今月の初旬、一緒に勉強しているお若い方の街歩きに参加しました。

とっても楽しかったんだけれど・・・トータル6時間の街歩きびっくり

長すぎるがな~えーん

 

 

我々高齢女性4名も、3時ごろまでは頑張ったんだけれど・・・

もう脚はパンパン、頭はふらふら~

やっぱり3時間以内でまとめんとアカンよ~

ただ建築に詳しい方がおられたので、いろいろ教えてもらったのはありがたかったわ。

 

 

 

岸和田の街歩き

 

歴史あり伝統行事あり、建物あり、美味しいものありの

素敵な街でした。おいでラブラブおいで

ほんと盛沢山だったので、今日は午前中のスポットだけでも

 

 

南海本線 蛸地蔵駅 

 

 

大正3年(1914)4月に開業した駅舎は南欧風です。

 

 

そして、天窓のステンドグラスが美しい乙女のトキメキキューン

 

 

明治の終わりから大正にかけて作られた南海電車の駅舎

諏訪ノ森、高師浜のステンドグラスも素敵 乙女のトキメキ

高架工事後も保存されると聞いたんだけれど・・・また見に行ってきます。

 

そして、明治40年(1907)辰野金吾設計の木造平屋建ての駅舎

浜寺公園駅も素晴らしい!!

 

南海電車大好きです。音符

 

 

 

 

左側は戦国時代、根来、雑賀衆の襲撃から

1人の大法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が岸和田城を守ったという伝説を描いた

「蛸地蔵縁起絵巻」のワンシーン

 

左側の白い頭が蛸です。🐙

 

 

正面は岸和田合戦(1584年)の様子が描かれています。

 

 

 

十六軒長屋は全長120m、大正11年(1922)頃に建設

これだけ連なる長屋は初めて!!

 

 

類焼を防ぐために4軒ごとに空き地があります。

 

 

古い、立派な家がたくさんあります。

これは袖壁だったかな?

袖壁と、袖うだつの違いについて教えてもらったんだけれど・・・

初めて聞いた言葉なので忘れました。てへぺろ

 

 

 

天性寺

 

こちらの地蔵菩薩さんが蛸地蔵と通称されています。

 

 

 

 

境内で岸和田煉瓦

 

真ん中のレンガの真ん中にクロスのマークがあります。

 

元岸和田藩士、山岡伊方(やまおかただかた)が
明治20(1887)年に
第一煉瓦製造会社として設立した会社で
その前身は明治15(1872)年に士族授産事業として始められた煉瓦会社やそうです。


岸和田煉瓦(株)のレンガは高品質で耐久性があるので
重要文化財の「旧山口県庁舎」や
同志社大など各地で使われているそうです。
 

 

 

 

三の丸神社

 

「岸和田だんじり祭り発祥の宮」とありました。神社

 

 

元禄16年(1703)岸和田藩主岡部長泰が、京都の伏見稲荷を勧請し

領民が城内に入っての参拝を許しました。

この三の丸の秋の収穫祭で太鼓を打ち藩主に芸を見せたのが

今のだんじり祭り始まりと言われています。

 

 

盥漱盤(かんそうばん)

 

元禄16年の刻字が背面に掘られています。

 

 

「岸和田だんじり祭り」の由来

 

 

宝永元年(1704)現大阪市と堺市等の境界となっている、大和川の付替え工事が行われました。

その際の土を運ぶ荷車に板を張り太鼓を乗せて城に入り

藩主の前で様々な芸をしたのが、城下町の伝統行事として受け継がれているとありました。

「だんじり」に「地車」の漢字をあてるのはそのためとの説もあるんですね。

 

 

 

岸和田教会

 

 

 

明治18年(1885)に設立された、大阪では5番目に古いプロテスタント教会だそうですが

こちらでは、新島襄と岸和田煉瓦の山岡伊方のお話を。

 



今度は洋風の集合住宅、マンサード長屋(大正末期)です。

腰折式の屋根のかたちがマンサード風といわれるそうです。

 

 

そして岸和田城

キラキラキラキラキラキラ美しい!!キラキラキラキラキラキラ

 

 

昼食までに、もう少し歩きましたよ。ニコニコ

 

 

今日もお越しいただいて、ありがとうございました。お願い