本音で生きる、ということがどういうことか。過去記事も参考になさってくだされば、それは単にわがままになる、ということではないことがわかるかと思います。

 

実際に本音をとことん出して生きている人は、あまりいません。社会という枠組みの中では簡単なことではないので、仕方ないですが、その本音を自分でさえ気付いていない、ということもよくあります。自分と向き合って、自分の本音にきちんと気付く、受け入れるという態度は大切かなと思います。

 

男性はとくに、あまり感情を人とシェアしない生き物です。そして男性社会は女性社会よりもどちらかといえば、枠組みがしっかりしていて、立場や面子がより強調されがちです。上下関係(年齢や役職など)も線引きがしっかりされますし、競争社会でもあるため、なかなか本音を出すこともできません。身近な家族に対しても、本音でなかなか語れない人は多いようですね。格好つけたい、とか心配させたくないなど理由はあるけれど、ここにもやはり自分の家庭内での立ち位置、役回りというのがあって、そこをとことん演じるわけです。

 

そんな男性がバディに対しては、安心感を持って本音を出せるのは、そうした社会的な枠組みとか概念とかを、出逢った瞬間から抜け出しているからです。相手のこともよくわからないうちから、個人的な感情(時には愚痴や弱音などのネガティブな言葉になることもあります)をさらけ出せる、というのはそうあることではありません。

 

逆にいえば、そうした本音がぼろぼろ出ることに恐れを感じる男性も多いだろうと思うのです。これまで、枠組みの中でしっかり自分の役割を担って、本音は隠して生きていた男性が、自分でも気付かなかったような、隠し持っていた感情を目の前にいる女性に対して表現し始めることで、これまで築き上げた立ち位置がぶれるように感じることもあるかもしれません。

 

ですが、初めの頃に出ている「本音」は、先日の記事で書いた泥だらけの野菜のようなもの。女性側が本来受け止め、育むのは泥をすべて落とした、魂の「本音」なので、それができるようになるまで、時間が必要になります。

 

もちろんそれは男性、女性ともに言えること。ただし、女性は泥だらけの本音をバディに限らず女友達や家族にもぶつけがちなので、特別恐れは感じないのだと思います。男性のほうに恐れが顕著に現れる理由がこんなところにもあるのですね。

 

両者、泥をしっかり落とした、本来の愛に基づいた「本音」に気付き、認めたとき、両者の本音がきちんと共鳴するのを感じるかと思います。このとき、本音にもたれあいはありませんが、同居することで大きく成長していきます。

 

With Love xoxoxo

May

 

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