北陸トンネル火災事故と寝台特急「日本海」列車火災事故 | 横山歯科医院

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[北陸トンネル火災事故と寝台特急「日本海」列車火災事故]

(Wikipedia)


<寝台特急「日本海」列車火災事故>
1969年にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が発生
したが、この時は列車乗務員が機転を利かせて、当時の規程を無視して列車を
トンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。

このため死傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこれを「規程違反」と
して乗務員を処分し、運転マニュアルの見直しを行っていなかった。

そのため下記の急行「きたぐに」は、長大トンネルの中間で規程どおりに停止
せざるを得ず、「北陸トンネル火災事故」では大惨事を惹起した。

北陸トンネル火災事故後、「日本海」の乗務員に対する処分は撤回されて
いる。



<北陸トンネル火災事故>
北陸トンネル火災事故は、1972年11月6日未明に福井県敦賀市の北陸本線
敦賀駅-南今庄駅間にある北陸トンネル(総延長13,870m)で発生した列車
火災事故のことである。
火災対策の不備により、乗客乗員に多数の死傷者を出す大惨事となった。
(30人が死亡し、714人にものぼる負傷者を出す事態となった)


午前1時9分頃、北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き急行「きたぐに」
(EF70 62牽引、10系客車15両編成)の11号車食堂車喫煙室椅子下から
火災が発生。
それに気付いた乗客からの通報を受けた車掌の非常ブレーキ操作と機関士の
非常停止措置により、列車は運転規定に基づいて直ちに停車した。
(敦賀側入口から5.3km地点)

乗務員は列車防護の手配(対向の上り線に軌道短絡器を設置し、信号を赤に
する)を行った上で消火器等で消火作業を開始したが、火勢が強まり鎮火は
不可能と判断したため、車両の切り離し作業に取り掛かった。
火勢の激しさとトンネル内の暗闇で作業は難航。
1時24分頃火災車両より後部を切り離し移動した後、1時29分頃トンネル
両端駅である今庄、敦賀両駅に救援を要請するとともに、引き続き火災車両
より前部を切り離す作業に取り掛かった。
しかし、1時52分頃熱でトンネル天井に設置されていた漏水誘導用樋が溶け
落ち、架線に触れてショートを起こし停電したため、列車は身動きが取れない
状態に陥った。

深夜帯に発生した事故であり、列車編成前部に連結されていた寝台車では
多くの乗客が就寝中であったこと、煙がひどかったことなども影響し、避難
救助は難航を極めた。

列車の停止した個所がトンネルのほぼ中央で乗客が徒歩で脱出するには
あまりにも遠かったこと、消火器以外に消火設備が全くなく、当時の消防は
排煙車もなく、消火のためのホースをトンネル内に延展することもできず
消防ができる消火作業は何もなく、救助に行くことしかできなかったと
される。
救助に向かうにしても、消火に向かうにしても厳しい条件下での事故だった。

当時、国鉄は電化のトンネル内で火災は発生し得ないとしていた立場から、
排煙設備や消火設備を一切設置せず、またトンネル照明も労働組合から
「運転の妨げになる」という反対があったため消灯していた。

事故の通報を受け、トンネル両側より救援列車が運転されるなどしたが、
火災が深夜、無人状態の食堂車で発生したため発見・通報が遅れたこと、
火災車両から発生した猛烈な煙と有毒ガスが排煙装置のないトンネル内に充満
したこと等の悪条件が重なり、結果として30人(内1人は指導機関士)が
死亡し、714人にものぼる負傷者を出す事態となった。
死者は全員が一酸化炭素中毒死と断定された。


同時刻に上り線を急行「立山3号」(475系電車)が走行していたが、軌道
短絡器設置による赤信号により事故現場から約2km手前の木ノ芽信号場で
停止した。
その後、軌道短絡器が軌道から外れ(避難者が蹴飛ばしたものと推定される
が、最終的に原因は不明)、信号が青になったが、運転士は異常を感じつつも
徐行で出発させた。
300mほど進んだところで「きたぐに」から逃げてきた乗客を発見したため、
ドアを開放し225人を救助、その後トンネルを今庄側に逆走して脱出に成功
した。

「立山3号」にとって幸運だったのは、事故現場との間に交・交セクションが
存在していた事である。
この為、「きたぐに」の停車区間では停電していたにもかかわらず、今庄方に
わずか2kmほどの「立山3号」の位置では給電が継続されていた。


なお、漏水誘導用樋が溶け架線に触れ停電した点については、その後の熱で
再度架線から外れてショートが解消されたため、死亡した指導機関士が連絡を
した時、送電を再開すれば自力脱出が可能であったのではという意見がある。
しかし、事故発生時の状況から停電の発生原因の把握は困難と思われ、
再送電による2次被害が起きる可能性を考慮すると、送電再開を断念する
判断は止むを得なかったと考えられる。


多数の犠牲者を発生させた結果責任として、機関士と専務車掌の2人が業務上
過失致死傷罪で起訴された。
トンネル内で列車を停止したのが被害を大きくしたなどといった理由により
長期裁判となって争われたが、1980年11月25日に金沢地方裁判所で下された
判決では、事故当時乗務員のとった行為は「規程を遵守し最善を尽くした」と
され、また車両の切り離し作業におけるブレーキ管のホースの切り離し等、
機関士にとって不慣れな作業による遅れは「許される範囲」として、2人とも
無罪が確定した。

しかし、前述の寝台特急日本海火災事故後も、運転マニュアルを改訂せず放置
した国鉄幹部の責任が追及されることはなかった。