お金がない人はお金さえ手に入れば幸せになれると考え、病気の人は病気さえ治れば幸せになれると考えます。
恋人がいない人は恋人ができたら幸せになれると考え、イヤイヤ誰かと付き合っている人はその人と別れたら幸せになれると考えます。
監獄に入れられた人はそこから出られれば幸せになれると考え、戦禍に見舞われたら平和にさえなれば幸せになれると考えるでしょう。
しかし本当にそうだろうか?
見えない。
聞こえない。
話せない。
そんな三重苦であったヘレン・ケラーは生前「障害は不便ですが不幸ではありません」と言いました。
人は幸せを目標として追いかけているうちはその幸せが美しく見えるものです。
しかし一度それを手にしたらその瞬間から色あせ始める。
なぜなら幸せへの憧れがある時は輝いて見えていたとしても、そこに辿り着くとその瞬間からそれはありきたりの日常に変わってしまうからです。
そしてまた別の幸せを追い求める。
夢見てた幸せに辿り着くと幸せでなくなり、これを僕は「幸せのパラドックス」と呼んでます。
そんな事を繰り返していてはいつまで経っても幸せにはなれません。
なぜなら幸せというのはゴールにあるのではなく、そこへ向かうまでのプロセスの中にこそあるのだから。
幸せはなるものじゃなく、気づくもの、感じるものです。
それは決して手に入れたり、辿り着く場所なんかではないのです。
だから今ある幸せに目を向けよう。
何かがないのは不便かもしれないけれど、それで不幸とは限らないのだから。