私たちは時に周りに流されて自分の基準を忘れ、誰かの尻馬に乗ってしまう時があります。
真実かどうかわからぬまま誰かが悪いと責めたり、分別を忘れて面白おかしく騒ぎ立てたりもします。
しかし私たちにとって大切なのは「誰が悪い」ではありません。
“自分がどうあるべきか”なのです。
人は立場や状況が変わればたとえ同じモノを見ても違って物事が見えたりするものです。
それがわからずに「自分は間違っていない」と思い込んだり、自分を疑う事を忘れてはいけません。
なぜなら人は「自分が正しい」と思うと攻撃的になるからです。
人は自分は正しいという思いが強くなればなるほど自分の中の攻撃性が見えなくなり、“正義の側”に立つと人は相手の気持ちに対して無慈悲になります。
だからそんな時こそ冷静になって違った角度から物事を見てみる事が大切です。
聖書には「人を裁くなかれ!」とあります。
自分を正義の側に置いて人を裁く人は自分の正義に酔いしれているだけで、自分も過去に間違ったりしていても「自分が今は間違っていない」とすました顔で正義の味方気取りになります。
しかし自分だって完ぺきではないとわかっている人は正義の刃で人を攻撃したりなんかしません。
人生では「良い」とか「悪い」だけでは裁けない“深み”というものがあるのだから。
聖書にある「人を裁くなかれ」の後には「しからば汝らも裁かれざらん」と記されています。
人を裁く者はいつか自分自身が裁かれる側となり、自分の行いは巡り巡って自分に返ってくるでしょう。
誰にだってそれぞれの正義はあるものですが完ぺきな人間なんて存在しないので、もし誰かを攻撃してしまいそうな時は「自分だって完ぺきではない」という気持ちを忘れないようにしよう。
自分を含め、人は誰だって完ぺきじゃないと知っていれば、良いとか悪いとかだけで他人を裁いたりもしないはずだから。