中国はやがて借金大国となる (小島正憲氏) | 清話会

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中国はやがて借金大国となる (抜粋版)

小島正憲氏 ((株)小島衣料オーナー )

                             
2011年末、中国ではマンション・バブルの崩壊が始まった。

2012年、中国経済がマンション・バブルの崩壊によって、大きく揺さぶられることは必定である。それでも、それは、中国という国家を崩壊させることはない。中国政府が財政・金融などのあらゆる政策を駆使して、これを乗り切るからである。しかしその結果、中国は、先進資本主義各国と同様の借金大国への道を辿ることになる。


2. 現代中国経済の歩み

中国は、1992年の鄧小平の南巡講話以降、全面的に「中国は世界の工場」の時代に突入した。外資は低賃金労働力を求めて、中国に蝟集した。当時、中国では農村に余剰人口が6億人以上存在していると言われ、それが怒濤のように都会に流出してくるため、低賃金労働力は無尽蔵であると思われていた。

しかしそれはわずか10年ほどしか続かなかった。2003年夏、突如として、珠江デルタ地域で人手不足が騒がれ始めた。人手不足は次第に沿岸部諸都市に波及し、数年後には常態化するようになった。当初、それは疑問視されていたが、今では誰一人疑う余地のない常識となった。

ただしその原因については、いまだにだれも正確に分析できないでいる。私は「無数のモグリ企業が労働者を吸収し尽くしているため、統計上には一切反映されず、失業率が高いのに人手不足という矛盾した現象が表面化しているのである」という仮説を提唱している。

その後、当然のことながら、労働者の賃金は急上昇し、外資は就労環境の改善に努めなければならなくなった。これで「中国は世界の工場」の優位性がかなり減殺された。

胡錦濤政権は北京五輪を控えた2007年末、外圧に屈し、新労働契約法を強制施行した。この新法は労働者の権利を全面的に擁護したもので、内外資を問わず、経営者にとってきわめて不利なものであった。これ以降、労働者は権利意識に目覚め、各地で争議が頻発するようになり、そのほとんどで経営者側が敗北するハメに陥った。

外資はこの事態に慌てふためき、中国から労働集約型外資の総撤退が始まった。2008年の旧正月明けには、韓国企業経営者の派手な夜逃げも出てきた。この新法は、外資にとって、「中国は世界の工場」の晩鐘となった。

2008年5~6月、外資の総撤退で輸出が激減し、中国経済は大きく落ちこんだ。胡錦濤主席以下の中国政府首脳が、総出で沿岸部諸都市を調査した結果、それは容易ならざる事態であることが判明した。中国政府は北京五輪を目前に控え、内需拡大に緊急避難せざるを得ず、家電下郷政策などを打ち出したり、前年末からの金融引き締めを緩和したり、新労働契約法の弾力的運用まで指示した。そしてどうにか北京五輪を凌いだ。

しかし9月、リーマンショックが中国経済を襲った。政府は躊躇なく4兆元の財政出動を決定し、汽車下郷政策を始め、内需のさらなる活性化を図った。そして先進資本主義各国が総じて、経済危機脱出策を打ちかねている間に、中国はいちはやく内需の拡大に成功したため、「中国は世界の市場」として、その名を馳せる結果となった。

しかし実際には、「中国は世界の市場」の幕は、2001年に切って落とされていたのである。1992年以降、中国からの怒濤のような輸出攻勢が欧米市場を席巻し続けた結果、中国は欧米諸国から国内市場の開放を迫られるようになった。2001年、中国は外圧に負け、WTOに加盟し、国内市場の開放に踏み切った。

それでも当時は、中国市場に積極的に参入する外資はあまり多くはなかった。私は、「やがて中国が世界の市場になる」と読んでいたので、中国市場へ進出しようとする日本企業のために、上海の中心地の商業ビル(上海世貿商城)内に200店舗分のスペースを借り切って、日本商店街をオープンした。

当時わが社は、中国全土の百貨店内に直販店を60店ほど持っていたので、中国市場の難しさがある程度わかっていた。そこで日本企業にまずこの商店街に入居してもらい、中国市場に慣れてもらおうと考えたのである。そこにコピーやFAXなど事務用機器をはじめ、事務員や通訳、コンサルタント、通関士、税理士、弁護士などを準備して、進出企業がそれらを気軽に使えるように工夫した。もちろん家賃は格安とした。

ところがこのわが社の呼び掛けに呼応して、中国市場進出に名乗り出て来る企業は少なかった。ファッションショーやモデルのオーディションなどもやってみたが、さっぱり効果はなかった。1年半後、私は大損をして、この事業から撤退した(拙著:「中国ありのまま仕事事情」 P.70)。

その後、中国は高度成長期を迎え、中国人民の中に富裕層が生まれ、彼らが内需の担い手となっていった。また2008年の北京五輪などをきっかけとして、中国内需に目をむける外資もじょじょに増加していった。

さらに2009年に入り、中国政府の4兆元の内需景気刺激策の効果が現れ、外資にとって、中国はきわめて魅力的な市場と映るようになった。しかも外貨準備高世界一、GDP世界第2位などの数字が一人歩きし、各国のメディアが「中国は世界の市場」と大合唱したので、その中国市場を目がけて新規の外資が雪崩を打って進出する事態となった。

中国は「世界の工場」から「世界の市場」へ、完全にモデルチェンジすることに成功した。しかも「中国は世界の工場」のときよりも、「中国は世界の市場」のときの方が、外資の参入が、額も件数も格段に多くなったのである。

この新規外資の参入は、無償の資金援助の続行となり、まさにそれは中国にとって天佑となった。なぜなら工場型外資の投資は工場や設備に使用され、一定期間、資金が寝てしまうが、市場型外資の投資は、そのまま仕入れや給与などの運転資金に回され、速効的な働きをするため、内需の活性化には特効薬の役目を果たすからである。しかもそれらの外資が失敗して撤退する場合には、固定資産はほとんど残っていないため、投資は中国の丸儲け状態になるからである。

しかしながら私は、中国にとって、それは両刃の剣であると考えている。なぜなら「中国は世界の市場」の掛け声につられて中国市場に進出してきた外資は、逃げ足が速いからである。中国市場が儲からないと分かれば、それらの外資はさっさと撤退してしまうからである。

一方、4兆元の内需刺激政策の結果、中国にはマンション・バブルという怪物が誕生してしまった。もともと地方政府はインフラ整備などを名目にして、農民からタダ同然の値段で土地を収用し、それを不動産開発商に高額で売却し、多額の収入を得て、その資金をインフラ整備などに充てていた。なおこのとき、その一部が地方政府役人の腐敗の温床になったことは疑う余地がない。

不動産開発商がそこにマンションを建てて売り出すと、それに富裕層が蝟集した。彼らは投機目的でマンションを2~3軒、買い求めた。マンション価格はどんどん上昇し、とうとう沿岸部のマンションの値段は東京を超えるようになってしまった。マンションは人民大衆には、まったく手の届かないものとなり、怨嗟の的になった。また人民元高を狙った投機資金の流入やインフォーマル金融もそれに加担し、その資金がマンション価格を押し上げた。

中国政府役人や富裕層は、このマンション・バブルで大金を儲けて、外国に高飛びしようと企んだ。高騰するマンション価格は、中国人民の間に充満している格差への不満の絶好の対象となった。頻発する労働者のストや公害反対デモ、土地騒動などを前に、中国政府はマンション・バブルつぶしに動かざるを得なくなった。 

2011年末、沿岸部主要都市のマンション価格は、少なく見積もっても20%は下がり、バブル崩壊は間近に迫った。



オリジナルの文章より、第2章のみを抜粋させていただきました。)



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清話会  評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )

1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら今年より現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。

●小島正憲氏の「読後雑感」 これまでの連載記事はこちら!
http://ameblo.jp/seiwakaisenken/theme-10028305790.html




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