大沼克彦「文化としての石器づくり」 | 比々流のブログ

比々流のブログ

絵画・陰陽道・魔術・銀器などの話題をゆる~くつづってます。
※記事・写真等の無断使用は一切お断りいたします。

比々流の書棚には、なぜかこのような本も平気な顔して置かれている。ジャンル無茶苦茶すぎるだろ

 

さてこの本、本気の石器づくりの解説書である。おそらくは大学とかで、教科書として使われていたものが、紆余曲折を経て私のもとに来たのであろう。

 

石器など、よほど加工されたものでなければ、私には「ただの割れた石ころ」にしか見えない。博物館にあっても、そうなのだ。それでも、大沼先生の懇切丁寧な解説を読んでいると、何だかそれを手にした人々の生活がうっすらと読み取れる気がしてくる。

 

この「知識を積み重ねることによって、うっすらと読み取れる」という感覚は、人間の根源的な能力とどこかでリンクしていて、(私には霊感も超能力もないけれど、傍目にはそのように見える)能力をもたらすことが、ある。

 

野獣王国の資料に埋もれ、ライブレポートの記事の構成を考えつつ、ふとうたた寝したときに、夢の中で「あと一時間で、電車の時間だよ。早めに起きたほうが良いんじゃないの?」と、会場でリハをやっているはずの難波さんに、寝顔を思いっきり見ながらくすくす笑われるような。

顔は見えないけどナルチョの笑い声がする、と思っていたら本当にあと一時間で電車、という時間に目が覚めた。

 

大急ぎで身支度を整えながらも、「何かを読み取る力」の片鱗を垣間見てしまったような、何か落ち着かない気持ちになる。そんな時、遥かな太古の時代から吹く風を感じるのだ。