三重の危険をもたらす最高裁判決 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

乳腺外科医事件の最高裁判決について。

 

まず、2020年7月13日に言い渡された絶望的な控訴審判決が破棄されたことは本当によかった。

この絶望的な控訴審判決については、当時の思いを記事にしていたよう。こちら

 

しかし、今回の最高裁判決は、S医師の無罪を確定させるものではなく、審理を高裁に差し戻した。

この差し戻しという判断がいかに誤りで、いかに過酷なものかを記しておきたい。

 

 

判決文は裁判所ウェブサイトに掲載されているので、こちら

 

この判決の結論部分は、

「Aの証言の信用性判断において重要となる本件定量検査の結果の信頼性については,これを肯定する方向に働く事情も存在するものの,なお未だ明確でない部分があり,それにもかかわらず,この点について審理を尽くすことなく, Aの証言に本件アミラーゼ鑑定及び本件定量検査の結果等の証拠を総合すれば被告人が公訴事実のとおりのわいせつ行為をしたと認められるとした原判決には,審理不尽の違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。

 よって,刑訴法411条1号により原判決を破棄し,同法413条本文に従い, 専門的知見等を踏まえ,本件定量検査に関する上記の疑問点を解明して本件定量検査の結果がどの程度の範囲で信頼し得る数値であるのかを明らかにするなどした上 で,本件定量検査の結果を始めとする客観的証拠に照らし,改めてAの証言の信用性を判断させるため,本件を東京高等裁判所に差し戻すこととし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。」

という部分である。

 

つまり、この最高裁判決は、控訴審の審理が十分ではなく、審理を尽くしていなかったことを理由として控訴審判決を破棄するとともに、あらためてDNA定量検査の信頼性などについて審理をさせるために高裁に差し戻した。

 

一見するとこの最高裁判決は、「慎重な判断」に見えるかもしれない。しかしそうではない。

この事件は第一審で無罪判決が出されている。

この第一審は第1回公判の後、期日間整理手続に付され、1年以上もの時間をかけて検察、弁護双方が必要な証人尋問、証拠請求を検討し、検討に検討を重ね、その結果、検察は19人の証人を請求し、15人の証人が採用され、弁護人は15人の証人を請求し、11人の証人が採用され、濃密な尋問が実施された。

その概要も第一審判決後に記事を書いていたのでこちらを参照。

この中には、もちろんDNA定量検査に関する証人も登場している。検察からも弁護からもこのテーマについての証人が請求され、実際に尋問が行われた。

 

このような濃密な証人尋問の末に出された無罪判決に対して、検察官が控訴をした。

被告人というのは、何の力もない一個人である。弁護人も強制的に証拠を収集したりする権限など何もない。

一方で国家の代表である検察には、膨大なお金と、膨大な人員と、法律によって強制的に証拠を収集する権限まで与えられている。

刑事裁判というのは、このような極めて偏った当事者による裁判である。

そして国家による訴追に対して無罪の判決が下された後に、もう一度一人の個人が危険に立たされるのが検察官控訴という制度である。

 

日本国憲法39条はこのように定めている。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

 

一審無罪事件の控訴審というのはこの憲法39条に反すると私は思うが、最高裁判所は二重の危険にはあたらず、憲法39条に反しないとしている。

 

このような一審無罪事件に対する検察官控訴による控訴審も、なんでも無制限に審理できるわけではない。

控訴審は、裁判を一からやり直すのではなく、第一審判決を事後的な視点で検証して誤りがあるかどうかを判断するというものである。

こういうのを「事後審」という。

なので、控訴審において新たに証拠を提出すること自体、法律でとても例外的なものとされている。

控訴審で新たに証拠調べを求めるには、第一審の弁論終結前に証拠調べ請求をすることができなかったことについての「やむを得ない事由」が必要とされている。

「やむを得ない事由」がなければ、そのような証拠調べはしないと法律で定められている。

 

また、この事件のように第一審において公判前整理手続(期日間整理手続)が行われた場合、整理手続き後に新たに証拠調べを求めることも原則としてできないこととなっており、これについても「やむを得ない事由」がなければならないと法律で定められている。

 

つまり、公判前整理手続が行われた事件においては、検察も弁護も必要な証拠請求、証人請求はすべて整理手続きの中でやらなければならず、後出しで証拠調べ請求することについては、検察も弁護もできないことになっている。

そして、その事件の控訴審においても、基本は第一審に出てきた証拠のみに基づいて判断するというのが、法律の決まりである。

 

このようなルールのもとで行われたこの事件の控訴審の審理において、裁判所は「せん妄」について2名の医師の証人尋問を職権で実施した。せん妄については、第一審でも当然検察も弁護も証人を請求し、証人尋問が実施されており、控訴審において新たに2人の医師の証拠調べをすること自体、本来は認められないはずのものである。

本来はこのような証拠調べをすることなく、第一審の無罪判決に誤りがないかどうかを事後的に判断するのが控訴審裁判所の役割である。

 

東京高裁はこのような本来の法律の定めとは異なるやり方で証人尋問を実施し、第一審の無罪判決を破棄してS医師に懲役2年の実刑判決を言い渡したのであるが、これが余りにも非科学的な判断であったことは今回の最高裁判決も認めた。

 

話は戻して・・・

今回の最高裁判決は、上にも書いたとおり、

控訴審の審理が十分ではなく、審理を尽くしていなかったことを理由として控訴審判決を破棄するとともに、あらためてDNA定量検査の信頼性などについて審理をさせるために高裁に差し戻した。

 

私はどう考えてもこの理屈が理解できないでいる。

控訴審の審理というのは、あくまでも第一審の証拠に基づいて、第一審の判決を検証するものである。そのように法律に書かれている。

この事件の控訴審は、本来ならば行うことのできないはずの、せん妄についての証人尋問をあらためて実施し、S医師に誤った有罪判決を言い渡したわけであるが、この控訴審の審理が十分ではなく、審理を尽くしていないというのは、どういう意味であろうか。

最高裁は、DNA定量検査の信頼性について控訴審で審理を尽くせと言うが、DNA定量検査については第一審の段階から検察も弁護も証人を出しており、証人尋問が実施されており、その結果として今回のDNA定量検査が十分な信頼性がないことは明らかになっている。

少なくとも、信頼にたるものであることを検察が証明できていないことは、今回の最高裁判決も認めるところである。

 

そのようなテーマであるDNA定量検査について、さらに証拠調べをするということは、控訴審の役割ではない。

少なくとも法律に反していると思う。

DNA定量検査の信頼性について、検察が控訴審で証人請求することについて「第一審で証人請求できなかった「やむを得ない」事由」など全くない。

 

それにも関わらず、最高裁は再び控訴審において検察に対してDNA定量検査の信頼性について立証をする機会を与えるというのが、今回の判決である。

 

この判決によって、被告人であるS医師は、三回目の「危険」に立たされる。

 

第一審無罪の事件の検察官控訴について、上告審が控訴審判決を破棄して、さらに控訴審に差し戻すというのは、極めて非人道的だと思う。そして、これは明らかに刑事裁判のルールに反していると思う。

 

残念ながら、この最高裁判決に対する実質的な不服申立ての手段はない。

審理は再び控訴審に移るが、もう事件から6年が経とうとしている。

5年以上もの間、刑事被告人の立場に立たされ、三度目の「危険」に立たされるS医師のために、私たちは三たび防御をすることとなる。

これがいかに残酷で、非人道的なことかを想像してもらいたい。