中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

中村幸也のブログ

2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

はじめまして「ゆきやん」こと中村幸也です。


2011年2月からブログをはじめ、

1日も欠かす事なく毎日更新中!


「あきらめる勇気(ハート出版)」
という本も出しており、全国の書店で発売中です。


ぜひ、読んでみてください(^^)/


あきらめる勇気

何か問題があるからといって決断を先延ばしにしていてはいけません。

 

なぜなら、決断を先延ばしにしてもすべての問題が解決する事はそうそうないのだから。

 

あらゆる問題に対する解決策がわかるまで決定するのを待とうとする人がいますが、決定するのを待つというのは問題ばかりに目を向ける事にもなります。

 

問題に意識を向けてばかりいると今度は可能性が見えなくなります。

 

 

すると永遠に決断できなくなるのです。

 

 

可能性を追いかける事のできる人というのは常になんらかの問題がある事を理解しています。

 

完ぺきな状態なんて存在しません。

 

そう知っているからこそ、潔く決断する事ができるのです。

 

決断を先延ばしにする人は、実は「先延ばしにする」という決断をしているのです。

 

実際は決断を先に延ばしても問題は解決するどころか新たな問題を生むだけなのです。

 

 

だから不完全でも先へ進もう。

 

 

すべての問題が解決するまで決断を先延ばしにしてはなりません。

 

何か問題があるからといって決断を先延ばしにしていてはいけません。

 

決断して先に進むからこそ問題は解決へと向かうのだから。

 

決断するのを待たないで前へ前へと進んでいきましょう。

 

 

何かをしようと思った時、「自分にはそんな資格はないから…」と考える人がいる。

 

「自分には人に教える資格はない」とか、「自分にはこんな事をする資格はない」とか。

 

こういった控えめで謙虚な考え方は、日本人にありがちな考え方だ。

 

確かにこういった考え方の中には、「もっと成長しよう」といった成長意欲に繋がる良い面もある。

 

しかし「自分には資格がないから教えられない」と考えてしまうと消極的になる事が多い。

 

 

考えてみてほしい。

 

 

分別を知らない子どもに何か教える大人たちは皆、「はい、あなたは教える資格を得ましたよ」という資格をもらった人だろうか?

 

たとえば親でもない大人が子どもが良くない事をしているのを見て、「そういう事はしないほうがいいよ」と注意するのに“資格”は必要だろうか?

 

もし「自分にはそんな資格はない」と言って、悪い事をしている子どもを放置していたら、大変な事になってしまうだろう。

 

つまり「それ」をする資格なんてないし、誰もあなたに「それ」をする資格は与えてくれない。

 

 

自分が自分に「GOサイン」を出せばいいだけだ。

 

 

もちろん医者とか弁護士になるには、国家資格は必要だし、資格がなければできない仕事もあるのは確かだ。

 

しかしそういったケースではない限り、他人があなたに資格を与えてくれるなんて事はない。

 

他人から認められたら出来て、認められなかったらできないというのは“他人の承認”を求めているだけなのである。

 

あなたがやりたい事に挑戦するのに、誰かの承認が必要だろうか?

 

もしそうじゃないなら他人の目なんて気にしないで、自分で自分を認めてあげればいい。

 

 

なぜなら、別に世間的に「立派」と言われるような肩書きなんかなくても、自分のやりたい事に挑戦できるし、人の為に何かをする事だってできるのだから。

 

 

だから「自分にはそんな資格がないから…」と言う前に自分の気持ちを大切にしよう。

 

あなたの経験から得た知恵を必要としている人もいるし、あなたの言葉で救われる人だって、必ずどこかにいるはずだから。

 

お金がない人はお金さえ手に入れば幸せになれると考え、病気の人は病気さえ治れば幸せになれると考えます。

 

恋人がいない人は恋人ができたら幸せになれると考え、イヤイヤ誰かと付き合っている人はその人と別れたら幸せになれると考えます。

 

監獄に入れられた人はそこから出られれば幸せになれると考え、戦禍に見舞われたら平和にさえなれば幸せになれると考えるでしょう。

 

 

しかし本当にそうだろうか?

 

 

見えない。

聞こえない。

話せない。

 

そんな三重苦であったヘレン・ケラーは生前「障害は不便ですが不幸ではありません」と言いました。

 

人は幸せを目標として追いかけているうちはその幸せが美しく見えるものです。

 

しかし一度それを手にしたらその瞬間から色あせ始める。

 

なぜなら幸せへの憧れがある時は輝いて見えていたとしても、そこに辿り着くとその瞬間からそれはありきたりの日常に変わってしまうからです。

 

 

そしてまた別の幸せを追い求める。

 

 

夢見てた幸せに辿り着くと幸せでなくなり、これを僕は「幸せのパラドックス」と呼んでます。

 

そんな事を繰り返していてはいつまで経っても幸せにはなれません。

 

なぜなら幸せというのはゴールにあるのではなく、そこへ向かうまでのプロセスの中にこそあるのだから。

 

幸せはなるものじゃなく、気づくもの、感じるものです。

 

それは決して手に入れたり、辿り着く場所なんかではないのです。

 

 

だから今ある幸せに目を向けよう。

 

 

何かがないのは不便かもしれないけれど、それで不幸とは限らないのだから。