’24春は「大阪あそ歩」で4コースご案内します。
春・秋の気候の良いときだけさせて頂いているガイドですが
今回もたくさんのお申し込みをいただき感謝しています。
今準備しているのは
大阪の西区、靭・江之子島・川口の地域
歴史的にもとっても面白い土地なんですが
今は碑があるだけで、その時代のものがほとんど残っていません。
故に、古地図や明治末期からの地図、その場所が描かれている図会や錦絵、古い写真を集めたり
堀川跡などの見学を地域の方にお願いしたり
わかりやすく説明できるように
ああでもない~、こうでもない~と工夫しています。
時間がかかりますが、この作業は結構好きです。
江戸時代、今の靭公園、なにわ筋と交わるあたりに
永代浜と呼ばれた海産物の荷揚げ用の浜が作られました。
『浪花百景』大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより
靭海産物市場は、干物・塩干もの・鰹節などをあつかい
干鰯(ほしか)は大阪近郊の商業作物の肥料として取引されました。
楠永神社
そのそばにあった楠がご神木です。
靭公園は、都会のオアシス
大坂なおみ選手が幼い日に練習した靭テニスセンターもあります。
四季折々の花や木が市民を和ませます。🌸
天保の大飢饉後、民衆を飢えから救おうと決起した「大塩平八郎終焉の地」の碑が
置かれていた建物の改修に伴い、靭公園の真ん中に移転されています。
この場所は、戦後は占領軍に接収され小型機用の飛行場となりました。
靭公園が東西に長いので、想像がつくと思います。
(飛行場は終戦前に日本軍によって作られ、その後占領軍にという記事を見たこともあります。)
昭和30年の失業対策事業により、靭公園として整備されました。
靭公園の西にあった百間堀川沿いには雑喉場の魚市場
賑わっていますね~
昭和6年大阪市中央卸売市場の開場まで存在しました。
『摂津名所図会』大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより
その南、江之子島には二代目大阪府庁が建っていました。
明治7年に建てられ、大正15年まで約50年間にわたりここで大阪府政はおこなわれました。
素晴らしい建物ですね~
残念ながら戦災で焼失しました。😢
写真はいずれも大阪市立図書館デジタルアーカイブより
木津川橋を渡ると昔の戎島
ここでは、「出船千艘、入船千艘」といわれた江戸時代の様子を語りましょう。
安治川、木津川が合流する戎島の北端には大阪船手会所
元和6年(1620年)に設けられた船舶管理、民間商船検査を行う
江戸幕府の役所がありました。
1868年開港に伴い
船手番所や船蔵などがあった地は外国人が住む川口居留地となりました。
明治初めの新風俗は川口から入り、街のあり様、生活様式、食べ物などなど
大阪の人々の生活に大きな変化をもたらしました。
その時代の建物は何も残っていませんが
1926年建設の日本聖公会川口基督教会の聖堂が当時の雰囲気を伝えます。⛪
港の不整備や商取引の加減で商人はすぐに神戸へ移りますが
そのあとにキリスト教の宣教師が多く入り
今に続くたくさんのミッションスクールが生まれました。
「磁石橋」とも呼ばれた高いマストの船が通れるように整備された安治川橋もありました。
ここでは明治18年の大洪水について話します。
運上所跡、大阪税関発祥の地跡です。
五代友厚、陸奥宗光が働いていた場所ですよ。
港に面していたこの場所が、来年の大阪万博に向けて新たな海運の拠点になります。
今はだ~れも来ない空き地ですが・・・💦
4月8日(月)靭・江之子島コース
まち歩きの最後に津波・高潮ステーションの見学をします。
5月24日(金)川口・江之子島コースは
川口基督教会の聖堂の見学をさせて頂きます。
最後は、中之島センタービルの31F で
景色を楽しみながら昼食です。
こちらは発表の翌日に満員になりました。
有難いことです。
しっかり準備をして臨みます。
今日もお越しいただいてありがとうございました。