最近、松山ケンイチや東出昌大が

いっぱいテレビ出て宣伝してます、

映画 聖の青春 ですが

 

実に残念な出来でした。

今年見た映画の中で最低です。

 

中途半端なんですよね。何を訴求したいのか

全然わからない。

 

将棋を知らない若い女性が見たところで

たぶんわからないです。

「ガンに侵された、強い棋士がいました」

ということしか伝わってこない。

 

逆にですよ。

事実を知っている人が見ると

非常に不快なんです。

フィクションの部分が多く

何よりも

「変えちゃいけない部分をフィクションにしている」

のが腹立たしいです。

 

私も、リアルタイムで村山さんの記憶がありますし

2001年1月6日に放送されたドラマも見ました。

「驚きももの木20世紀」や「知ってるつもり」でも

採り上げられましたが、もちろん見ました。

そして大崎さんの原作も読んでいます。

 

こういう人が見に来たらどう思うか

何も考えてないんでしょうね。

 

まず登場人物の名前。

有名どころ以外は、ちょこちょこ変えています。

ヒドいのが先崎学さんを演じた柄本時生。役名は

荒崎学ですけど、先崎さんとあまりに違いすぎます。

滝誠一郎さんを安田顕がやるのもどうかと思いますけどね。

 

それから、染谷将太が演じる江川。

実際は、加藤昌彦さんという先輩です。

四段になれなかった際、酔った勢いとは言え

先輩に対して「負け犬」と言ってしまう。

善悪はともかく、それが村山聖の生き様なんです。

映画のように弟弟子をなじったところで

なんにも面白くないですよ。

 

最悪なのが、羽生さんとの対局の設定。

まず、伝説の「7五飛」が出た対局は、1997年2月28日に

行われた、竜王戦1組の1回戦です。

これが映画では、大きな大会の決勝戦になっていて

しかも、打ち上げを二人で抜け出して近所の飲み屋で

ビールを酌み交わすシーンまであります。

 

こんなこと、あるわけないでしょう!?

 

しかもですよ。

「死ぬまでに一度でいいから女を抱いてみたい」

ってね。この発言自体は本当にあったものですが、

もちろん、羽生さんの前で話すわけがありません。

 

そして最後の対局。

映画の設定では棋聖戦でしたが

棋譜がNHK杯決勝でした。

私は途中で気付いて、舌打ちしてしまいましたよ。

 

このNHK杯については有名ですね。

村山さんが無理気味の攻めを敢行し、

羽生さんの反撃に遭いますが

それを受けきったかな?と思ったところでミスをして

その後、三手で急転直下の終局となりました。

 

今にして思えば

この対局に勝っていれば、人生の最後でNHK杯優勝、

そして羽生さんとの対戦成績も負け越さずに済んだ

わけですが

これはあくまで結果論。

 

村山さんにとっては

この敗北は、さほど重要な意味は持っていませんでした。

終局後のインタビューの様子からもわかりますよね。

 

命よりも将棋を優先するところがあった村山さんですが

この頃(1998年初頭)は気持ちに変化が出てきています。

 

1998年4月から1年間、休場を申し入れたわけですが

「命のほうが大切」と、師匠の森さんにも話しています。

1998年版「将棋年鑑」のプロフィールにおいて、

「今年の目標は?」との質問に対し「生きる」と回答しています。

 

実際には1998年8月に亡くなるわけですが

1999年4月にはA級棋士として臨み

2000年春には名人戦の挑戦者

という青写真があったはずです。

 

B級1組からA級への復帰を果たし

その手ごたえを感じていたと思います。

NHK杯決勝も内容的に勝っていたわけですから

村山さん本人にとっては、それほど重い負けでは

なかったはずなんです。

 

それを映画で重々しく長時間展開する。

見たくなくなったので舌打ちしました。

 

要はですね。

 

村山さんを含め、キャラが変わっちゃってるし

伝えなければいけないことを伝えていないんですよ。

 

 

村山聖という人間を語るポイントとしては

 

①幼少期、ネフローゼになってしまう

②病院で、同じ年ぐらいの子供の死に直面する

③森信雄六段(当時)に入門した後、師弟関係が

 逆転したように、森さんが献身的に面倒を見る

④その結果、奨励会入会から3年弱(羽生谷川を

 上回る速さ)で四段になる。

⑤目上の人にも臆することなくモノを言う

⑥体調不良で不戦敗が多くなる。体調不良をおして

 対局することも多かった。

⑦四段になった後も、森さんは献身的に面倒を見た

⑧同年代の棋士から好かれていた

⑨命の短さを自覚し、焦燥感があった

⑩病気や死に向き合う姿勢

 

ちょっと考えただけでも、これだけ出てきます。

しかし映画では、これらのポイントにはほとんど

触れられなかったり薄かったりします。

 

映画終盤に、「自分の葬儀を密葬にしてほしい」

と父親に頼むシーンがありますが

 

ここもすごく軽いんです。牛丼食べながら談笑する

中で話しています。

大事なところなのに、軽くしてしまっているんです。

 

村山さんは命の短さを自覚しており、平成元年に

20歳の誕生日を迎えた際、

「20歳まで生きられると思っていなかった」

と森さんに伝えます(このシーンは映画にはありません)。

 

しかし、自分の死を受け入れるのは簡単ではありません。

なぜ密葬にしたいと思ったのか。

2001年のドラマでは

「(死を)認めたくないから公表したくない」

と父親に訴えるシーンがあります。

 

実際、8月8日に亡くなられた後

公表されたのは3日後でした。

 

映画では、森さんより先に羽生さんが弔問したことに

なっていて、心の中で大声でツッコミを入れましたよ。

 

おそらくですね。

2001年のドラマ、驚きももの木20世紀、知ってるつもり

とは違うテイストにしたかったんでしょう。

 

それで、1994年以降に絞っているわけですが

 

「羽生さんのライバル」という図式にこだわりすぎて

いるんですよ。

確かに、羽生さんとの直接対決では互角でしたが

タイトル戦挑戦は、1992年の王将戦(相手は谷川さん)

しかありません。

「ライバル」とするのは、羽生さんに対しても村山さんに

対しても失礼です。

そして結果的に、中途半端な作りになってしまいました。

 

エンドロールの最後に

「フィクションであり、事実と異なる部分があります」

って表示されるんですが、実に姑息です。

 

大事なところを変えてまでフィクションにしたいのであれば

「村山」「羽生」という名前から変えればよかった。

しかし、役作りのために太った松山ケンイチや、

所作を見事に模倣した東出昌大に対して、それじゃ

申し訳立たないですよね。

 

といいますか

「何が大事か」をわかっていない連中が製作している

と思うと、とても不愉快になります。

 

 

まだ言い足りない感じですが

 

将棋ファンであるならば

見に行かないことをお勧めします。