今に繋がる記憶 Vol.1 フリーのロケアシ時代の話 | シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

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カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

僕は20代中頃にスタジオを卒業した。その後しばらくフリーのロケアシをしていた。

主な仕事はカメラマンのアシスタントで早い話が日雇いの直アシみたいなものだ。以前はカメラマンになる方法として、まずスタジオで修行をした。その後自分が付きたいカメラマンを探して直アシ(専属アシスタント)になる。その後師匠の許しを得て独立という流れが一般的だった。しかし直アシをつけられるのは一部の売れっ子カメラマンのみで多くのカメラマンはスタジオから派遣されるロケアシで現場をこなしていた。当時は完全にフィルムの時代で35mmカメラでの撮影以外アシスタントなしの撮影は考えられなかった。
フリーのロケアシはスタジオのロケアシより融通が効くのでかなり重宝された。懇意のカメラマンが4人~5人いれば十分生活できた。余談であるが僕はカメラマンとして独立すると決めてフリーのロケアシをやめたがとたんに収入が半分以下になった。下手なカメラマン仕事よりロケアシの方がよっぽど稼げたのだ。
そのフリーのロケアシ時代にあるカメラマンについていた。ヘアメイクとして成功した後、カメラマンとしても活躍されていた方で最近では俳優としても活躍する有名アーティストの専属ヘアメイクをされている方だった。僕はちょうどカメラマンとして独立を狙っていた頃だったので誰彼構わずポートフォリオ(ブック)を見せてまわっていた。そのカメラマンにもブックをみてもらった。
当時僕はブックにかなりの自信を持っていた。業界最先端の撮影現場に何年も携わっていた僕はそこで得た知識を自分流にアレンジして作品を作っていた。技術的にも出来映え的にもプロとして十分通用するレベルだと思っていたからだ。
そのカメラマンはひとしきり僕のブックを見るなり言った。「写真が撮れる事はわかった。でもお前の女性観が写真から読みとれない!」短い感想だったが僕の思い上がりをたしなめるには十分だった。それまで僕は写真の仕上がりが一番でモデルもスタイリングもメイクもその要素のひとつだと考えていた。確かにそういう写真作品もあるしそれが悪いとは思わない。しかし僕が写真を始めたころ映画のような写真を目指していた。映画の中で泣き、笑い、いろいろな葛藤に向かい合ういろいろな登場人物に夢中になっていろいろな映画を見た。
僕が作っていたブックのモデルたちは一様に無表情で人間らしさを欠いていた。そこには昔、目指した映画の登場人物のような表情豊かなヒロインの姿は無かった。女性観はもちろん人間観さえも欠いていたのだ。
その一言があってから僕は写真に対しての考え方を変えた。というかは初心に戻ったのだ。モデルの魅力を引き出すための、メイク、スタイリングを心がけた。写真は一番あと。モデルとの積極的に話しどういう人なのか、魅力的なポイントはどこかというのを丁寧に見ることに時間を費やした。
写真は目線だと最近は思う。人や物や風景をどの角度、どういう目線で見るか、それを決めていく作業が写真なのかなと思っている。だから余計な演出や力技はなるだけ避ける。レンズ選びもそれがトリッキーな写りをするものを選んでるわけではなく、僕の目、心象風景に近い写りをするものを選んでいる。そうすると控えめな個性のレンズが残るがそれでいいのだと思う。
自分が目の前を光景を見て感じた感情を素のまま伝えられればそれで十分なのだと思う。