20世紀文明論(1):生活革命①「異常な世紀」・・・❶ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 これまでブログで連載してきた国際政治学講義の中で、国際政治という観点から「20世紀の意味」について考察してきた。歴史をふり返りながら、20世紀は、①世界戦争の世紀、②社会主義の世紀、③ナショナリズムの世紀であるという三点の指摘を行った。

 引き続き別の観点から20世紀の意味について考えてみよう。私たちの身近な生活という視点から見ると、20世紀は「異常な世紀」だったことが分かる。

 この百年の私たちの生活の革命的変化は、科学技術の進歩によるところが大きいが、その変化の激しさに人類が適応したことは驚くべきことである。

 私は、1948(昭和23)年に北九州市に生まれたが、小学生の頃には、竈で薪を燃やし、炊き釜でご飯を炊いていた。つまり、これは弥生時代以来日本人が実行してきた通りの伝統的な炊飯の方法である。

 ところが、その後、電気釜が発明され、1921(大正10)年に日本初の炊飯電熱器が、1924(大正13)年に電気釜(「電化がま」と呼ばれていた)が、戦後の1955(昭和30)年に国産初の自動式電気釜が発売され、その後、高度経済成長とともに爆発的に普及していった。

 スイッチ一つで電気の力で自動的にご飯が炊けるようになり、まさに生活の革命が起こったのである。私の小学校時代の日課は、学校から帰ると夕飯を竈で炊くことであった。薪の火の強弱など微妙な調整が必要で、今でもそれを覚えている。だから、いつでも古代日本人と一緒に炊飯ができる。電気釜しか知らない今の若い人には無理であろう。

 我が家が電気釜を購入したのは、私が10歳の頃だと記憶している。それ以来、夕方の飯炊き係から解放されて、日暮れまで外で遊ぶことができるようになり、喜んだものである。

 20世紀が生活革命の世紀であったことは、メディアの発達を見てもよく分かる。ラジオもテレビも20世紀の産物であり、さらにコンピューターが情報通信革命をもたらした。1901年にマルコーニがイギリスーカナダ間で無線電信に成功したが、これは20世紀の幕開けを象徴している。

 ラジオ放送は1920年に、テレビ放送は1939年に、ともにアメリカで始まった。今では、テレビは地上波にとどまらず、衛星を使ったBSやCSが急速に広まっているし、パソコンやスマホでインターネットを駆使して、世界中で情報の受発信が可能になっている。