昭和15年の戦時歌謡「誰か故郷を想はざる」(作詞:西條八十、作曲:古賀政男、歌:霧島昇)、“タレカコキョウヲ~”と発音し、“ダレカ~”とは言わない。現代日本語では勿論“ダレカ~”と濁る。
辞書によれば、江戸時代には既に“タレ→ダレ”の移行が始まっていたとのことだ。二十世紀中頃でも誰(タレ)と読ませたのは、文語調の雰囲気を利用しようとの意図があったのだろう。
昨日取り上げた「川田正子孝子愛唱曲全集」に童謡「風」(西條八十/草川信)が載っており、“たーれが かーぜを みーたでしょう”とかな書きされている。
歌詞の発表は1925年だとのことで、少し古いが、それでも、日常会話では“ダレ”と発音していたのではないだろうか。詩語として“タレ”と読ませたのだろう。
もう一つ「あの子はたあれ」が載っている。細川雄太郎/海沼実で1939年(昭和14年)に作られたという。
“あの子はたあれ たれでせうね 、、、、”と書かれている。濁らずにそのまま澄んだ発音で歌ったに違いない。当時の人たちには違和感は無かったのだろうか。
今、我々がこれらの童謡を歌う場合は、“だーれが かーぜを”“あのこはだーれ だれでしょね”と発音する。
ところが、「誰か故郷を想はざる」は“たれかこきょうを”と歌う癖がついている。慣れの問題でしかないと思える。
統一性に重きを置くならば、原発音を踏襲するのが賢明に思われるが、それでは歌い難いとか、そもそも原発音を知る人が稀になってきているとかの事情があって、建前通りには行かないだろう。