こんばんは!yui-yuiです!( ・ㅂ・)و ̑̑
さて、本日は、我が敬愛してやまない、椿冬華さんの小説!
『魔女は老紳士を嘲る。』
の感想です!( ・ㅂ・)و ̑̑
魔女は老紳士を嘲る 著:椿 冬華 様
さて、今年になって知り合った椿冬華さんの作品。
わたしは
『さいはて荘』
日常/グルメ
多重世界/冒険
英雄譚/チート
と読ませてきていただき、すっかり冬華さんのファンになってしまいました。
その冬華さんの新作。二〇一九年最後の作品です。
魔女という存在が世界を、人々を脅かす世界。
ただそれは、漫然と、子供向けの勧善懲悪の物語のような、悪の象徴という訳ではありません。
社会現象として、しっかりと、全世界に魔女という存在が知れ渡り、世界もそれに併せた動きが見られる世界。
国際魔女法によって魔女に人権が認められた世界。
国連とICPOによって創立された組織、WHO(Witch Healthcare Organization)魔女救済団が存在する世界。
それでも、魔女という『存在』が人々を脅かす世界。
この物語では、厳密に言えば魔女は絶対悪として存在している訳ではありません。
言ってしまえば、魔女そのものも被害者、と呼べなくもないのです。
この物語のキーワード『人間は死ぬが、魔女は死なない。』この言葉の捉え方で、この物語に登場する誰の視点に読者が寄るか。
そんな、読む側の想像力を掻き立て、選択を迫られるようなシーンさえあります。
切迫した状態の中でテンポよく進むお話は、前作『死の物狂いの英雄』でも展開されましたが、『死の物狂いの英雄』はあくまでも三人称。神社戦ちゃんも、レドグリフ・キリングフィールド中将も、周囲のことなどどこ吹く風。ある意味では冬華さんの作品の中では一番自由な主人公達だったかもしれませんが()二人を描写する視点は、一般人であったり、ジャーナリストであったり、本人以外の視線でした。
しかし今回は一人称にも近い二人称とでも言えば良いのか、ともかく、主人公である葉月言継ちゃんを中心に、物語が展開されます。
冬華さんは『視点の違い=思いの違い』という見せ方が本当に上手な方ですので、そこをして物語を読むと、椿冬華という一人の人間が、何を伝えたかったのか、が、もしかしたら、少しだけでも垣間見えるかもしれません。
さて、もう少しお話寄りの事を書かせて頂きますね。
( ・ㅂ・)و ̑̑
まず最初に、この物語の主人公、葉月言継ちゃんは、言葉の魔女。そして嘲りの魔女と言われる存在で、その名に恥じぬ、スーパードSな性格です。
そもそもこのお話の魔女たちは、精神体のようなものでもあり、人に憑依します。
(憑依という表現が正しいかはちょっと自信がありません)
実際に人類の歴史で恐れられた偶像の魔女のようでもあり、また、昨今のファンタジー小説に登場するような女性の魔法使いに近い理解でも良いかと思います。
魔女たちは、人間に憑依し、その人間の身体が朽ちる前に、他の人間の身体に、魔女の精神を継承させることにより、生きながらえます。
先ほど書きました『人間は死ぬが、魔女は死なない。』というのは正しくそれです。
しかし、継承が出来なかったり、巧く行かなかったり等で人間の生命力が尽きそうなとき、魔女の精神が蝕まれ、ついにはその持てる魔力を暴走させてしまいます。
現代においてはその『暴走』こそが、人々にとっての脅威であり、畏怖の対象となっています。
国際魔女法にて人権を与えられた魔女は、暴走した際にWHOに存在する『制圧隊』に『封印』されることになります。
勿論、人権を与えられていますので、各国の管理するところ。例えば仮に、魔女の身体に重要な疾患などがあった場合、WHOに『生前封印』を勧められたり、強制的に封印されたりもするようです。
封印は、生きながらにしてコンクリート詰めにして海中深く沈める、という、まさしく魔女裁判における拷問の一つのような手口です。
ですが、自らが持つ魔女の力を危険視し、自ら封印を望む魔女もいるのは確固たる事実としてあります。
お話を読むにあたり、どうも個人的所感としては憑依された人間の個性は、どこか、根底に欠片程度には残っているものか、と思われます。
そして最初に戦うこととなる図書館の魔女改め『腐蝕の魔女』こと高無亜理子。
彼女は、いつもなぜ自分ばかりが……と嘆いてばかりの魔女だったと言います。それでも与えられた仕事はしっかりとこなすし、魔法で悪さをしでかす訳でもなく、ただただ、嘆いている女性だったようです。
その嘆いてばかりの魔女が、魔法を行使して世の中を滅茶苦茶にしたい、と思わなかったのは、魔女の意志なのか、それとも高無亜理子の人間としての意志だったのか。
魔女の能力、いや、魔女そのものを継承する能力を持つ言継ちゃんに、『腐食の魔女』は継承されますが、その時、人間である高無亜理子の本性が現れます。
ありがとう、とそう言継ちゃんに告げ、逝きます。
この冒頭の第一戦は、この『魔女は老紳士を嘲る』という物語のの、重要なレトリックを含めたメタファーでもあります。
次の魔女の暴走はドイツでおこります。
ここでWHO制圧隊との初の邂逅。
副隊長でもある、ヒロイン()プライド・ラストリアルさんの登場です。恐らく彼は、誰がどう見てもヒロインですw
それはさておいて、彼は家族を魔女に奪われました。故に、激しく、文字通り、魔女を殺人的に憎んでいました。
暴走した魔女を抑え、継承し、開放するために来た、言葉の魔女、言継ちゃんですらも、例外ではありません。
それどころか、言継ちゃんは『嘲りの魔女』でもあり、超スーパードSな言動しかしない(できない)魔女です。
最初の邂逅の後の、言継ちゃんとプライドさんの罵り合い()はもはや殺人的。
テンポ良く、打てば響く皮肉悪口の応酬は、読んでいて面白いくらいで、ユーモアも忘れない冬華さんの”らしさ”が良く出ています。
言継ちゃんの『嘲り』は留まることを知らず、かち合うたびに、プライドさんとの罵り合いがあります。
ですがその嘲りは魔女だろうが、一般人だろうが、WHOであろうが、妹のために生涯を持って救える手立てを探している実兄、伝継さんであろうが、同じなのです。
WHOの制圧隊には言継ちゃんの兄、伝継さんも在籍しています。
兄ばかな伝継さんの存在は、ダークファンタジー寄りのこのお話では心地良いコメディリリーフ的な存在でもあり、冬華さんの各作品に登場する『兄』という立場のキャラクターの中では、一番かわいい()人だなぁ、とわたしは思いましたw
彼のお陰で、重苦しいだけのお話にはならなかったと思います。
コメディリリーフ的な意味だけではなく、実際にプライドさんと同じく最重要人物の一人ですね。
そしてその言継ちゃんの『嘲り』が葉月言継という人間の感情ではない、ということが、物語が進むにつれて次第に判って行く。
魔女のせいで、ありがとうと言いたくても表情には嘲笑が浮かんでしまう。
辛い、と言いたくても、罵詈雑言が口からついて出てしまう。
物語が進むにつれ、読者が言継ちゃんを理解して行くように、WHOの面々も少しずつ言継ちゃんを理解して行く様は、とても心地が良く、素直に、ここまで頑張ってきてよかったね、と思えるシーンに少し涙ぐみました。
それは、プライドさんと言継ちゃんの距離を詰めるステップでもあったように思います。
顔を合わせれば魔女を嘲るプライドさんを嘲り返す。
戦闘になれば、互いがお互いをフォローし合う。
それは、プライドさんと言継ちゃんの間でしか成り立たない、ディスコミュニケーションという形でしか成し得なかったコミュニケーションなのではなかったのか、とわたしは思います。
「お兄ちゃん許しません!」
や、可愛いけど伝継さんは黙っててw
プライドさんと言継ちゃんの後半の展開は暖かなもので、WHOの面々も魔女と人の有り方を本当に理解し、自らの持てるすべてを言継ちゃんのために使うと決意したところなども涙を誘う展開でした。
そしてプライドさんと言継ちゃんのお互いを思う気持ちの強さ。
齢五〇を過ぎ、一人の愛する女性のために生涯をささげた男の生き様。
その生きざまに応えた言継ちゃんの生き様。
魔女に対する誤解と風評を失くそうと東奔西走したWHOの面々。
誰かのために、自分ができることは何か。
何かを変えるために、自分がすべきことは何か。
そうした思いを、誰一人強制されることなく、流されることなく、自分が考え、自分の意志で決断します。
当たり前のことですが、誰もが必死で、誰もが覚悟を持ち、生きています。
そう、当たり前なんです。
冬華さんの作品に登場する人物は、いつでもみんなが必死に生きています。全力で生きています。
それは勿論、作者である冬華さんがそうなのですから、当たり前なのです。
いつもその冬華さんの姿勢に、力をいただける気がしています。
でもそれは実は、わたしが冬華さんを敬愛するのとはまったく別の事象でして、実際に力を貰えている訳ではないのです。
わたしが大好きな作品のセンテンスに
『勇気なんてものは人から与えてもらうもんじゃない、自分の中からしぼり出すもんだ』
というものがあります。
自分がこう、と決めなければ、どんな作品だって、どんなセンテンスだって、嘘になってしまいます。
色んな作品に触れて、奮い立たされるものもありましょう。
このままではいけない、と思うこともありましょう。
でも、そこで何かを変えて、決定しなければ、結局、この作品に力を貰いました、と言っているだけで何も変わらない。
自分の行動を、誰かのせいにしてはいけない。
そんな気持ちをいただいて、私も自分の創作に向かいます。真っ向勝負です。
あぁいやいや、わたしのことは脇に置いておきましょう。
この作品は大団円のハッピーエンドではありません。
わたしはこの年になるまで知らなかったのですが『メリーバッドエンド』というものがあるそうで、まさしくそれに当たります。
これはご本人も仰っていました。
どこに読者の主眼を置くかによって、随分と結末の印象は変わります。
ですが、それこそがこの物語のすべてでもある、とわたしは思いました。
繰り返される終わりと始まり。始まる魔女の夢と終わる魔女の夢。
その壮大なる物語の一部始終。
その物語の中に生きる、WHOのそれぞれ、言継ちゃん。一人一人の魔女。
そしてあるはずのないことにしてしまった紡継ちゃん。
彼女の決断を持って、物語は始まり、そして終わり、そして始まります。
この世界線のお話も非常に気になるところではありますが、それが『無い』ことが『魔女は老紳士を嘲る』です。
今までの冬華さんの作品とは違くもあり、あぁ、冬華さんの作品だ……。
と思わせてくれる、今回も本当に素晴らしい作品でした。
わたしもファンタジー小説を書くにあたり、魔術のことに関しては少し勉強はしました。
セイラムの魔女裁判や魔女の鉄槌のことも調べたことはありますし、魔女裁判における魔女は、男性でも魔女と断定され、拷問を受けた歴史もあるそうです。
そんなおどろおどろしい予備知識を払拭させつつ、それでも魔女という存在を匂わせるやりかたは、わたしのような半端なファンタジー好きの心をくすぐるものでもありました。
結果としてまたしても、やられた!と思う、素晴らしいお話でした。
今回も、素晴らしいお話をありがとうございました!
( ・ㅂ・)و ̑̑
そしてお疲れさまでした!
さぁさぁそれで!
二〇二〇年から、早くも新作!
そ!れ!も!
我が冬華さんのファンになったきっかけの作品、『さいはて荘』の続編。
さいはて荘・夏
なとぅ!( ≧▽≦)و ̑̑
二〇二〇年初っ端から楽しみが……!
しかも冬華さん、書いていて楽しい!と御身自らが仰っているほどの作品!
これは期待が高まるというものです!
さいはて荘の主人公もあだ名ではありますが、魔女。
毎度こんなにも楽しく、素晴らしく、美しい作品を創造される冬華さんこそが、現代の魔女!かもしれませんね!
さいはて荘・夏、楽しみにしております!
では、また!( ・ㅂ・)و ̑̑