行ったり来たりして往復の小道は家内の学校の前であり茶道の東京道場の前であった。

学区のそばにケーキ屋さんができた。

家内が見つけてお茶をした。

休みでなければ道場で主菓子をいただくのだ。

なんでも手作りのシュークリームという、

イヤー美味しかった。





マニラ湾の夕日。


父の戦争の本はすべてなくなる、


一冊だけ父と私が好きだった映画の本を置いた。


父がひき逃げ犯を二度逮捕した時の感謝状はきれいにして元に戻した。

今月甥っ子と義理の兄が来るという。

それで元に戻す。

これから多くの人が出這入るするための整理なのである。


カートで父の戦争の本を運んだ。

やっと父の部屋から戦争の傷跡は消えた。

終戦記念日に間に合う。

家内も助けてくれて、

短歌の本だけを置いておくことにした。

ただ写真は前に母が飾ったように直した。

終戦は戦をやめたということとしたはず。

戦の写真はすべて処分したができないものもある。

終戦記念日で戦争は止めたのである。

日本は唯一の被爆国。

これを忘れたら平和憲法の意味がない。

どんなことが起こっても戦わない。

胸の覚悟一つを持つのは、

利休さんの平和への教えである。

あの動乱の戦国時代を突き抜けた茶道。

その教えの元、仁義礼智信とこれからも実行していかなければならないと思う。

終戦に思う。

二度とあの戦争を起こしてはならない。

もう父の日の丸は玄関には出ない。

父の東シナ海の夕日は何を物語るだろう。

ひょうきんな裏に強い後悔と自虐の念があった。

戦友の慰霊碑に祈る父の姿に60年前の父を見た。

私の戦友もずいぶん病死。

病棟では私一人が生き残る。

今は亡き私の戦友のためにこのままでは死ねない。

もう二度と仲間が倒れないように医学の進歩を見届けるのが使命と思う。

闘病半ばでなくなった親友を忘れることはできないのだ。