セイウンスカイ物語 | 名馬物語 | トレンド競馬

セイウンスカイ物語

 4歳時(旧表記)のセイウンスカイは同情されるべき存在といえた。皐月賞を制し、ダービーは4着だったが菊花賞を世界レコードで圧勝。2冠を獲得すれば普通の年なら、その年最も活躍した馬として称賛されるものだ。それなのに年度代表馬のタイトル(タイキシャトル)はおろか、最優秀4歳牡馬(エルコンドルパサー)にも選ばれなかった。以前にはビワハヤヒデが菊花賞の1冠だけで年度代表馬に選ばれた例さえあったのだから、関係者にしてみれば忸怩(じくじ)たる思いがあったはずだ。









 裏を返せば、この年の4歳馬のレベルがいかに高かったかという証明でもある。エルコンドルパサーはNHKマイルCを勝ち、日本の4歳馬で初めてジャパンCを制覇した。グラスワンダーは有馬記念で劇的復活を果たし、スペシャルウィークはダービーを圧勝した。その3頭のどれが一番強かったかは対戦成績も少ないし、人それぞれ見解が異なるだろうが、今となっては「最強世代の3強」という評価が定まっている。すべてが引退したあと、セイウンスカイに対する評価はナンバー4で確定した。強すぎる世代に生まれた不幸を背負った名馬というしかない。









 だからといって、誰が2冠の価値を否定できるだろう? とりわけ、菊花賞では長距離レースの概念そのものを根底から覆してしまった。優等生や良家の坊ちゃん育ちには想像も及ばない、痛快極まる逃走劇。悪しきスローベース症候群の破壊に挑み、独創性あふれる名作を描きあげたのである。馬の素質を生かすも殺すも携わる人間次第という部分がある。裏方の役割に徹している調教助手が負う役割は決して無視できない。まして昨今は有力騎手の大半がフリー化したこともあり、騎手が1頭の馬をマンツーマンで教育するケースはほとんどなくなった。その馬がどれだけの素質を秘めているのか、どういう育て方をするのがベターなのかを判断するのに、普段の調教を担当する調教助手の経験は大きなウエートを占める。セイウンスカイが、保田一隆厩舎に移ってから間もないベテラン調教助手、青柳義博との出会いが幸運の扉を開くきっかけとなった。









 「背中がいい馬」。しばしば目にする表現だが、馬に乗ったことがない人間にはその感覚は分からない。青柳は初めて乗ってすぐ、セイウンスカイが傑出した潜在能力の持ち主であることを感じ取ったという。
 「特に評判とかは聞いていなかった。父親のシェリフズスターの名前ぐらいは聞いていたけど、どういう血統なのかもよく知らなかった。ただ、来て最初に見た時から他の馬とは少し体つきが違うなという感じはしていたんだ。牧場で乗り込んでいたからだろう。体はある程度できていた。実際に乗ってみると背中が違っていた。いろんな馬に乗った経験がある人じゃないと区別がつかないと思う。走る馬かどうかはダクを2、3歩踏んだだけで分かる。セイウンスカイは久々にそういう感触を思い出させてくれた。これまで何百頭にも乗ってきたが、GIに出られると感じた馬は100頭に1頭もいなかったよ」









 青柳は、名伯楽と瓶われた松山吉三郎厩舎を皮切りに、いくつかの厩舎を渡り歩いてきた。調教助手としてのキャリアで最初に出会った大物は、1977年の朝日杯3歳Sを勝った外国産馬ギャラントダンサーだった。次に田中朋次郎厩舎では84年の皐月賞、菊花賞、春の天皇賞を制したミホシンザンの調教を専任で担当した。他にも重賞を5勝したドウカンヤシマなど何頭ものオープンの調教をつけたが、やはりミホシンザンの存在はどの馬よりも大きかった。
 ミホシンザンには風変わりな癖があった。調教の時、地下道からコースに入ると立ち止まるのが常だった。10分、長い時は20分も動かない。じっと遠方を見つめ(馬は近視なのだが)、やがて何かに納得したかのように動き始める。おかげで、自他ともに認める短気の青柳が随分と辛抱強くなった。他馬の調教時間に影響しないよう、 いつも最後の方に馬場入りするのが日課だった。









 「ミホシンザンからは馬と気長に付き合うことの大切さを教えられた。乗り役(柴田政人現調教師)も、そういうふうにアドバイスしてくれたしな。もし、人間の都合を優先して調教していたら、あれだけの馬になったかどうか分からない。天皇賞を勝った時なんか状態はよくなかった。だから、ジョッキーが追い切りに乗りたいというのを断ったんだ。レースの後でジョッキーから『具合がよくなかったから俺に乗せなかったんだな?』って痛烈に皮肉られたよ。そういう状態でも底力を発揮した。あの時に、名馬っていうのはなにかが違うと実感した」









 その時、ミホシンザンを苦しめながら進路妨害で失格となったのがニシノライデンである。青柳が、同じ西山牧場生産馬のセイウンスカイの調教パートナーとなったのは、不思議な因縁といえるかもしれない。
調教が進むにつれ、セイウンスカイは非凡な才能を発揮し始めた。青柳は顔なじみの記者を見つけると、「今度デビューする芦毛はちょっと違うから見てろよ」と吹聴したが、誰もが話半分に受け止めていた。父のシェリフズスターはそれまで大した活躍馬を出していなかったし、すでに廃用となっている。失格の烙印を押された種牡馬の子から、大物が出るはずがないと考えるのが普通だ。
 デビュー戦は中山の芝1600m。追い切りではそれなりの時計が出ていたが、血統的バックボーンに乏しい上、若い徳吉孝士の騎乗という点も評価を下げる要因となっていた。おまけに不利な16頭立ての16番枠を引いた。だが、大外枠のハンデも関係なかった。ポンと好スタートを切ると3コーナーで自然に先頭に立ち、直線は後続を引き離す一方のワンサイド勝ちだった。勝ちタイム1分36秒7は正月開催の馬場という点を考えると水準を優に超えていた。









 「間違いなく勝てるとは思っていたが、あそこまでちぎったのにはビックリした。ミホシンザンが正月に同じ距離でデビューして1分36秒1で楽勝した。その時ぐらいのインパクトがあったな。ある社のベテランのカメラマンが青柳、やっと関東からダービー候補が出た!』って興奮して吹っ飛んできた。だけど、一発だけじゃ分からない。これは違うと確信したのは2戦目のジュニアCだ。走る馬というのはやっぱり、勝ったあとよくなる。たたいてガラッと変わったからね」
 少しソエを気にし始めていたが、レースはハナを切ってマイペースの一人旅。直線でも二の脚を繰り出し2着メガヒットを5馬身斬って捨てた。「新星誕生!」「関東に待望のクラシック候補」。翌日の スポーツ紙には見出しが躍った。弥生賞から皐月賞、ダービーへ。王道路線を歩むプランが決まった。









 ところが、ジュニアCのあとソエの状態が悪化した。思うような調教ができない。弥生賞がどんどん近づいてくる。アセる陣営。無理して使うか、それともぶっつけで本番に臨むか。最終的には直前、追い切ってから決めるというギリギリの選択を迫られた。関西からは、きさらぎ優勝のスペシャルウィーク、東スポ杯3歳Sを勝っているキングヘイローと2頭の重賞馬が矛先を向けてきた。できれば本番前に1回戦って力関係を確かめておきたかった。幸い、直前になってソエは小康状態となりゴーサインが出されたが、万全の態勢というにはほど遠かった。
調整過程の不安が伝えられていたセイウンスカイは3番人気に甘んじた。しかもがゲートインの前に1回立ち止まったため係員にステッキでたたかれた。嫌な空気が漂った。だが、レース前の不安はゲートが開くと吹き飛んだ。2コーナーで先頭を奪ってマイペースに持ち込む。4コーナー手前からスパードをかけて後続を突き放す。セーフティーリードか。そう見えた次の瞬間〈大外から武豊のスペシャルウィークがケタ違いの末脚で追い込んだ。坂上でアッという間に逆転された。









初めて味わう敗戦。それでも収穫は大きかった。ソエが治まって満足な調教ができるようになれば、半馬身の差は展開次第で逆転可能という手ごたえを得たからだ。ただ、プロの目から見ると徳吉の騎乗ぶりに対して問題点が指摘された。動くのが早かったし、直線に向いて手綱を持ち替えたところに、余裕のなさが見て取れたからだ。クラシックの大舞台に臨むには不安が残る。徳吉には可哀想だが、勝つことを優先するために乗り替わりは致し方ないという結論になった。
 西山牧場はニシノフラワーで桜花賞を勝っていたが、牡馬クラシックは縁がなかった。千載一遇のチャンス。誰を起用するのがベストか。オーナーの西山茂行は調教師の保田一隆を呼び寄せて鳩首会議を行い、横山典弘に白羽の矢が立った。









「孝士の気持ちを考えると気の毒だけど、頼まれたからには結果を出すしかない」。
横山典は降板させられた徳吉の心中を察し、責任の重さをかみしめた。 
 ベストの選択だった。横山典にはこれというクラシック候補がいなかった。セイウンスカイとは3回とも一緒に競馬をして「強い馬だと感じていた。とくにジュニアCの勝ち方は並の馬にできる芸当じゃない。関東からクラシックを狙える馬が出た」という印象を持っていた。実際に調教で跨がってみて、自分の目が正しかったと確信する。「思ったよりおとなしい馬ですね。バネがあるし、なによりいい雰囲気を持っている。これならハナにこだわらなくても競馬はできるはずですよ」。第一印象をそう保田に告げた。









 横山典はサクラローレルが引退してからというもの、今ひとつ精彩を欠いていた。自分が騎乗した最強馬が手を離れフランスの地で故障して引退。それ以来つきまとっていた空虚感を、セイウンスカイが埋めてくれるかもしれない。そんな手ごたえを感じたはずだ。
 実際、彼の心境の変化は行動となって表れる。普段、自分から進んではマスコミに出たがらなかった男が、皐月賞の追い切り後の共同記者会見を喜んで引き受けた。「追い切りを含めて乗ったのは4 回だが、本当に順調に来られたと思う。ソエが固まったからか気持ちにも余裕が感じられる。確かにスペシャルウィーク、キングヘイローの末脚は脅威だが、相手を気にしても仕方がない。自分の馬も力は決してヒケは取らないはず」と、淡々とながら密かな自信を語った。









 そしてオフィシャルの会見が終わった後、顔なじみの記者に対して、はっきりと胸の内を吐露した。「いつも武豊ばかりじゃ競馬は面白くない。違うかな」。前週の桜花賞で騎乗したエアデジャヴーが武豊のファレノプシスの3着に負けていた。最後方に待機した作戦が失敗だったと指摘する記事もあった。おまけにファレノプシスは石山がトライアルでミスして負け、武豊に乗り替わった経緯がある。反発心、自信、執念、徳吉への同情etc。横山典はプライベートでは武豊とツーカーの仲だが、仕事となると話は別。複雑な感情がその言葉を言わせたのだ。
 ソエが完治したことで保田は「デビュー以来最高の状態で臨める」と胸を張って送り出した。前日までの雨が上がって朝から快晴。馬場状態は急激に回復し良馬場でレースを迎えた。セイウンスカイは3番枠。同型のコウエイテンカイチが内の2番枠に入ったのがありがたかった。横山典は「外からかぶされなければ抑えても行けるはず」と読んでいた。









 ファンファーレ。GI恒例の決まり事のようにスタンドがドッと沸く。その時、セイウンスカイに異変が起きた。ゲートの後ろまで来たが入るのを拒否する。すでに中に収まった馬もいる。時間を気にする係員がムチでたたいて促す。その姿がターフビジョンに大きく映し出され、スタンドは騒然となった。ざわめきが耳に入って興奮したのか、馬はなお嫌がる。横山典が一計を案じゲートの横から進ませ、向きをヒョイと変えてやっと収まったが、レースは大幅に遅れてスタートする。
 一完歩遅れた。横山典は内のコウエイテンカイチを先に行かせて2番手につけようと考え、あえて遅れ気味に出したのだ。注文どおりの展開になった。スタンド前は掛かり気味に行ったが、1コーナーを回ると馬は落ち着いた。外からかぶせてくる馬もいない。「4コーナー手前まで引っ張ってくれ。あまり早く先頭に立ちたくない」。思惑どおりコウエイテンカイチが4コーナーまで格好の誘導員を務めてバテた。セイウンスカイは直線入り口で先頭に立つと一気にスパートをかける。









 これ以上ないタイミングだった。背後から執拗に追走したキングヘイローを置き去りにする。スペシャルウィークが外を回って追い込みにかかったが、弥生賞の勢いはない。あとはその貯金で逃げ込 みを図るだけ。エンジンを再点火したキングヘイローが必死に詰め寄ったが、半馬身差しのぎ切った。勝利を確信した横山典は左手をスタンドに向けて派手なガッッポーズ。3冠への意欲を示す「1」を人差し指で突き出した。
 「ゲートに入らなかった時は、困った、どうしようと思った。でも、乗り役がアセったら馬に伝わるから辛抱した。ああいうケースではいい結果が出ないことが多い。中に入っておとなしくなったから助かった。それがあって、最初から抑えて行こうという意識があったから抑えられたんだ。あとは自分が願っていたとおり、何から何までドンピシャ。クラシックを勝つ時はこんなものかなと思う。孝士(徳吉)のためにもというプレッシャーがあったから勝ててホッとした」。横山典はクラシック初制覇の喜びを、一流騎手のプライドを覗かせながら控えめに表現した。









 3着に敗れたスペシャルウィークの武豊は「馬場の内外の差がありすぎる。どうしても保護したラチ沿いを走れる先行馬が有利。18番の大外枠ではそこに入って行けない。こういうのは不公平です。JRAにも考え直してほしい」と、報道陣に不満をぶちまけた。確かに一理あるが、それがすべてではない。逆に、内枠なら包まれて出してもらえないこともありうる。その話を横山典は新聞で読んだのだろう。「仮柵を外したから内がいいと言ってる人も多かったが関係ない。外してからいくつもレースをしたし、そこに馬が殺到していたからね。皐月賞の時はどこを通ろうが同じだった」と言った。
セイウンスカイの勝利の名誉を守ってやりたかった。









 ダービーに向けて大きな課題が残った。皐月賞でゲート入りを手こずらせたため再審査のペナルティーを課せられた。合格しなければ出走できない。それ以上に、横山典は完成度という点に不安を抱いていた。「現時点でも相当な能力がある。ただ、皐月賞はゲートを除いてすべてが上手く運んだことは確か。思いどおりの競馬にならなかった時どうかという心配はあるよ。まだ子供の部分がある。本当によくなるのは秋、いや、5歳になってからという気がするんだ。7週間でどれだけ成長してくれるかがカギだね」
 ゲート再審査は一発でパスした。そこから横山典は関係者の了解をとって積極的な"営業活動"を展開する。3週前の追い切りでは藤沢和雄厩舎にタイキエルドラドとの併せ馬を申し込んだ。報道陣がエッ? と驚く意外な組み合わせ。猛烈な併せ馬で一番時計を叩き出した。さらに1週前追い切りでは芝コースに入れ、実戦で未経験の左回りを体験させた。この時は先行する格下2頭を馬の気に任せて追走、ムキになって追いかけないかだけを確かめた。そして最終追い切り。前年のダービー馬サニーブライアンの時と同じ、小西一男厩舎のスピードワールドにパートナーを依傾して総仕上げを行った。









 執念が横山典を駆り立てていた。「ダービーを勝つのは夢だからね。2冠というより、とにかくダービーを勝ちたい」。それだけならデビューを待つ新人騎手だって言えるが、勝負の厳しさを知っての発言か否かでは月とスッポンほど重みが違う。「皐月賞は負けたがダービーは絶対勝ってみせる」。若気の至りで大見得を切り、辛酸を舐めたメジロライアンのダービーから、すでに8年の歳月が経過していた。幸運が向こうから転がり込んではこないことを痛いほど分かっていたから、自分にできうる最善の努力を尽くしたのだ。









 皐月賞はフロック勝ちとみた人が多かったのだろう。セイウンスカイは3番人気に甘んじた。横山典は前日のエプソムCで、長いスランプに陥っていたツクバシンフォニーを勝利に導くなど、手綱さばきは冴えていた。これ以上ないモチベーションで臨んだ。スタンド前の発走という点を考え、大歓声を少しでも防ぐために初めてメンコを着用。その効果もあって皐月賞とは別馬のように落ち着いていた。ファンファーレが鳴ってメンコをはずす。スムーズにゲートに入った。2冠への条件は最高に整っていた。









 ゲートが開いて1ハロン、互いの出方を探り合い誰も行こうとしない。シビレを切らした福永祐一のキングヘイローが、包まれるのを嫌いハナに立った。誰も予想しなかった意外な展開。横山典のシナリオにはキングヘイローが逃げる展開も含まれていた。セイウンスカイはすかさず2番手につける。皐月賞と同じパターンだ。ところが、予期しないことが起きた。2コーナーでキングヘイローの福永が気合付けに入れたステッキがセイウンスカイの体に当たった。それが原因で折り合いを欠いてしまったのだ。皐月賞は2コーナーから折り合ったが今度は掛かった。まったく正反対のパターン。2400mを乗り切るには致命傷となった。









 その時点で横山典は半分負けを覚悟したに違いない。直線。脚いるが衰えたキングヘイローを一気にかわし先頭に躍り出る。せめて見せ場は、という思いがそうさせたのか。敵をセイウンスカイ1頭に絞ったスペシャルウィークが豪快にかわした時、レースは終わった。最善の努力を積み上げて大一番に臨んだが、幸運の女神は微笑んでくれなかった。
 「先頭に立った時はヨーシと思ったんだけどね。よく頑張ったが可哀想に最後はバッタリ止まってしまった。きょうは勝った相手が一枚上だった。初めて乗った時から秋になればと思っていた馬。菊花賞で改めて期待するよ」。たとえ折り合いがついたとしても、この日のスペシャルウィークにはかなわなかっただろう。敗軍の将、兵を語らず。横山典は掛かったことには言及せず、愛馬の労をねぎらい勝った相手を素直に褒めたたえた。









 夏を生まれ故郷の西山牧場で過ごしたセイウンスカイは、京都大賞典からの始動が決まった。菊花賞のために京都コースを経験させておきたかったし、できるだけ本番まで間隔を長く取りたかった。京都新聞杯だと中2週で美浦から2回輸送することになる。選択肢は中3週の京都大賞典しかなかった。
 初の古馬相手。それもメジロブライト、シルクジャスティスと2頭のGIホースが出走してきた。なにしろ春の天皇賞馬と前年のグランプリホースだ。厳しい戦いを生き残ってきた相手にどこまでやれるか、というのが陣営の本音だった。またもや、セイウンスカイはゲート入りを手こずらせた。









 だが、ゲートが開くと抜群のスタートを切った。横山典にはテストケースという気持ちがあったはずだ。レースのラップにそれが表れる。スタート直後から行くぞと気合をつけて逃げ馬スノーボンバーの機先を制した。2ハロン目に11秒0の猛烈なラップを刻む。その気迫に押されて他馬は沈黙、一人旅が始まった。自分だけの世界でレースを進めたセイウンスカイは、ダービーとは一転してスムーズに折り合った。
1000mを59秒8と平均より速いペースで通過。そこから徐々にスローダウンを図る。3コーナーの下り坂では1ハロン13秒5にまで落とした。後続が差を詰めにかかる。それは横山典の計算に入っていた。下り切って再びペースを上げる。4コーナー手前から猛然とスパート。最後の2ハロンを11秒1、11秒8の速いラップでまとめ、メジロブライトの追撃をクビ差振り切った。









 緩急自在の逃げ。あとから数字を分析して語るのは簡単だが、マラソン選手と違って騎手は時計を見ながら競馬をしているわけではない。横山典の感性がセイウンスカイの本質にジャストフィットしたからこそだろう。菊花賞への模写が完成した。保田は勝った嬉しさより、京都大賞典を使った選択の正しさに胸をなで下ろした。ゲート再審査。もし、京都新聞杯を使って課せられていたら菊花賞には出走できなかったからだ。
 2度目の再審査も問題なく合格した。休み明けを勝った反動もなく、使った変わり身の方が大きかった。最終追い切りのあと横山典は「京都大賞典は久々のせいか動きが物足りなかったし気負いすぎの面があった。動きが鋭くなってきたし馬も落ち着いている。自分が乗ったうちで間違いなく最高の状態で臨める」と太鼓判を押した。









 世評はスペシャルウィーク1強というムードに傾いていた。京都新聞杯は本番を見据えた仕上げ。底力だけでキングヘイローをねじ伏せた。たとえセイウンスカイが成長していてもヘダービーの着差を逆転するのは不可能だろう。それが一般的な考え方だ。武豊も前週の天皇賞でサイレンススズカを襲った悲劇を脳裡から締め出し、「来年はスペシャルウィークで本気で凱旋門賞を狙いたい。それだけ奥が深い馬」と、菊花賞あたりで負けられないという意気込みで臨んだ。









 常識を打破するには、誰もが思いつくアイディアを超越しなければならない。凡人が思いつくのはイチかバチかの大逃げだが、京都の3000mでは破綻するのは目に見えている。横山典の頭の中には京都大賞典のイメージが浮かんでいた。しかし、2400mだから緩急自在の逃げがはまったが、果たして3000mで通用するのか。それは即ち、他馬にとってみれば非常識極まるハイペースを意味する。それでも横山典はレース前の「行く馬がいれば別にハナにはこだわらない」というコメントとは裏腹に、確信犯の逃げを打ったのだ。
 立ち後れ気味のスタートから2、3回気合をつけて先頭を奪った。例年ならペースダウンするスタンド前も快調に飛ばして後続との差を広げ始める。明らかにペースは速かった。1000m通過が59秒6。並の馬なら暴走といわれても仕方がないが、セイウンスカイは折り合って気分よく走った。1コーナーを回ったところで横山典はギアチェンジ。徐々にペースを落としていく。無理に引っ張ったのではない。ごく自然に、走りのリズムは均衡を保っていた。中間の1000mは63秒3。見事としかいいようがないペースダウンだ。









 その間に大きく深呼吸し、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだ横山典・セイウンスカイは、3コーナー過ぎの下りから 再び後続を引き離しにかかった。「淀の下り坂はゆっくり、ゆっくりと下らなければいけません」。かつての名アナウンサー、杉本清が好んで用いたセリフが耳にこびりついていた人には、掟破りの暴走に映ったはずだ。しかし、手ごたえはまだ余裕があった。4コーナーを馬なりで回った時、後ろの騎手の手は激しく動いていたが絶望的な差は簡単に詰まらない。あらゆる常識を覆した大胆なアーティストは、虚しい2着争いの3馬身半先を駆け抜けていた。









 これほど会心の騎乗は騎手生活のうちで何度もないだろう。「道中は前走以上にリラックスして走ってくれた。4コーナーでの手ごたえもよかったから絶対伸びると確信して追えた。とにかくスタッフが最高の状態に仕上げてくれたから、僕は馬の力を信じてつかまっていただけみたいなもの。セイウンスカイの強さを褒めてあげてください」。横山典は心の底からの笑顔を振りまいた。
1000mごとのラップは最初が59秒6、中間が63秒3、最後が59秒3.数字的には中間が中だるみしているようだが、それでも前年より速かった。このペースを承知で捕まえに行ったら、どんな馬だってバテてしまうだろう。速いことが分かっていながら、いや、分かっていたから他の馬は自滅を恐れて対処することができなかった。ヨーイドンの上がりの競馬が当たり前、つまらないという声が年々高まっていた菊花賞を、芸術的ともいえる逃げで盛り上げた。セイウンスカイはこの時点では間違いなく4歳最強馬だった。









 立場の変化がその後の競走に暗い影を落とした。最高傑作を描いた画家に必ずスランプの時期が訪れるように、セイウンスカイは菊花賞の自由奔放さを失ってしまった。
 タイトル争いが呪縛をかけた大きな要因かもしれない。タイキシャトルが安田記念、仏ジャックルマロワ賞に続き、凱旋レースのマイルCSも楽勝。年度代表馬争いで一歩リードという下馬評だった。エルコンドルパサーは日本の4歳馬でジャパンC初優勝の快挙を成し遂げた。もし、有馬記念で負けたら2冠の価値をどう評価されるのか、微妙な状況になっていたからだ。勝たなければというプレッシャーが、レースが近づくにつれ関係者の一層に重くのしかかった。









 デビュー以来初めての1番人気。有馬記念の逃げは菊花賞の思い切りのよきが消えていた。1周スタンド前の2ハロンで11秒台のラップを刻み祷続を突き放したが、横山典は馬場が荒れたインを避けて外々のコースを取る。スタートから4ハロンも行かない1コーナー地点からペースダウン。これで後ろの馬は追走が楽になった。向こう正面過ぎて再びペースを上げたが、いつもの快調なリズムを欠いていた。3コーナーを過ぎてグラスワンダーが荒れたインから外に持ち出し、1頭だけ次元の違う脚勢で追撃にかかる。直線半ばでかわされると差し返す余力は残っていなかった。目標にされた逃げ馬の宿命といってしまえばそれまでだが、誰の目にも中途半端なレースに映ったはずだ。









 横山典はよほど悔しかったのだろう。ぶ然とした表情で敗因を語らぬまま、報道陣の輪から逃れるように立ち去った。代わって保田が「きょうは返し馬の時から少しイレ込んでました。レースでも気負っていて走りのリズムがよくなかったですね」と敗因を語った。誰より悔しい思いをしたのは青柳かもしれない。グラスワンダーの最終追い切りを見て、「あんなにムチをバシバシ入れるなんて、よっぽどアセッてるんだろうな。GIを使う馬の直前追い切りじゃない」と皮肉った。それは内心で復活を最も恐れていた相手だからである。「あの馬がまともならかなわないかもしれない」という潜在意識があった。現実になってしまい青柳はショックに打ちひしがれていた。4歳最終戦の印象が悪すぎた。年度代表馬も、最優秀4歳牡馬のタイトルも一気に遠ざかってしまった。









 5歳初戦の日経賞は2番手でスムーズに折り合い、5馬身差の圧勝を飾った。傍目からは収穫が多いレースに見えた。だが、それが逆に、セイウンスカイの個性を消す原因になってしまったのだから皮肉だ。
 天皇賞・春。下馬評ではサンデーセイラが引き離して逃げるという見方が多かった。ところが、意外にもダメ逃げにかかる。1000m通過ラップは60秒9。どの馬も楽に好きなポジションが取れる平均ペースだ。2番手を進むセイウンスカイの動きを、スペシャルウィークが射程圏でうかがう。横山典が先頭を奪った時、武豊はすかさず反応した。積極的に主導権を奪った菊花賞とは違う、重苦しい流れ。睨まれたカエルは直線半ばでヘビに飲み込まれてしまった。









 エルコンドルパサーが海外に行き、宝塚記念で国内最強を誇示したグラスワンダーとはジャパンCまで対決の機会はなかった。当面の目標は打倒スペシャルウィーク。2勝3敗とリードされた対戦成績をイーブンに持ち込む。それにはどうすべきか。横山典は札幌記念で初めて、差す競馬をテストした。中団から3コーナーで一気に2番手に進出。ひと息入れ直線に向いて再スパート。ファレノプシスの追撃を余裕たっぷりに抑えた。遂に必殺技が完成したかに見えた。









 天皇賞・秋。スペシャルウィークは京都大賞典で7着とつまずいた上、本調子にないと伝えられていた。状況はセイウンスカイ有利。だが、最大の敵が自分の中にいた。鳴りを潜めていたゲートの悪癖が再発したのだ。3度目の悪夢。それも過去2回よりひどかった。ゲート沿いに入れる横入れを繰り返し発走時間を大幅に遅らせた。ようやく入ったが、レース前の消耗は著しく、中団から差を詰めただけの5着に終わってしまう。
ゲート入りが遅れた原因を巡って関係者とJRAの意見が対立した。スターターが縦入れでなく横入れを指示したか否かを巡り、言った言わないの水掛け論となった。結局、真相は闇に葬られた。3度目のゲート再審査、ジャパンCは出走不可能という踏んだり蹴ったりの結果。さらにその後、追い打ちをかけるように左前浅屈腱炎が判明した。









 今春の天皇賞。懐かしい馬の姿があった。病み上がりで1年半ぶりのレース。横山典はどういう結末が訪れるかを走る前から分かっていた。最終追い切りの後、筆者にこう言った。「この馬の話は勘弁して。他の馬のことはきちんと話すから」。性根が優しい男である。どう乗るべきか迷った末、彼は最善の選択をした。









 菊花賞を妨沸させる逃げにスタンドがドッと沸く。奇跡が起きるのか。期待を抱かせた逃走は3コーナー手前で終わりを告げた。走っていたように見えたのは、セイウンスカイの幻影だった。
(文中敬称略)