最初の主治医は耳鼻科で少年のころであった。

手術より幼いから草津のを温泉療法を勧められて、

たびたび祖母と二人で行く。

祖母も神経痛で二人で行けばひと月はいた。

これはつらい。

一日6回の入浴と蒸気を吸う、温水を飲む。

しかし三年目で検査の結果は治った。

中学からは水泳もでき、呼吸も楽になり、猛烈に読書である。

お陰でビりからトップという栄光にいた。

こんなことは初めてと校長さんも校長室を貸してくれて仲間と朝まで研究会ができた。


次は部活が運動部で、整形の先生。

我が家に下宿していたのでよく診てもらう。

三度のひざの手術を全身麻酔でしてもらい腫瘍をとった。

リハビリは茶箱で布団の上で起き上がりした。

気分は持ち上がり、何日も寝たままでも苦にならなかったのはお茶のお陰。


内科の主治医もうちにいた方。

すべて父の先を読んだ配慮。

家族に自分のジャングルでの病の後遺症が出た時に対応できるようにであった。

なんにしても戦争の傷跡は二代三代で抜けるものではない。

膨大な資料がある、

未だに謎が大きいのである。


でも毎日われわれはその後遺症と闘う。

負けてられない。


主治医の方が今日、郊外の病院に生徒さんを連れていかれることになる。

最近の大都市の医者不足を解消する手段であるらしい。

困ったが、今は電子カルテ、膨大な私の資料があるので心配はしていない。

臨床経験は今のお医者さんよりあり大ベテランな患者だそうだ。



新しい主治医はお爺さん先生で今の先生の先生だという。

自分の生徒さんかと思っていたら、飯村さんは大事な方だから頼んでみたんですという。

最初は男性の先生だから抵抗はなく、喜んだ。

兄に似て温厚な方である。

予約も同じ日で同じ時間にしていただいた。

まあ、安堵である。

家内もよかったという

帰りは道を変えて、旧古川男爵邸を通り、その中の駅に出た。

今はレストランとカフェに解放されていた。