夜の部、初日に観た感想その①の続きです。
「勧進帳」
仁左衛門/幸四郎/孝太郎/坂東亀蔵/萬太郎/千之助/錦吾
仁左さまの弁慶をまた観ることができるとは〜😭 2008年@歌舞伎座以来とな(そのときの富樫は勘三郎、義経は玉三郎)。さて、この日は3階B席だったので花道が七・三あたりまでしか見えないのが残念でしたが、日を置いてまた観るからねー😊
その仁左さま、風格と品性と人間味のある弁慶でした。そして、理知的でもあった。人間味と理知という、ちょっと相反する要素を持ち合わせているとこが仁左さまらしいんですよね🌟 で、その人間味も知性も、豊かな心情表現によって伝わってくる。その表現がうるさくならない程度にリアルで、それゆえドラマ性が高まり、人間としての弁慶の有様、主君義経との関係性、富樫との心理的駆け引きがクローズアップされてくる感じかなー。
基本から外れず、気持ちに型を乗せて演じているであろうけど、その先の解釈に仁左さまの個性が反映され、一つ一つの所作に感情や意味が込められているのだと、観ている方でもそれを読み取ろうと集中する、その面白さよ🎉
勧進帳読み上げで、富樫が覗き込もうとする緊迫した空気。ここ、富樫がじわじわと弁慶に寄っていくんだけど、仁左さまと幸四郎との間隔は適度に保たれていましたね。以前に誰か(評論家)が、ここにきちんと空間を作ることで「安宅の関」という超えられないハードルがあることを感じさせるって書いていて、それが正しいか否かは別として、なるほどと思った記憶があります。今回それを思い出したし、舞台の絵面としても綺麗だった。
山伏問答が喧嘩腰じゃなくてちゃんと問答になっていました。強くも早口でもなく、富樫に言って聞かせるようなセリフ回し。説得力があり意味がしっかり伝わってくるし、何より、耳に心地よい。不動の見得や元禄見得という見せ場は大きく強調するのではなく、一連の動きの流れの中で自然にそういう形になる、という風でした。この辺も珍しいかも。
義経を打ち据えるときも、頭を下げるとか躊躇するといった意味深な動きがなかったです。ほとんど間髪入れずにトントントトンと。ここで変な仕草を見せたら富樫に(さては、やはり義経だなと)バレちゃうわけで、そのやり方も納得。でも、心で詫びているであろうことが、その表情から感じられるわけですよ。とにかくいろいろストンと腑に落ちること多し👍
詰め寄りのときの金剛杖の持ち手が、左右で逆だったそうだけど見逃した〜😩 次に観るとき確認しよう。ちなみにこの持ち方は、場合によっては富樫に打ち掛かる腹であることを見せている型だそうで、仁左さま弁慶の覚悟が感じられますね。
疑いが晴れ富樫が去ったあとの安堵感は、金剛杖をコトンと落としたあと身体がスッとすぼまったように見えたところで感じられた。そのあとに襲ってくる、主君を打った罪におののくところまで、とてもリアルでした。
延年の舞では、少しほろ酔い気味の見せ方が良かったな。幕外、富樫と神仏の加護に感謝し頭を下げるところでちょっとウルッとしてしまいました💦 この、天を仰いで一礼するところで客席から拍手が沸き起こったのは、いいんでしょうかね🙄 でもとにかく、飛び六方(見えなかったけど)で手拍子が始まらなくてホッとしました👍
團十郎さんの、どっしりと大きい超人的な弁慶も好きだし、個人的にはあれが(荒事としての)弁慶のデフォルトになっていますが、仁左さまはまた別の弁慶像を示してくれる、とても印象深いものでした💕
幸四郎の富樫は仁左さま弁慶に引っぱられる感じで自分の持ち味の良い部分を十分に出していたと思う。決めの姿はいちいち美しくて見栄えがするし✨ 所作は丁寧で品性もある。セリフは初日ゆえ気が入っていたのかちょっと張り上げ気味だったけど、明瞭で爽快さを感じました。問答での受け方もしっかりしていたし、後半は弁慶に対して情が湧くのがわかった。泣き上げるところは何か大げさに見えたけど😬
義経は孝太郎。弁慶に対する深い慈愛を感じさせ、品がありながらも、雲の上の人というより、弁慶や四天王らとともに苦難を乗り越えようとしている主君としての、暖かさを感じた。「判官御手」もあまり大げさではなく、仁左さま弁慶同様、自然な動きでした。
四天王のひとりが千之助で、いずれは、弁慶、富樫、義経、どのお役も一度は勤めることになるだろうから(ニンは別として😅)、いい勉強になることでしょう。