「従軍歌謡慰問団」(2013/2/16(土))の《第七章 古関裕而と「大南方軍の歌」》に「サラスポンダ」が出て来る(p.132)。日本放送協会が1942年10月から翌年1月に掛けてシンガポール、ビルマ、インドなど南方の戦地に派遣した慰問団の経験をまとめた部分である。
これに参加した古関裕而を軸に記述しているが、一行がシンガポールから帰国する船の上でのエピソードとして、「サラスポンダ」を歌ったと書かれている:
帰路の客船「安芸丸」の船倉には、オランダの将校の一団が捕虜として閉じ込められていた。、、、慰問をしてやろうということになった。
船倉の蓋を開けた。、、、みんなで船倉の周りを取り囲んで立った。内田栄一がオペラやアリアを歌った。捕虜の中に歌のうまい将校がいて、船倉から歌い返してきた。両方から拍手が沸き起こった。
最後はオランダ民謡の「サラスポンダ」をお互い、船倉の上と下で声を上げて歌った。「サラスポンダ サラスポンダ サラスポンダレッセッセ」
これが事実なら、「サラスポンダ」の起源を探る重要な手掛かりになる。前に(2013/2/7(木))書いたように、この歌のオランダ起源説は大いに疑問であり、英語での初出が1944年頃であるというのが今のところ確からしいのだ。
日本人やオランダ人が1943年の1月に“みんなで”これを歌ったのが事実なら、そのかなり前から歌われていなければならない。オランダ起源説にも敬意を払わなければならない。
本書「従軍歌謡慰問団」には、個々の記事に出典を記していないので、確認できないのがもどかしい。