朝からこの記事を書き、なかなかうまくいかなかった。

もうすぐ真夜中になる。

父との約束は果たした。

たくさんの戦いの謎を追った父の資料は寄贈した。

私には荷が重い。

俳句は父は子供のころから作っていた。


国鉄の学校で志願して飛行場設営隊に入る。

もちろん秘密任務。

いきなり呼ばれて神楽坂上から本郷の連帯本部まで歩いて出頭したそうだ。

道行く人は新品の軍服姿で出征が分かったのか。

お別れのつもりで敬礼したという。

気が付くと手が痺れて上がらなくなった、

そんな出だしから始まる随筆はところどころに俳句と短歌が載せてある。

それをいつか私が較正してみてくれという。


だがいたるところに部隊の方の実名がある。

残された遺族をおもうと書けない。

いくつかの俳句と短歌をここで父に代わり発表させてもらう。

三年ジャングルで負けを信ぜず戦った父。

特攻で生き残ったのを恥と一生かけて戦友にわびた。

最後の慰霊の旅には鉛筆をたくさん持って飛行場のそばに住む子供たちにお土産にあげられたのが
嬉しかったと語ってくれた。

父の青春は青いバナナと青いマンゴーなのである。

その渋さはないという。

生き残った隊長と最後の写真を撮る。

そのあと土砂に流されて75で行くのをやめてくれた。


父の遺作の短歌と俳句

征く日きて いとしみあぐる 我が家かな

夕涼し 兵団に湧く おけさ節

初飛行 降り立つ芝生に 轍跡

スコールの芭蕉打つとき みどりなり


この秋も 再再訪の 慰霊旅 戦跡巡りの 此島想いて


幾山河 征きて還りし 四年ぶり 仮の仏壇 吾の位牌


父の作品はワープロ原稿で感熱紙のためにもう消えかけていました。

何とか今月の命日までに父の作品を今一度よく噛みしめたいと思います。

まさに時間との競争になります。

ありがとうございました。

戦は嫌いですが、高ぶる魂はなんで消しましょうか?