高木貞治と言えば、半世紀前の我が学生時代の苦い日々が思い出される。彼の著書「解析概論」を買って、数学の基礎ぐらいは身に付けようとしたのだが、結局ほとんど目を通すこと無く埃まみれにしてしまった。難しかったのかどうかも覚えていない。大先生の名著を手許に置けば何がしかのご利益があるだろうと錯覚したものか。
西田幾多郎の名も数え切れないくらい目にし、耳にしたが、この大哲学者の著作も何一つ読んだ記憶が無い。大体、“キタロウ”と読むことを知ったのはせいぜい10年ほど前のことという恥ずかしさだ。そのくせ、逸話の類は結構読んだものだ。彼が必ずしも人格者とは言えなかったという恨み言めいた文章がやけに印象に残っている。
高木・西田の両巨人の意外な結びつきを高瀬正仁氏が「UP 2月号」に紹介している(高木貞治と西田幾多郎―――日本の近代数学は金沢に始まる)。大雑把に言えば、高木と西田は、加賀藩の数学者関口開を共通の学祖とするというものだ。
西田自身が“高木貞治において確立した近代日本の数学の学統は金沢から始まる。”と門下生たちに語っていたという。具体的には、高木が第三高等学校で大きな影響を受けた河合十太郎教授が金沢で関口門下であったことを指す。
西田がやはり関口門下の北條時敬教授に金沢で数学を教わっていたことから、両者の結びつきが始まる。尤も、西田には、微積分や行列式はあまり理解できなかったそうだ。