来るか,筆者がアパートまで持って行くか,患者はほとんど病院まで来ることはない。病院に来ると強く緊張するためである。
 ジョギングは母親が疲労するためと思えるが,一回15分ほどであった。「26歳にもなって母親としかジョギングしない,母親が疲労し病気になるから自分一人で走れ」と言うと電話を切る。母親にも同じことを言うと,ここでも同じく「私の息子は病気ですから」と電話を激しく切る。また自然食は行おうとしない。
「15分しか走らなかったら,病気は治らない。30分は走らないといけない」と厳しく言うも「母親が疲れてしまう」と弁明する。
 fluvoxamine 75mg (朝・眠前,分2) 投与は昼間眠くなるということで最初の2回のみの処方にて中止。3回目の処方より fluvoxamine 75mg 眠前投与に変更。昼間の眠気こそ無くなったが,しかし全身倦怠感で苦しいと訴えるため(僅かでも息子が具合を悪くすると,母親はヒステリーを起こし,訴えるなどと逆上する。治療の過程で薬の試行錯誤は必要であること,また薬には必ず副作用があることを説明しても納得しない。また息子も薬の副作用の�ャさな苦しさを母親に告げる)1999 年10 月 8 日より fluvoxamine 50 mg 眠前投与に変更。しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため 10 月 22 日より fluvoxamine 25 mg 眠前投与と更に減量。この処方で落ち着くかに�vえたが,これでも全身倦怠感で苦しいと訴え,結局,2000 年2月 9日の処方を最後に fluvoxamine の投与を中止する。
 また,一番良く効果があると患者自身が言っていた bromazepam を服用すると夢幻様状態になる,精神的に高揚する,故に bromazepam の投与を中止して欲しい,と言い始める。 bromazepam も中止する(1999 年11 月24 日)。そして bromazepam の代わりに clonazepam の投与を始める。
 2000 年2 月23 日,clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3のみの処方となる。
2000 年6 月28 日,患者自ら,抑肝散のみの処方を希望し,抑肝散 7.5mg 3× のみの処方となる。夜,母親と軽いジョギング(15分ほど)は続けているが,食事療法は行っていない(しかし,夜のジョギングができないほど,昼間仕事に励むよう指導していた)。現在,父親が経営し,父親と母親で行っている魚屋の手伝いをしている。客と接すると緊張してしまう(緊張して顔が強張り客から変に思われるようだ,と言う)ため,できる限り店の奥の力仕事をし,客と接しないようにしている。最初は2日に1度,午前または午後のみ,働いていたが,筆者が毎日働くよう強く説得し次第に毎日しかも1日中働くようになってくる。魚市で朝,魚を選ぶのが楽しいと言う。
 2000 年7 月19 日,「息子が調子が悪くなった」と母親が来院し, clonazepam 一日量3mg を14日分,受付で貰って行く(調子が悪くなったのはclonazepam を一気に絶ったこと,漢方薬のみにしたこと,例年にない暑さ,以上の3つの理由が考えられる。体重が最近急激に6kg 減ったという)。
 2000 年7 月21 日,たまたま患者に掛けた電話で調子が悪いことを知り(このときに始めて母親が 19 日に clonazepam を取りに来たことを知る), etizolam 1mg 10回分, flunitrazepam 2mg 10回分, haloperidol 1.5mg 6回分,以上3種類の処方を造り患者のアパートへ持って行く。
 2日後,電話すると,「flunitrazepam を飲むと鬱状態になる」と言う。「flunitrazepam は精神を落ちつかせる作用が極めて強いため自宅で服用するとそういう状態になり得る,flunitrazepam は人中に出てゆくときのみに服用すること」と flunitrazepam を最初渡したときと同じ説明を行う。
 2000 年7 月28 日,電話あり。「flunitrazepam を1mg 働く前に口腔内で飴玉のように溶かして服用したところ,抑えが効かなくなった,つまり燥状態になった」と言う。(clonazepam 3mg 分3,抑肝散 7.5mg 分3)のみの処方に定着する。 flunitrazepam と bromazepam で軽度の夢幻様状態,精神的抑制の解除(脱抑制)が起こることから統合失調症を疑う。
 2000 年8月,隣家の一人暮らしの老人に大学卒業時より被害妄想を持っていることを手帳より知る。しかし社会恐怖としての治療を続ける(漢方およびclonazepam の投薬のみ)。
 2000 年11 月,急性精神病状態となる。risperidone 1日 3mg 服用にて3週間後,寛解状態となる。
 2001 年7月,再び急性精神病状態となる。9ヶ月前の急性精神病状態の寛解より最初の半年間はrisperidone 1日 1mg,その後は risperidone を1日半錠(0.5mg)のみ服用していた。risperidone 1日 3mg 服用にて2週間後,寛解状態となる。
 現在はrisperidoneを1日4mg から6mg 服用している。risperidoneを服用しても眠くならない故,朝・昼・夜と1日3回服用している。眠前は服用しない。
 現在,家の仕事(鮮魚小売り)を手伝っている。筆者のアパートのすぐ近くに住んでいる故,夜,3日に1度ほど一緒に走っている。   
 

【考察】
 太古の原始時代の生活に戻ると不安障害など精神疾患が激減することは確実なことである。
 走れば軽症化する。また寛解することも有り得る。これは西洋医学的には自律神経が整うためと説明される。東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
 「走る」ことにも限界があり,脊椎の強い歪みなど原因が他に依るものに対しては効果は弱い。
 20分程度の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用は弱く,50分以上の走ることでは交感神経過緊張の平常化作用が強い。症例1は強い交感神経過緊張であったため1日1時間の走ることを勧めた。他の症例は交感神経過緊張は多少存在するのみであったため1日20分程度で充分と指導した。(しかし,症例2は1日1時間以上,ほぼ毎日走った。)
 「走る」ことには交感神経過緊張を平常状態へ導く作用が存在する。
 運動,および玄米自然食を心掛けることにより,中国医学的に言う全身の「気の流れ」の円滑化が起こり,自律神経が安定化してゆく。
 今までレセプターの過剰によると推定されてきた病態も,また中国医学的に「気の上衝」として捉えられてきたものも,単なる運動不足および不健康な食生活に由来することであることが判明する。
 ほとんどの精神疾患は不安障害のみでなく気分障害・統合失調症をも「気の流れ」の円滑化を図ることにより治癒または軽快に向かってゆく。
 必要とする薬剤の量は次第に減って行き,最後には必要でないようになる。世の中には様々な健康法がある。しかし最高の健康法は「走る」ことである。そしてまた玄米自然食を心掛けることが第2に必要である。
 精神科の病気は治らない,一生付き合ってゆく覚悟が必要だ,と一般に言われている。しかしそれは「走る」ことにより寛解する。また玄米自然食を行うと更に寛解しやすくなる。それは全身の「気の流れ」の円滑化によるものと信じる。

 以上の7症例のうち,1症例も玄米自然食を行おうとはしなかった。玄米自然食を行うことにより,それのみでも血糖値は大幅に安定化し,「反応性低血糖」によると想定される自律神経および精神状態への悪影響を避けることができる。「反応性低血糖」と呼ばれる症候群が存在するはずである。それは精製された白米・小麦を摂取することにより起こる現代病である。しかし玄米自然食より「走る」ことの方が自律神経安定化への寄与は大きいと思われる。
 太古の原始時代の生活に戻ると精神疾患は激減することは確実なことである。しかし統合失調症はあまり減少することはない,と考える。それは統合失調症は大脳基底核の先天的な病変に由来するものがほとんどであると筆者は推測しているからである。
 
 整体療法を併用した。急性期の精神疾患の患者には後頚部の激しい凝りが非常に頻繁に見られ,その患者は頚部だけでなく胸椎部もまた石のように固くなっている,よって整体療法を行った。この整体療法には大部分の患者が従った。この整体は肘による圧迫を用いる。カイロプラクテック的手法は用いない。日本古来の指圧に則って行う。患者は始め(初回)は強い痛みを訴えるが,凝りが解れてゆくと痛みはほとんど訴えなくなる。しかし凝りが極めて強い患者(特に統合失調症急性期に多い)は初回は痛みを訴えず,2回目以降より筋肉が解れてゆくとともに痛みを訴えるようになることが頻繁にある。
 精神疾患が寛解することは東洋医学的には全身の「気の流れ」が円滑化するためと説明される。
 1回の走る時間はできる限り長い時間が望ましい。短時間で終わらせる者は寛解することは少ない。
 毎日行う必要はない。週に1回でも効果は強い。若く体力の有る患者以外,毎日のように行うと疲弊し,1回の走る時間が短くなる傾向がある。1回の走る時間が長いことが重要である。週に何回走るかは年齢などの要素によって決めて良い。
 速く走ると交感神経が過度に緊張し,ゆっくり走ると交感神経が適度に緊張する故と思われる。ゆっくり走ることにより交感神経過緊張が解消してゆき,病気が寛解してゆくと考えられる。
 1回に1時間以上「走る」者は驚くほど早く寛解してゆく。幼い頃からの頑固な不安障害さえ,1回1時間以上の「走る」ことにより寛解した例も存在する。
 そのときの状況,状態などにかなり左右されるが,一般に走り始めて20分を経過するとランナーズハイの状態になってくる。様々な過去のことが思い浮かんできたりする。そしてそれは何故かその精神疾患を起こす直前の出来事が非常に多い。
 走る。その途中で脱落してゆく者は多い。それは長距離走(マラソン)のようなものである。走り抜いて病気を克服する者は確かに少ない。筆者の指導に従順に従う者はやがて寛解してゆくことが多い。しかし筆者の指導に従わず,走ることを怠り,精神疾患が慢性化する者は非常に多い。「走る」ことは全身の「気の流れ」を円滑化し,統合失調症にも効果があると確信する。

【終わりに】
 寒い季節になると室外を「走る」ことが非常に億劫になる。そのときは防寒着を着るなど耐寒対策を充分にして「走る」方法がある(特に手先が冷たくなる。他の部分は走るにつれて次第に暖かくなってゆく。自動二輪車を運転するときの長いグローブを着用して走ると非常に効果的である)。また室内施設のあるところでは室内施設を積極的に利用するのも良い。その他にも寒い季節には自宅で自転車漕ぎをするのも1つの方法である。また喉頭や気管支などの弱い人では寒い季節に室外を走ると喉頭や気管支の炎症を起こしてしまうことが非常に頻繁にある。
 自宅でのトレーニングは気分転換が不充分になりやすい欠点がある。また室内での運動ではランナーズ・ハイの状態に成り難い。しかし防寒着を着て「走る」方法を用いても寒さに億劫になる場合,および室内施設も無い場合,自宅での自転車漕ぎを行うことなどは仕方のないことと思われる。その自転車漕ぎも長時間行うことが重要である。3日に1度,4日に1度でも良い。不安障害,感情障害,統合失調症の患者の交感神経過緊張状態を改善するためには緩やかに長時間行うことである。
 「走る」ことは太古の自然に還ることを目標とする治療法であり,強い克己心(あるいは家族の協力)が必要であるかもしれない。しかし,習慣性など副作用のない自律神経の平衡を整える最良の治療法と思われる。
 現在は,心疾患患者など走ることを避けなければならない患者、45歳以上の患者、体力減退が極めて激しい患者には丹田呼吸法を勧めている。丹田呼吸法は自律神経の安定化に非常に効果が高い。それは「走る」こと以上の効能を持っていると言っても過言ではない。丹田呼吸法の効能は別稿をもって報告する。


【参考文献】
1) 石河利寛:走る本.徳間書店、東京、1989.
2) 入江正: 経別・経筋・奇経療法.医道の日本社,東京,1988.
3) 本間祥白:難経の研究.医道の日本社,東京,1983.
4) 郭 金凱:鍼灸奇穴辞典.風林書房,東京,1987.
5) 神川喜代男: 鍼とツボの科学.講談社,東京,1993.
6) 小高修司: 中国医学の秘密.講談社,東京,1991.
7) 首藤傳明: 経絡治療のすすめ.医道の日本社,東京,1983.


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