従軍慰安婦問題 吉田清冶の作り話 | フラチなスピリチュアル三昧のブログ

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1977年以降、吉田は戦時中に済州島 などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行 したと著書や新聞や講演などで語った。その後、済州島の新聞「済州新聞」が追跡調査で当時そうした「慰安婦狩り」を島民が聞いた事がないという証言を得て吉田証言は事実ではないと報道。その後、秦郁彦 らも追跡調査を行い、同様の結論にいたった。また吉見義明 も吉田本人から創作を交えたことを聞いたため、吉田証言は資料としては用いることができないと確認した。


しかし、吉田証言は、1992年 の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書や1996年の国連人権委員会クマラスワミ報告 や1998年のマクドゥーガル報告書 でも慰安婦強制連行の証拠として採用された。また、これら報告はその後も修正していな。2006年の米国下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書でも「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記された。その後、日本側の批判を受けて、2007年の改訂版では「吉田証言」が削除された。しかし、2007年 2月25日 の決議案審議のための公聴会 の時点ではこの吉田証言に基づいた資料を判断材料としたうえで、2007年 6月26日 にアメリカ合衆国下院121号決議 が可決した。さらに2011年 8月30日 、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは憲法違憲」と判決した際にも事実認定 としてクマラスワミ報告マクドゥーガル報告書アメリカ合衆国下院121号決議 が根拠とされ、吉田証言も事実認定の有力な証拠のひとつとして用いられた。



吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めた。1996年(平成8年)5月2・9日付の週間新潮 インタビューで吉田は以下のように語った。

まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮 1996年5月2/9号

と語り、自らの証言を創作 (フィクション )を含むものであることをあらためて発言した。

1998年9月2日に秦郁彦は、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋」に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなっていまさら……このままにしておきましょう」との返事だったという。

吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離修正せず放置したため、検証が不可能であるために、2007年(平成19年)現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった。

(ウイキペディア 吉田清冶より引用)



著述家である吉田は自分の著書を売らんが為、また経済的活動である公演などの話題作りのために、慰安婦は強制的に徴用されたというフィクションを作り上げた希代の詐欺師であるといえます。


その作り話に、左翼傾向で軍国主義大嫌い、当時の日本軍が悪の権化であったとディスりたい朝日が飛びつき、長年に渡って吉田の主張をそのまま記事として垂れ流してきたのです。


それが時系列としてあの河野談話へと結びついてゆきます。


当時の関係資料も読みましたが、韓国側としては日本が強制性の一点だけを認めてくれれば以後日本の責任は一切問わないし、保障問題も此方でやるのでどうか認めてほしいという交渉の経緯がありました。


河野氏は生来のハト派的政冶信条から、彼女らの過酷な当時の境遇をおもんばかり、その名誉が回復されんことを想って強制性を認めるという、彼の人の良い、歴史的認識が色濃く現れた談話の発表となったのです。


朝日も30年も経ってからやっと誤り認めて、記事のなかで、戦時中、日本軍兵士等の性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできないと結んでいますが、そんなことはごく当たり前の話であって、自ら進んでその職に就いたような人以外、当時の道徳的規範を思えば、いったい誰が貧しさ以外の理由でその様な境遇になることを望むというのでしょうか。


散々日本を貶める為のネタになるような記事を連発しておきながら、今更女性の尊厳云々等とは片腹痛いとしか言いようがありません。


もしも朝日が本当にその過ちを認めるのであれば、自分たちが発信した記事によって世界中に拡散された虚の事実を、一つ一つ訂正するための努力を彼等は示さなくてはなりません。


人を理解しお互いを認め合い、善意の気持ちを持てば何時かきっと解り合うときが来るという河野氏の理想的ともいえるその心情は、分からないでもありません。


しかし、吉田の作り話が発端となったこの問題が、今現在世界中でどのように拡散され、認識されているのか、もう一度上記のウィキペディアを検証すると、河野氏や前社会党の首相であった村山氏のような善意の想いは、悪意を持った人々にとっては恰好のつけこむ口実でしかなく、その様な人々に単に利用されるだけと言うのが悲しい現実のようです。


それは、善意の気持ちで相手に譲ればいつかはわかってくれる、沈黙を守っていればいつか世界は忘れてくれるというような生易しいものでは決してありません。


朴クネが大統領就任後に言った驚くべき言葉を、私は決して忘れません。


日本は千年間加害者であり、我々は千年間被害者である と。


残念ながら半島と中国の方たちは、その外見とは裏腹に、我々日本人とは実は非常に異なった価値観の人達であるということを強く認識し、対応していかなければなりません。

日本人特有の、自己主張をしない人の良さは決して彼らには通じません。