■断食
■断食
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■断食
■断食
■断食
■21歳の時(19年前)に『日月神示』に出会って厳格な食事改革を始め、1ヶ月で25kg(78kg➡53kg)痩せました。
『日月神示』は断食を勧めていないので、その頃はまだ断食はしていませんでした。
が、中矢伸一氏の『日月神示』関連の本を読み漁っていて、『人類を救う霊性と食の秘密』という本を読みました。
「とどめの神典・日月神示に示された正しき食とは、肉食を排した穀物菜食のことだった。
偉大な霊性と食のかかわりの秘密を精妙にたどり、人類社会を襲う大難を小難に変える実践的な道を説く」
この本を読んで、なぜ断食生活を余儀なくされたのかというと、そのような内容になっているからです^^;
その前にこんなエピソードがありました。
僕が『日月神示』を読み始めて厳格な穀物菜食と少食を実践しているとき、同棲していた彼女が言いました。
「人間って、ずっと食べなかったらどうなるんかな?」
「そら死ぬやろ」
「そうかな?」
「当たり前やろ」
「でも食べなくても生きられるような気がする」
「餓死するわ」
ところが、『人類を救う食と霊性の秘密』を読むと、不食の聖者たちのことが書かれていました。
そういえば小学生の時に、長南年恵という不食の超能力者の本を読んだことを思い出しました
。
不食のメカニズムが書かれていたので、「これなら不食は可能だ」と確信しました。
それ以前に、なぜ「食事改革」を始めたのかというと、「何を食べるかによって神と獣に分かれる」ということが『日月神示』で力説されていたからです。
初めて『日月神示』を読んだときは、僕が信じていた霊的常識と異なることが多々あり、受け入れがたい部分がありましたが、読み進めていくうちに「本物」だと確信するようになりました。
幼稚園の頃から、いや、物心ついた時から、というか、おそらく生まれつき「信仰心」が強くて意識進化を目指していました。
そして、『日月神示』によると、食によって「健康」「開運」「意識進化」が決定するということなので、食事改革を実行せざるを得なくなったのでした。
当時、ハードな建築の仕事をしていて食事の量がハンパなく、朝からどんぶり2杯と色々食べて、現場に向かう途中にもコンビニで買い食いして、昼は大きなタッパーの弁当で皆に驚かれていて、それを食べてから定食屋で定食を食べたりコンビニで弁当とカップラーメンを食べたり、夜は米5合とオカズも肉類を中心に大食していました。
それでも2時間くらい経つとまた空腹になり、冷蔵庫の中の食材を片っ端から食べ尽くして、いつも彼女に怒られていました。
相撲取りになる勢いで食べてもなかなか太らない体質ですが、それによって55キロくらいの体重を1年間で78キロ(最大で80キロ)まで増やしました。
20歳の夏
それを食事改革によって1ヶ月で元に戻したのでした。
朝食を抜いて、昼食もオニギリ1個にして、日に日に痩せていくので、みんなに心配されていましたが、体調は凄く良くなっていきました。
さらに『人類を救う霊性と食の秘密』を読んで、3日~1週間の断食を繰り返すようになり、22歳の頃はかなりガリガリになりましたが、体力の衰えは特になくてスタミナがUPしました。
もともと、中学2年の頃から断食をしていました。
KIYOSHIというバンドマンに憧れて、ドクロのような顔になりたかったからです。
大好きなお菓子も一切辞めて、中3の頃は3日に一食くらいで、味噌汁だけとか納豆だけとか、ホウレン草のおひたしだけとか、大根おろしだけとかの食生活でした。
しかし、そのときは荒み切っていたので、断食や少食をしても「身霊磨き」にはなっていませんでした。
むしろ、低血糖が原因で「非行」に拍車が掛かり、ミネラルか何かの成分欠乏で頭がイカレていたようです(笑)
当時は悪い事ばかりしていました。
立入禁止の所に入ったり……
貧血で立ちくらみも頻繁でしたが、体力と筋力は人並みか、それ以上にあり、それくらい少食でも大丈夫だという確信はありました。
それは長南年恵の影響も多少はあるかもですが、奴の場合は特殊すぎるので自分とは無関係だと思っていました。
母親の師匠の行者も不食者だったので、それで何となく「食べなくても大丈夫だ」ということを感じていたようです。
その行者も特殊な人物(霊能者)でしたが……。
しかし、高校に入って柔道と太道という格闘技を始め、大食いを指導されて徐々に太っていきました。
1ヶ月半ほど寺に入れられて痩せましたが、基本的に高校の頃は大食漢でした。
オーストラリアの大学でも寮の食事で毎日ステーキを何枚も食べて、皿に山盛りの食事をしていたので、体格の良い外人たちにも驚かれていました。
この写真は夏休みの旅行中ですが、皿に山盛りを3~5杯は食べていました。
それくらい食べても太れない体質で、半年で退学して帰国してからも大食いでしたが太りませんでした。
20歳~21歳の頃は本気で肉体改造を目指して、かつてないほど無理な大食いをしていました。
それがさっきの話で、週に何度か焼肉食べ放題で軽く10人前以上は食べて、米や野菜は一切食べずにひたすら肉食をしていました。
バイキングも週に何度か行っていましたが、皿に山盛り5杯くらいは食べていました。
話が飛んだり戻ったりタイムスリップしまくりですが、21歳の夏に『日月神示』を読んで1日2食の穀物菜食の少食にしました。
その後、『人類を救う霊性と食の秘密』を読んで1日か2日の断食は当たり前になり、3日~1週間の断食を何度も繰り返していました。
不食体質になる前の断食は最大で2週間でしたが、チバレンジャーも5年前に最大で2週間断食しています。
断食して潜在意識の浄化をしていると様々な霊的能力が覚醒し、僕の場合はまず人の心の声が聴こえるようになりました。
今はその能力は封印していますが、波動で感覚的に分かることはあります。
チバレンジャーも僕が何かを話す前に言い当てたりしますが、他の友達たちにも言われるそうです。
でもこれは先日紹介した中山康直氏の臨死体験の話でもあったように、体外離脱をするようになってから開花した能力かもしれません。
しかし、このようなテレパシックな能力は、もともとアマ族が備えていたものなので、日本人が最も開花しやすい能力だといえます。
■話の続きですが、25歳の頃には殆ど食事をしなくなり、ビールとサプリメントだけで健康で元気に生活していました。
26歳頃から再び肉体改造を目指してガッツリ食事をするようになりましたが、20日間ほど食べれない時期がありました。
20日間の断食は初めてで、しかも普通に食事をしている生活から急に飢饉が訪れたので、空腹に耐えられず瞑想三昧の日々を過ごしました。
その2ヶ月後くらいから、約2ヶ月の断食を余儀なくされました。
その時は死を待つばかりの植物人間と化していて、思考も働かない状態で寝たきり生活でしたが、
その前に山田鷹夫の『不食』を読んでいたので、「食べなくても生きられる」ということは信念にしていました。
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そして、それは現実化して、餓死寸前を境に元気を回復して不食体質を獲得しました。
その時はミイラのようでしたが、食べていないのに少しずつ体重が増えてきて、ジムにも通うようになりました。
特筆すべきは、不食体質になったことによって、『人類を救う霊性と食の秘密』に書かれているような特殊能力が発現し始めたことです。
簡単に説明すると、「霞を食べて生きていると仙人になる」という何人もの実例が紹介されている本です。
人類を救う霊性と食の秘密―とどめの神典・日月神示に流れいたるマコトの食の教え (広済堂ブックス) 中古価格 |
この本を読んで不食を目指して断食せざるを得なくなったのは、それは僕がもともと霊能力や超能力に憧れていたからでした。
しかし、そのような能力は意識進化を妨害することを実感し、拒絶することで消えていきました。
たまに発現することがありますが、必要な時だけ発揮できるのが理想的です。
で、『人類を救う霊性と食の秘密』の内容を紹介しようと思ったのですが、前置きが長くなりすぎたので続きはまたの機会にします^^;
まとまりのない話になりましたが、このストーリーを時系列に整理して、今後、正式な記事にしたいと思います。
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