名馬物語 | トレンド競馬
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ユーザーフレンドリー物語

 男勝りの牝馬というのは、洋の東西を問わず概して人気がある。牡牝混合重賞に牝馬が出走してくれば、それだけで「果敢な挑戦」というムードになるし、ましてそこで強い勝ち方などすれば、誰もが拍手を贈りたい気持ちになるだろう。それでも、さすがにクラシック戦線でそのようなシーンが見られることはまずない。






 皐月賞、ダービー、菊花賞は一般的に「牡馬クラシック」とか「牡馬3冠」などと呼ばれるが、考えてみればこれらのレースだって、本来牡馬限定のレースではない。とはいえ、牝馬限定の桜花賞やオークスがある中、わざわざ牡馬のトップクラスに挑戦してくる牝馬がほとんどいないのは事実だ。実際、これら「牡牝混合クラシック」を制した牝馬は、皐月賞もダービーも菊花賞も過去にそれぞれ2頭ずつしかいない(2005年5月現在)。そのうち最も新しいのが1948年の皐月賞を制したヒデヒカリだから、日本ではもう60年近く、クラシックで牝馬が牡馬を蹴散らすという場面は起きていないことになる。






 海外ではどうだろう。アメリカでもイギリスでも、いわゆる「3冠」レースはすべて牡牝混合レースである。どちらの国も日本よりレースの歴史ははるかに古いが、それでも事情は似たようなもので、牡馬を打ち負かす男勝りなお嬢さんは滅多にいないようだ。歴代の牝馬の勝者は、アメリカのケンタッキーダービーが3頭、プリークネスSが4頭、ベルモントSはわずか2頭。歴史の古いイギリスではもう少し数が増えるが、それでも2000ギニーが7頭、ダービーは6頭のみ。
 ところが、イギリスのセントレジャーだけは様子が違うのである。最も長い歴史を誇るこのクラシックは、1776年の第1回の勝馬アラバクリアを筆頭に、牝馬の勝馬がやたらと多い。数えてみたら42頭もいた。5、6年に1頭は牝馬が勝っている計算になる。セントレジャーといえば、秋にドンカスター競馬場で行われる2937㍍のマラソンレースで、日本でいえば菊花賞に当たる。そんな過酷なレースを、こんなにも多くの牝馬が制しているのだ。






 近年セントレジャーの人気が凋落し、レベル的に他の2冠と同列には語れなくなっているのは事実だ。春のクラシックを制した牡馬がこのレースを目標としなくなって久しい。しかし、ヨーロッパの牝馬の持久力がなかなか侮れないものであることも事実だろう。競走馬としてだけでなく、母としてもスタミナのある牝馬は強いようだ。欧州のGⅠ馬には、母系にこれでもかというほど長距離血統を重ねている配合が結構多い。
 ユーザーフレンドリーも、そんな強く逞しいヨーロッパの名牝の1頭だ。
 ユーザーフレンドリーの父は、1985年の英ダービーを逃げて圧勝したスリップアンカーである。スリップアンカーの父はシャーリーハイツ、さらにその父はミルリーフだから、親子3代ダービー制覇という歴史的快挙を成し遂げた、筋金入りのクラシック血統の種牡馬だ。1989年生まれのユーザーフレンドリーは、種牡馬入りして2年目の産駒である。
 母ロストヴァは、長距離GⅢのオーモンドSで入着の実績がある牝馬で、その父はこれまた英ダービー馬のブレイクニー。どこをとってもスタミナの不安だけはない、という血統だが、早い時期からの活躍は望めそうもなかった。母ロストヴァを所有する生産者のビル・グレッドリー氏も、当然クラシックを強く意識して配合を決めたのだろう。






 しかし、1990年の10月にニューマーケットのイヤリング・セールに登場したユーザーフレンドリーには買い手がつかなかった。その遅咲きの血統が嫌われたのかもしれない。結局、生産者のグレッドリーは自分の所有馬としてデビューさせることに決め、クライヴ・ブリテン調教師にこの牝馬を預けた。
 案の定、ユーザーフレンドリーは競走馬として仕上がるまでに少々時間を要するタイプだった。結局2歳ではデビューに至らず、年が明けて1992年の4月24日、サンダウン競馬場で行われた牝馬限定の未勝利戦(10ハロン)でようやくデビューを果たす。しかしこのときもまだ仕上がり不足は明らかだったようだ。冬毛はぼさぼさ、つくべき筋肉がついていないくせに余分な肉はついている、という有様で、非常に見栄えのしない馬だったらしい。毛色もただの地味な鹿毛だったから、余計に目立たなかったのだろう。単勝26倍という穴馬扱いだった。






 ところがこのぱっとしない馬が、レースでは残り1ハロンで抜け出して先頭に立つと、そのまま押し切って2着に2馬身半差をつけ、デビュー戦勝利を決めてしまったのだ。
 なかなかの潜在力を感じたブリテン調教師は、続いて5月9日に、リングフィールドでのオークストライアル(準重賞)に出走させた。そぼ降る雨の中、出走馬わずか5頭でのレースとなったが、今回はユーザーフレンドリーが3.0倍の1番人気に支持されていた。手綱を取るのは、前走に引き続きベテランのジョージ・ダフィールド騎手である。
 ダフィールドはこの経験の浅い牝馬を落ち着いた騎乗でゴールへと導いた。道中は逃げ馬を見ながら3、4番手を進み、内でじっとタイミングをうかがっていた。そして、直線を向いてゴールまで残り3ハロンとなったところで前が開く。内を衝いてユーザーフレンドリーは一気に先頭に立った。後続がこれに続こうとするが、豊富なスタミナを武器とするユーザーフレンドリーの脚色は衰えない。結局、そのまま後続に捕まることなく、最後は2着ニオディニに2馬身半差をつける危なげない勝利を飾った。もちろん、この勝利で目指すはオークスと決まる。






 しかしこの年のオークス戦線は、前哨戦のGⅢミュシドラSで強い勝ち方をしていた無敗馬オールアットシーが不動の主役と見られていた。このリヴァーマン産駒の栗毛の牝馬は、4月に行われた10ハロンのレースで、前走でユーザーフレンドリーが破ったニオディニに5馬身差をつけて圧勝していた。その尺度を当てはめれば、オールアットシーはユーザーフレンドリーより2馬身半前にいることになる。
 果たして、6月6日の英オークスに顔を揃えた7頭の中で、オールアットシーは2.1倍の1番人気に推された。続いて、ミュシドラSでそのオールアットシーに1馬身差にまで迫ったパーフェクトサークルが5.5倍の2番人気。ユーザーフレンドリーは6.0倍の3番人気という評価だった。
 馬場はかなり水分を含んだ重馬場となった。これがユーザーフレンドリーに味方したことは間違いないだろう。






 レースはアイルランドの牝馬ファワーイードが逃げてペースを作る。ダフィールドはその逃げ馬のすぐ後ろの2番手にユーザーフレンドリーをつけた。本命のオールアットシーは、騎乗するパット・エデリーが末脚に自信を持っていたのか、かなり後方に控える展開となった。
 下り坂の急なタッテナム・コーナーを過ぎて直線に向くと、パーフェクトサークルが位置を上げていったが、程なく逃げたファワーイードとともに失速し始めた。オールアットシーはまだ後方にいる。ユーザーフレンドリーにとっては願ってもない展開となった。ダフィールドは自信に満ちたフォームで、デビューからコンビを組むこのスタミナ自慢の牝馬にゴーサインを出した。
 これを見たオールアットシーも、残り500㍍ほどでようやく追い上げを開始する。しかし、前を行くユーザーフレンドリーはバテる気配すら見せない。エデリーが作戦ミスを悟ったときにはもはや遅すぎた。それでもユーザーフレンドリーとの差は縮まっていったが、ダフィールドが最後の1ハロンでもう一度パートナーを叱咤すると、ユーザーフレンドリーはそこから二の足を使ってライバルを突き放した。






 エプソム競馬場の12ハロンという牡馬にさえ過酷なコースを、ユーザーフレンドリーは見事先頭で走りきった。2着に食らいつくオールアットシーに、3馬身半という決定的な差をつけての快勝だった。このレースでは2頭の実力がずば抜けていたようで、3着に入ったパールエンジェルという馬はそのオールアットシーからなんと20馬身もちぎられてのゴールだった。
 本命を破っての強い勝ち方に、スタンドからは大きな拍手が湧いた。特に、この年45歳になっていたダフィールドは、その職人的な手綱さばきが高い信頼を得ていたものの、クラシックの勝利はこれが初めてとあって晴れやかな笑顔を見せていた。一方、ブリテン調教師とオーナーブリーダーのグレッドリーの笑顔は「してやったり」の表情だった。二人とも、レース前からかなりの自信を持っていたのだが、その理由をブリテンはレース後に明かした。






 実はユーザーフレンドリーはオークス前の調教で、6歳GⅠ馬テリモンと同ハンデを背負って併せ馬をし、なんとこれに先着していたというのだ。デビューからわずか3戦目で、すでに古馬の牡馬トップクラスに引けを取らない実力をつけていたのだ。当然ながらブリテンは、この先は牡馬との対決も楽しみにしたい、と言って、秋の凱旋門賞挑戦も匂わせた。
 そうは言っても、まずは同期牝馬の頂点の地位を確実にすることが先決である。ユーザーフレンドリーは約1ヶ月後の7月11日、今度は愛オークスに出走することに決まった。






 今回のレースは、ユーザーフレンドリーが初めて経験する硬い馬場になった。実はこれまでの3勝はすべて重い馬場でのものだったため、ユーザーフレンドリーの勝利は実力どおりではなく、得意の馬場に助けられてのものだ、という意見もなくはなかったのだ。今回は真っ向の実力勝負で、そういった声を封じなくてはならなかった。人気も約1.7倍と圧倒的な支持を得る。ところが、馬場のせいだけではないだろうが、このレースは前走と比べてはるかに厳しいものとなった。






 ダフィールドは序盤はユーザーフレンドリーを3番手につける。そしてハイペースで逃げた馬がバテ始めると、直線の手前で早くも先頭に立ってロングスパートの態勢に入った。しかし、そこに並びかけてきたのがマイケル・キネーン騎乗のマーケットブースターである。まだ手応えに余裕のあるこの馬に対し、ダフィールドは早くも鞭を抜いてユーザーフレンドリーを必死に追い始めた。すると、ユーザーフレンドリーはこれに応えて、マーケットブースターを再度突き放したのである。さらに、内にはユーザーフレンドリーのすぐ後ろまでアリカラが迫ってきたが、ダフィールドはそれを承知していて、絶対に内を開ける隙を見せなかった。こうしてユーザーフレンドリーは2頭の手強いライバルを退け、マーケットブースターにクビ差をつけて2つ目のオークスを制したのである。






 2005年10月15日のGⅠ英チャンピオンSを26倍という人気薄で制したデビッドジュニアに、ある噂がささやかれていた。ゴドルフィンにヘッドハントされるのではないか、という憶測である。現役馬も積極的に購入することで有名なシェイク・モハメドが、並み居る強豪を倒してマイルのGⅠを制したデビッドジュニアに食指を伸ばしたとしても何ら不思議はない。
 オーナーであるデビッド・サリバンの元には、実際に数多くの購入の申し出があったらしい(その中にゴドルフィンからの申し出があったかは定かではない)。しかし、中には大変な高額のものもあったというそれらのオファーをサリバンはすべて断って、この馬を手元に残すことに決めたのだ。
 一方、デビッドジュニアを預かるブライアン・ミーハン調教師の側にはその間に大きな変化があった。長い歴史の中で数々の伝説的な調教師が使用してきたマントンの調教施設に引っ越すことになったのだ。それまでここを使用していた名伯楽ジョン・ゴスデン師がニューマーケットに拠点を移すことになり、空き家となったマントンをミーハンが購入したのである。まだ30代後半の若さだが、イギリス競馬の注目株であるミーハンがマントンに移ったとあって、彼が管理するGⅠホースのデビッドジュニアにも自然とメディアの関心が集まるようになった。






 その周囲の期待に応えるように、ミーハンが打ち出したデビッドジュニアの次の挑戦はかなり大胆なものだった。チャンピオンS以降は休養に入っていたデビッドジュニアが古馬になって出走する最初のレースは、3月25日にドバイのナドアルシバ競馬場で行なわれるGⅠドバイデューティーフリー(1777㍍)に決まったのである。この馬にとっては初の海外遠征だった。ちなみにこのレースには、日本からもアサクサデンエンとハットトリックという2頭のGⅠホースが出走し、注目を集めた。






 レースは、アメリカから来た8歳馬ザティンマンがハナを切り、アサクサデンエンがこれに続いて、レースのペースを握った。好スタートを切ったデビッドジュニアも、ジェイミー・スペンサー騎手を鞍上に5番手ほどにつける。






 レース前日はさすがに緊張したというスペンサーだが、レースでは落ち着いていた。それだけデビッドジュニアの手応えがよかったのである。馬は十分な余力を残したままコーナーを回り、直線に入る。
 「本当に気持ちよく走っていて、最初から最後まで自信を持って乗れました」と、スペンサーは振り返る。「前のペースが少し速いと思ったけど、どこからでも仕掛けられると思うくらいこっちの手応えもよかった。最初の3ハロンくらいで、今日は間違いなく勝てる、と思いました」
 その言葉通り、ゴーサインに反応したデビッドジュニアは、残り2ハロンで先頭のザティンマンに並びかけた。ザティンマンもタフに粘ったのだが、デビッドジュニアは楽な手応えでこのベテランを引き離しにかかる。そこからはもう独壇場だった。終始余裕の足取りで、最後はほとんど馬なりのまま、ザティンマンに3馬身半の差をつける快勝を飾ったのだ。






 「チャンピオンS以降もずいぶん成長しましたし、精神的にも大人になりました。これは特別な1頭です。今や世界でも屈指の中距離馬でしょう」と、ミーハン調教師はレース後のインタビューに誇らしげに答えた。再び並みいる強豪をねじ伏せたことで、デビッドジュニアは前走チャンピオンSでの勝利をフロック視する声を封じたのだ。
 デビッドジュニアの名前の由来となった8歳の息子を連れてウィナーズサークルに登場したサリバンは、まだ信じられないといった面持ちだった。「こういう大レースを勝つのが長年の夢でした。この馬がその夢を叶えてくれた。デビッドジュニアは、これまで私が所有した最高の馬です」と、彼は言う。どれほどの金を詰まれてもこの馬を手放さなかったオーナーの心意気に、馬も感じるところがあったのかもしれない。






 そのサリバンによれば、デビッドジュニアはこの後、タターソールズGC、プリンスオブウェールズS、エクリプスSの3レースのうちどれか2つを使い、最終的には11月にアメリカで行なわれるドバイWCを目指すということだった。要するに、世界の超一流馬としてのローテーションが用意されたわけだ。






 結局、次走は6月21日、本国イギリスのアスコット競馬場で行なわれるプリンスオブウェールズS(10ハロン)に決まった。
 しかし、ロイヤルアスコット開催の目玉レースのひとつであるこのGⅠで、堂々の1番人気に推されたデビッドジュニアだったが、この日は勝負どころでいつものように弾けることができなかった。結局、勝ったウィジャボードから2馬身離された4着に終わる。陣営は序盤スローペースになった展開がこの馬には向かなかった、と分析した。
 その後、7月8日にはサンダウン競馬場でのGⅠエクリプスS(10ハロン)で、再び女傑ウィジャボードと対戦することになる。単勝3.0倍で1番人気に推されたのは、そのウィジャボード。デビッドジュニアは僅差の2番人気に甘んじたが、前走負けている相手なのでこれは妥当な評価ではあるだろう。






 前走スローペースに泣かされた経験を踏まえて、サリバンは、今回はデビッドジュニアのために、このレースに登録していたロイヤルアルケミストという逃げ馬を急遽購入し、自分たちのペースメーカーに仕立て上げた。そしてこの牝馬は序盤から快調に飛ばし、残り400㍍までレースを引っ張るという期待以上の役目を果たしたのだ。
 一方、デビッドジュニアはスタートの行き脚がつかずに最後方からの追走となったが、スペンサーは慌てずに馬の力を信じて追い出しを我慢していた。そして、同じく後方の位置取りになったライバルのウィジャボードが、鞍上クリストフ・スミヨンの判断ミスもあって前を塞がれる不利を被ったのとは対照的に、大外に持ち出して誰にも邪魔されることなく直線を追い込んでいった。
 「ロイヤルアルケミストと鞍上のマイケル・テブットが作ってくれた素晴らしいペースに、ずいぶん助けられた。それにこの馬ときたら、ロケットみたいな瞬発力があるんだ」と、スペンサーが言うとおり、素晴らしい加速を見せたデビッドジュニアはライバル8頭をゴボウ抜きにして残り1ハロンで先頭に立つと、そのまま脚いろが衰えることもなく、ゴールではノットナウケイトーに1馬身半差をつけてGⅠ3勝目を飾った。






 その後は、宣言どおりBCクラシックに向けて充電期間に入る。芝のトップホースによるダートの最高峰レースへの挑戦は、地元アメリカでも大きな話題になった。もちろん、ダートはデビッドジュニアにとって初体験である。しかし陣営は「初ダートは心配していない」と強気の姿勢だった。
 しかし結果から言えば、デビッドジュニアはチャーチルダウンズ競馬場のダートを克服することはできなかった。終始脚元を気にしていて、いつもの加速はまるで見られず、結局出走13頭のシンガリでレースを終える。
 デビッドジュニアはこのBCの1ヶ月ほど前に、JRAが種牡馬として購入することが発表されていた。不本意な結果に終わったこのBCを最後に、彼は現役を引退し、北海道の静内へとやってくる。同期デビューの種牡馬にはあのディープインパクトやハーツクライがいるが、「大物食い」はこの馬の得意とするところ。産駒のデビューが今から楽しみな種牡馬の1頭である。






 ヨーロッパの年度代表馬に選ばれたほどの3歳牝馬が、古馬になっても現役を続行するのは、特に最近では珍しいケースかもしれない。しかし、ユーザーフレンドリーのオーナーブリーダーであるビル・グレッドリーは、単に優秀な牝馬という枠を越えた活躍を見せたこのスリップアンカー産駒を、4歳になった1993年もターフを走らせることに決めたのだ。
 グレッドリーと、管理するクライヴ・ブリテン調教師の念頭にあったのは、あるいは92年にわずかクビ差で2着に敗れた凱旋門賞の雪辱であったのかもしれない。確かにユーザーフレンドリーの持つスケール感には、牡馬をも含めた欧州競馬の頂点を極めてもおかしくないと思わせるものがあった。






 シーズンの始動は、6月3日のエプソム競馬場。その年の春にデビューしたコマンダーインチーフが4戦無敗で英ダービー勝利を成し遂げた翌日、同じ12ハロンの舞台で行われたGⅠコロネーションCである。前年のヒロインの復帰戦は大きな注目を集め、ファンはユーザーフレンドリーをオペラハウスと並ぶ1番人気に支持した。
 8頭立てとなったこのレースはシルヴァーウィスプが逃げ、その後ろでアップルツリーなど何頭かが好位集団を形成する。デビュー以来ずっとユーザーフレンドリーの手綱をとるジョージ・ダフィールド騎手は、これらの先行集団を見る形で、やや後方からレースを進めた。そして、最終コーナーを6番手で回ると、直線に向いて追い上げを開始しようとした。






 ところが、前年のヨークシャーオークスなどで見られた鋭い末脚が、今回は見られない。ダフィールドは必死に追うが、前で激しいつばぜり合いを繰り広げるエンヴァイロメントフレンドとアップルツリーとの差は一向に縮まらない。あれほど豊富なスタミナを誇ったユーザーフレンドリーが、最後は疲れたのか左に大きくヨレる始末だ。そうこうしているうちに、レースは最後方に待機していたオペラハウスが最後の一完歩で前の2頭を差しきり、鮮やかな勝利を決めていた。2着入選のアップルツリーは、残り1ハロンで3着入線エンヴァイロメントフレンドの進路を妨害したとして、結局3着に降着となったが、ユーザーフレンドリーはその激しい争いに加わることなく、上位3頭から5馬身以上離された4着に終わった。






 精彩のない走りに多くのファンは落胆を禁じえなかったが、ブリテン調教師にも明確な敗因は分からず、首をかしげるばかりだった。ただ、関係者はユーザーフレンドリーの実力はこんなものではないはずだと信じていたので、1ヵ月後の7月4日には、フランスでのGⅠサンクルー大賞にユーザーフレンドリーを遠征させた。
 夏のサンクルー競馬場で行われるこの2400㍍戦は、この年はかなりの好メンバーが揃っていた。前走でユーザーフレンドリーに先着したアップルツリー、仏ダービー馬ポリテイン、アーリントンミリオン勝馬ディアドクターなどのGⅠ馬に加え、3歳世代を代表しては英ダービー3着のブルーストラヴェラーが挑戦するなど、粒揃いの8頭立て。1番人気には、アップルツリーをわずかに凌いでユーザーフレンドリーが支持された。






 ダフィールド騎手は、今度は迷わずユーザーフレンドリーを先頭に立たせた。これに、もう1頭のイギリスからの挑戦馬であるブルーストラベラーが続き、この2頭が残り6頭のフランス勢を引っ張る形となった。
 ユーザーフレンドリーは理想的なペースで先頭を走りつづける。他の馬には一切構わず、マイペースを貫く方針だった。そして、この作戦は完璧に機能した。直線に入って一段とペースを上げると、後ろからこれを捕まえられる馬はもはや1頭もいなかった。最後はアップルツリーに1馬身半差をつける余裕の勝ちっぷりで、3歳シーズン初勝利、GⅠ合計5勝目を挙げたのだ。
 前走の凡走は何だったのだろうと思わせるような鮮やかな勝利だった。オーナーのグレッドリーはレース後のインタビューでその点を聞かれ、「コロネーションCのときのユーザーフレンドリーはどこか歯車が噛みあっていない感じだった」と答えている。そして、「今日の彼女は昨年の強さを完全に取り戻していた。いや、もしかしたら昨年以上に強くなっているかもしれない」と力強く続けた。






 確かにこのサンクルー大賞の勝利は高く評価され、「これまでのユーザーフレンドリーのベストパフォーマンス」という声も聞かれるほどだった。
 ブリテン調教師はこの勝利に再び自信を得た。この後は真夏の“キングジョージ”、そして秋の凱旋門賞と、予定通り王道を進むことを明らかにした。そして、もし招待されるなら、その後は再び来日してJCに挑みたい、とも。この年、ユーザーフレンドリーが目指すべき舞台は世界だった。
 約3週間後の7月24日、ユーザーフレンドリーは調教師の予定通り、アスコットで行われるGⅠ“キングジョージ”に駒を進めた。さすがに夏の王者決定戦に相応しく、前走のサンクルー大賞を上回る豪華メンバーが揃う。コマンダーインチーフ、オペラハウス、ホワイトマズル、テンビーなどGⅠホースだけでも8頭、さらにGⅡ勝馬2頭を加えた10頭が、12ハロンで覇を競うべく、盛夏のターフに集結したのだ。1番人気は英ダービー馬コマンダーインチーフに譲ったものの、ユーザーフレンドリーは古馬勢では最上位人気に推された。






 そのユーザーフレンドリーは、前走と同様逃げる戦法に出た。鞍上のダフィールドは容赦のないペースを刻んでいく。出し惜しみして馬の実力を出せずに終わるよりも、真っ向からの勝負を選んだのだ。このペースに前半からついていけなくなった馬もおり、馬群は縦に長く引き伸ばされた形でアスコットの直線を向いた。果敢に逃げるユーザーフレンドリーはまだ先頭で粘っている。そのすぐ後方には、中団から2番手に進出したコマンダーインチーフが迫っていた。3番手にオペラハウスが続いている。
 しかし、紅一点ユーザーフレンドリーの頑張りもここまでが限界だった。残り2ハロンでとうとう彼女はコマンダーインチーフにつかまる。さらにその後方から、マイケル・ロバーツ騎乗のオペラハウスが絶好の手応えで先頭を奪った。そこへ、ホワイトマズルが猛然と追い込んでくる。瞬く間に交わされた3頭の牡馬に、もはやユーザーフレンドリーは食らいついていくことはできなかった。






 レースを制したのは、磐石の強さを見せたオペラハウスだった。この5歳馬に1馬身半差をつけられて、ホワイトマズルとコマンダーインチーフの2頭の3歳馬が熾烈な2着争いを繰り広げた。結局、前者がわずか短頭差で後者を退ける。ユーザーフレンドリーは、7歳馬ドラムタップスの追撃をクビ差凌いで4着に入ったが、3着コマンダーインチーフとの間には実に10馬身という大差がついていた。上位3頭との力の差は明らかだった。
 逃げを打つという妥協のない戦法で、死力を尽くした闘いの末に完膚なきまでに敗れ去ったユーザーフレンドリー。この敗戦の持つ意味は、チャンピオン牝馬にとってあまりに大きかったのかもしれない。






 その後のユーザーフレンドリーは、3歳時の圧倒的な輝きを再び放つことはなかった。






 8月18日、GⅠヨークシャーオークス。昨年、強引なまでの勝ち方でその実力を知らしめた同じ舞台に、ユーザーフレンドリーは帰ってきていた。しかし、彼女はもはや主役とは扱われなかった。1番人気を僅差でカリード・アブドゥッラー王子の所有馬であるレインボウレイクに譲り、2.75倍の2番人気の地位に甘んじることとなったのだ。
 ダフィールドは、ハナを奪うスワキブをそのまま行かせ、ユーザーフレンドリーを好位につけた。そこから残り2ハロンで先頭に立ち、押し切るかと思われた。ところが彼女は、持ち前の末脚も勝負根性も発揮することができず、後方から来た2頭の追い上げをこらえきることができなかったのだ。勝利を手にしたのは人気薄のオンリーロワイヤル。ユーザーフレンドリーはダンシングブルームにも交わされての3着が精一杯だった。1番人気レインボウレイクは8頭立ての7着に敗れる波乱の結果となった。
 どんなに優秀な競走馬でも、その力を永遠に保つことはできない。往年の力を失った無様な姿を晒すことに耐えられなければ、その前に潔く引退するしかない。しかし、引き際の判断は誰にとっても難しいものだ。ユーザーフレンドリーのキャリアは明らかに下降線を辿り始めていた。が、これほど実力のある牝馬である。関係者は巻き返しを信じて、この年も凱旋門賞にユーザーフレンドリーを出走させた。






 結果は無残なものだった。合計23頭という近年まれに見る多頭数を集めたこの年の凱旋門賞で、ユーザーフレンドリーは22着という屈辱的惨敗を喫したのだ。頂点を制したのは、同じ4歳牝馬でも、単勝38倍という穴馬アーバンシーだった。大波乱とはいえ、7番で直線を向いてから、残り2ハロンで抜け出し、ホワイトマズルの追撃をクビ差凌いでの見事な勝利だった。ダフィールドは、行きたがるユーザーフレンドリーを抑えて先行集団につけたのだが、勝負どころで他馬と接触してからは急速に後退していったのだ。最後は完全に走る気を失っていた。






 もちろん、その年のJC参戦は適わなかった。しかし、グレッドリーはユーザーフレンドリーに昔日の栄光を取り戻してやるという想いを諦めきれなかった。翌年、5歳になった牝馬はアメリカのロドニー・ラッシュ調教師のもとへと転厩する。新天地での再起を図ったのだ。しかし、7月29日にデルマー競馬場で行われた8.5ハロンのアローワンスレースで勝利を挙げた後、アーリントンで8月27日に行われたGⅠビヴァリーDS(9.5ハロン)では、8頭立ての最下位に敗れる。もはやそこに、稀代の名牝の面影はなかった。結局、これを最後のレースとして、ユーザーフレンドリーはひっそりとターフを去った。






 名牝に「もう一花」を咲かせるのは、その子孫たちの役目として残されている。
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