福本くんは日本ランカーに勝利!おめでとう。

高山選手はメキシコにて世界タイトル奪取!

アルバラードは激闘を制し、見事リベンジ成功!

石田さんは、日本でのTV放送がこれからなのでここではコメントは控えます。

星野もこれから!武運を祈る!!



そして、表題の通りこれでブログは終わりにしようと思います。

今日は3月31日。キリもいいので。(日本はエイプリルフールかも知れませんが、本文に嘘はございません

岡田隆志はボクサーを引退します。

試合直後から決めていたことですが、じっくり寝かして考えてもやはり気持ちは一向に変わらないのでここで発表しようと思いました。

1試合負けたぐらいで・・・、と思う方もいるかもしれませんね。

応援して下さった方々、携わってきた方々、見守ってくれた方々、それぞれに感謝の意を示し正直に今の気持ち、これまでの経緯を書こうと思います。

それが勝手我がままに競技を続け、辞める私のせめてもの誠意。

そして自分の頭を整理してから次のステップに進む為に。

長文になる可能性があるので、時間がある時にでもご覧ください。



負けたから引退、というよりは、すでに試合前から引退する事を強く考えていたので負けてしまったのでしょう。

もちろん負けようと思っていたわけではありませんが、そんな気持ちが顕著に表れるのが真剣勝負の場でしょうから。

「勝つんだ」「負けてたまるか」という気持ちが薄れていることを試合中感じていました。

1R目でバッティングでカットしたことに対し、インターバル中に「あぁ、またこれで次の試合がすんなり決まらない。」と気落ちしたのを覚えています。

2R目はすでに勝つ気が薄れていたような・・・。

そして3R目開始早々、パンチをもらい効いてしまったところをラッシュされてTKO。

効いた時も、気持ちがあればそれなりに対処出来たと思います。

「負けてたまるか」の気持ちがあれば。

こんな心持ちでこのままボクシングを続けるわけにはいかないでしょう。

ボクシングに一番大切なモノが私にはもうないのですから。



ここで私のプロ生活を簡単に振り返ってみようと思います。



2007年 (23歳)


2月 大学卒業後1年勤めた会社を退職

4月 プロテスト合格

6月 プロデビュー戦 2RTKO勝利

8月 アメリカ合宿

9月 練習中(スパーリング)の事故で脳出血、入院(10月予定の第2戦はキャンセル)

10月 退院

11月 完治との診断

12月 コミッションに復帰を掛けあう


2008年 (24歳)


2月 コミッションより引退勧告、アメリカ行きを決断


2009年 (25歳)


3月 結婚

4月 アメリカのビザが下りる(この間、トレーニングは継続)

9月 渡米(アメリカに来れば何とかなる(試合がすぐ出来る)かと思っていたら、思いのほか難航


2010年 (26歳)


2月 アメリカデビュー戦、プロ第2戦、試合一週間前に決まり、ラスベガスでブルーノ・エスカランテと対戦。引き分けに終わる。同時にブログを開始。

6月 プロ第3戦、ニューヨークでマクウィリアムス・アローヨと対戦。元アマ世界王者、プロ全勝全KOの相手に判定勝利。(これで何とかなる、と本気で思った、しかし甘かった。次戦もすぐ決まるかと思ったが5カ月も期間が空いた)

11月 プロ第4戦、サンディエゴでダニエル・モダーと対戦。フルマークの判定勝利。


2011年 (27歳)


1月 7日に予定していた試合が直前キャンセル。転落の1年が幕をあける。

2月 左目に網膜はく離が判明(いつから発症していたのかは不明)。検査の翌日に緊急手術。術後、目に圧力をかけないようにする為に常に下向き生活が始まる。(寝る時も)
引退も少しはよぎったが、アメリカでは治療すればまたリング復帰は可能なのが分かっていたので、この頃はそれでもボクシングへの情熱は消えなかった。

6月 復帰。しかし手術の影響で左目に重度の視力低下と白内障を患う。(現在も継続)

7月 プロ第5戦、オンタリオでダニー・ロマンと対戦。無敗の地元ホープ、2階級上の選手との試合が計量前日に決まったが何とか判定勝利。しかし試合で起きたカットの傷が感染した為10月に予定されていた試合はキャンセル。9月に再手術。

11月 カットの傷が完治。


2012年 (28歳)


1月 ビザ更新の為に初帰国

2月 再渡米(この間も試合が決まってはキャンセルは常に繰り返されていた)

6月 プロ第6戦、オンタリオにてオスカー・バスケスと対戦。無敗の相手に一度ダウンを奪っての判定勝ち。しかし1Rに奪ったダウンの際に右拳を痛める。その為7月に試合のオファーがあったが断らざるをえず・・・。

8月 拳の怪我も完治し次戦に備えていたおり、練習にて左肩のじん帯を負傷。(奇しくもその時のスパー相手はダニー・ロマン)

11月 長女誕生、直後にメキシコ・ティファナにてプロ第7戦。地元のフェリックス・ルビオと対戦。判定で勝利。怪我は特になし。


2013年 (29歳)


1月 試合予定があったが、二日前に興行自体が消滅。

2月 試合予定があったが、キャンセル。

3月 プロ第8戦、メキシコ・グアダラハラにて地元のウリエル・ガオナと対戦。1R目に2度ダウンを奪うも3R目に逆転TKO負け。引退を決める。



以上が私のプロボクシングにおけるキャリアです。

おそらくどこかで何かがほんの少しでも違えば、全く別のキャリアを築けていたでしょう。

たら・ればなんてどこの世界も通用はしませんが。

狂った歯車は最後まで噛みあわず。



私の心に大きな変化があらわれたのは脳出血後でも網膜剥離後でもなく、第5戦目のダニー戦後でした。

おそらくアロヨ戦からその試合までが私のベスト。(技術はともかく気持ち的には)

この試合後の出来事から、私は引退と現役続行の気持ちを常にせめぎ合うようになりました。

この試合は私の短いキャリアの中で一番のタフファイトでした。1Rにはフックで効かされダウン寸前。2R目には両目をカットして左目には流血が入り視界が塞がる。しかし、「負けてたまるか」の気持ちで勝利を掴めました。

勝利したところまでは、とても達成感に溢れ嬉しかったです。

肝心なのはこの後。

10月1日に予定していた大事な試合はカットの傷が感染してしまった為にキャンセル。

この時の心持ちは以前の日記に吐き出しております。


http://ameblo.jp/taka-shishi/entry-11016461008.html


この時はコンティニューしましたが、今読み返すとこれが序章で今に繋がっているのが良く分かると思います。

わずか1200ドルのファイトマネー。

ビザ申請の為の帰国が急遽中止、キャンセルした飛行機のチケット代が2000ドル。

カットの傷の再手術代が1000ドル。

プラス次戦の試合のキャンセル。

脳出血から復帰して、渡米して、アマ王者に勝利して、網膜はく離から復帰して、2日前に決まるような試合に備えて、タフファイトを制して、自分を奮いたたせて、何も得ることなく、こんなもんかと。

やりがいを感じなくなってしまった部分はあります。

むなしい、そんな感情でしょうか。

この時はすでに私の欲しいものは精神的なモノ以上に物質的なモノだったから余計に・・・。

そして試合後、まだカットの傷も完治せず、練習もままならないモチベーションがふらついていた10月。我が家に嬉しいニュースが飛び込んできました

妻の妊娠です。

それは、私にとって前日まで淀んでいた世界を透明にしてくれた素晴らしい出来事でした。

当時の現状で子供が産まれる事は現役の続行を危ぶむ事になりかねませんが、それでも私にとっては全ての希望でした。

しかし、ふたつの命はお腹の中で育つ事は出来ませんでした。

してその結果を知った妻を見た夜に決めました。

私はこの人を私の力で幸せにすると。

それは生まれて初めての感情でした。

家族の為 = ボクシングをすること は遠くかけ離れていると私は思っています。

家族がそれを望むなら話は別。

一試合で大金が入るなら話は別。

全くそれに当てはまらない私の競技生活。

それでも、自分の為 = 家族の為 にいつか繋がると信じてもう少し続けようと思いました。

自分のやるべき事はボクシングだと信じて。

そしてその翌年、一戦挟んだものの当時と対して変わらない現状のまま今度は娘が無事誕生してくれました。

私は何よりも妻と娘と生きていくことを優先したいし、二人を生かす事を最優先したいという思いに焦がれました。

だから2013年、これでボクシングが軌道にのらないようなら勝ち続けていても引退しようと思っていました。

しかし、出来ればボクシングで食べていきたい、もっと高みを目指したい私は今年こそは、と気合いを入れて新年に突入しました。

そんな気持ちとは裏腹に1月に予定していた試合が2日前にキャンセル。

気合いを入れ過ぎた反動もあり、本気で引退後に何をするかを考えるようになりました。

今までも引退は幾度となく考えていましたが、具体的にやめて何をするかというのが思いつかず(もちろん食べていく為には仕事は選んでいられないのですが)、目指すものが見つからなかったので引退を先延ばしにしていた節があります。

そうこうしているうちに目指すものが見つかり、今後の別の人生を想像するようになりました。

そんなおり前回の試合が決まりグアダラハラにて負けたわけです。

負けるべくして負けた。

そう思っています。

試合前の時点でも初めて周囲に引退を考えていることや引退後の展望を漏らすようになっていました。

娘が産まれた直後、べんぱつを切った理由はいつでも日本に帰った時に社会復帰が出来るようにする為に他なりません。

何を最重要視するかを自分に戒めたのです

今思えば全ての流れが引退に向かっていたのでしょう

あんなにボクシングをやりたくて、会社をやめて。

あんなにボクシングをやりたくて、渡米をして。

試合をやりたくて、やりたくて、やりたくて

あんなにやりたかったボクシングをもうやりたくないのです。

今までも何かある度に、何度も、何度も、引退を考えていました。

しかし、勝ち続けていた為どうしても自分の可能性を諦めれなかった。

結果的に無敗のままではなく、負けて引退できたことは良かったと思います。

やらなかった自分の可能性を引きずる事もさほどないでしょう。

これで続行か引退かの葛藤からもおさらば。

今はすっきりしています。

おそらく私の目標は世界チャンピオンではなく、もともとボクシングをやりきることだったから。

色々な事を投げ出し、面倒からは逃げ出してきた半生。

それを繰り返したくなく、何か一つはやり遂げようと会社をやめて選んだボクシング。

そのボクシングをやりたくなくなるまでやりきった。

これは私の中でとても大きな事です。

もちろん後悔はあります。

できればもっと高みに行きたかった。

何よりこんな自己満足で完結するのではなく、他者を満足させたかった。

特に私に時間と労力とお金を費やしてくれた方々を満足させたかった。

トレーナーのオカベさん、ルディ、MTジムマネージャーの村野さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

同時にここまでやれたのは上記の方々のお陰であり感謝の気持ちでいっぱいです。

何もお返しする事が出来ず申し訳ありません。

妻に対してもです。

ここまで競技生活を支えてくれたのに、満足させるどころか「自分はちゃんとサポート出来ていたのか」と彼女は自責の念にかられていました。

幸を分かち合い、不幸を嘆きあい、苦労を分担して二人三脚で何とかアメリカ生活をしてきました。

今までの功績があるのも、今の決断が出来たことも、彼女のお陰なのに本当に申し訳なく思っています

他にも、私を応援して下さった方々を満足させたかったし、私の競技生活に好き勝手な事を言う人達を見返してやりたかった。

日本で試合もしたかった。

私を知る人々に私の闘う姿を見てもらいたかった。

そして、今度こそ、今度こそ、の今度を迎える事なく、今までの思いを報わす事なく現役を退くこと。

書きだすとたくさんの後悔があります。

しかし、どうしてもこれ以上の競技続行はする気が起こりません。

これ以上、健康を犠牲に得るだろう達成感に魅力も感じず。

これ以上、お金にならない努力をする時間と余裕もなく。

ここに引退を表明したいと思います。

大きな理由としては、金銭面・健康面です。

ボクシングがお金にならない(一部を除いて)事は重々承知でこの道を選びました。

私が望んでいるのは多くのお金ではなく、少しの、生活出来るお金で良かった。

お金に関してはもっと色々と巧くやれば、集めることも出来るでしょう。

だけれども巧くやれないのが私という人間性でもあると思うのでそれを覆し、無理をしてまで、これ以上人に頼ってまでどうしても続けたい、とは思っていません。

健康面に関しては今までの体験の蓄積と今後の人生を考えて

ひとつ間違えれば命を失っていた脳出血。

ひとつ間違えれば視力を失っていた網膜剥離。

それぞれを経験して、次は命を失う、と覚悟もしていました。

私はリングで死ぬかもしれないという覚悟はあれど、リングで死んでもよいなどと一度も思った事はありません。

今、こうして自分の意思と自分の言葉で引退宣言出来る事は決して普通の事ではなく、とても特別なことです。

五体満足でボクシングを引退出来て私はとても嬉しい気持ちです

それは、先日のロードワークが証明してくれました。

勝つ為でもなく、減量の為でもない、ただ健康の為に走る事がこんなに愉快だとは。

試合後の3週間、将来への不安を抱きつつもこんな穏やかな気持ちは久しく覚えがありません。

この先ボクシングを続けておけば、という後悔がよぎる事もあるかもしれません。

しかし、その際には今ある生に感謝し現実を受け入れる事が出来ると思います。

今はまだふとした瞬間に泣きそうにもなりますが、私はこれから生きる時間を得て、生かす機会を手に入れました。

もちろん明日何が起こるかは分かりませんが、それでも少なくともボクシングに悩まされることはなくなりました。

私はボクシングが自分の全てだ、などと思った事はありません。

天職だと勘違いする事もありませんでした。

私の引退に賛否両論もありましょう、私の発言も然り。

同じボクサーすら共感も出来ないでしょうが、これが岡田隆志の世迷言です。

目標は常に上にあれど、私の夢は足元にあったりすでに手の中にあったりするようなもの。

これからも夢を大切に抱えて、次なる目標に向かいます。



8戦6勝1敗1分け

少ない戦績でしたが、私の誇りでもあります。

それは自分なりに「やるだけやった」「やれるところまでやった」から。

だからスッキリしているのもあるでしょう。

小さな事でしたが成し遂げれたこともあります。

やってきたことに自信も持っております。

しかしながら大事なのは、今まで何をやってきた、何を成し遂げた、ということではなく、それを糧にこれからどう生きていくのか、今をどう生きているのかだと思います。

紆余曲折あったボクシング生活。

落ち込む事は多々あれど、その最中も、それを終えた今も、私は幸せに生きています。

引退を決めた後、娘との触れ合いの中で初めてその存在の全てをちゃんと受けとめることが出来た気がします。

こんな穏やかで優しい気持ちは初めて。








岡田は終わった、と。

誰かは言うでしょう。

それは自分自身かもしれません。

その時、私は精一杯の強がりも込めてこう言ってやります。




「あんごうが!まだ始まっとらんわ!!」  

(ばかやろう、まだ始まっちゃいねぇよと岡山弁で申しております)











まだまだこれから。

やっと終わり、やっと始まるのです。

正直、やっぱり、悔しいけれど

その悔しさは今後の人生で晴らします。

今度こそ。

負けてたまるか!わしゃ、やったるんじゃ!












鷹獅子(隆志氏)の世迷言    おわり