サヌキとアワが 入れ替わるとき。 | そのまんま♪ 天然自然の おんな塾 from vision island あわじしま

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太陽と踊ろう。空に歌おう。海と遊ぼう。つながるだけで思い出せる。天然自然に笑う おんなは きっと大地に しあわせを産む。






ことむけやはす

いだきまいらす

が どうして
大切だと 思うかというと

それが
「ヤ」ヲヨロヅの
「マ」を
「ト」け合い 融け合わす

ヤマト の ことのは


あらそわない
たたかわない 在り方

かと 思うからです。

前にね

長年 うまくいかなかった
お母さんが いらした方がいて。

伝え続けても
伝わらなかった

うらみや つらみが
たくさん あったそうなのだけど。


あるとき お母さんが
やっと ひとこと


「わるかったね。」


って 言ってくれたんだって。


「それで 不思議と

ぜんぶ とけたんです。」

って、おっしゃってました。


同じ行動を するにしても、

ひとこと 添えたり
お礼を 伝えたり

相手に 花を持たせたり

いや 私も まだまだまだ
なんですけどね、(笑)


ことば って そのように

ふしぎな やわらげる 力が
あると 思います。


いだきまいらす、は

いわゆる ネガティブな 感情、
とか 言われるもの もね

怒り、哀しみ、嫉妬、
罪悪感 や 無価値感


そういうのんね、
いっつも

「無くそうと 思わないことー!!」


って 言うんですよ。

無くならないよ

生きてるかぎり。って。


もう 抜けた、

もう 大丈夫、とか 言うから

次の レイヤーで
似たような感情を 味わって

必要以上に 落ちたりするでしょ。

落ちるのだって
程度の差こそあれ

いつまでだって
ぜんぜんアリですやん。


だから
持ったまんま 抱いたまんま

前を向いて とりあえず
歩くわけです。


歩いてるうちに いろいろと

面白いことにも 出逢うから、


歩き出さなきゃ
動かなきゃ 3次元では (笑)

何にも 出逢いにくいんだから。


素敵だなぁ と 思う 人物は

いっぱいいっぱい
抱いたまんま
歩いておられるうちに

いつの間にか
ウツワ が 拡がってたよ。

っていうふうな 方だなぁと
思うのですよ。

いつも お話している

サヌキ と アワの 1611年

これが 入れ替わるトキには

サヌキは
暴れるかもしれないんですよ。


スーパーの床で グルグルする
2歳の 男の子みたいに。

けれど ほんとのところ

その子は ママのこと
誰よりも 大好きなんですよね。


世界で いちばんかもしれない、
何があっても
愛してくれてる子 なんですよ。


クソババアーーー!!!

って 叫ばれて

ガンガン 蹴飛ばされても


はいはい。って おだやかに

いだきまいらせる ためには

この子を 愛している
この子に 愛されている

よっぽどの
自信がないと できませんよね。


みっともなさ や
みじめさ しか

感じられないかもしれない。

ただ

それが 起こる ということは

私たちは 抱けるだけの

それ相応の
大きさが あるはずだ、ということを

いつも 思うんですね。


私なら 耐え難いであろうと 思う
出来事を 目の前に した人には

必ず その チカラがある

って しか 私は 思わないから、

尊敬するんですよ その 瞬間に。
すごいなぁ

これを 超えてゆかれる
シナリオを お持ちなんだ。って。

サヌキ は
便利な 世の中のかわりに

戦い 争いも

植民地や 奴隷や
捕虜を 生み出しても きたのなら

アワ の 在り方

これから シフトしてゆくときに
肝要な ことが

この 2つの ことばには
あると 思っています。


古事記や 日月神示は

たぶんですけど
カタカムナ より 新しいし m(__)m

出典も バラバラだけど
ひらめいた 言葉なので

おこがましいでは ありますが。



つまりは

「自分自身と それから

相手の なかにある

偉大さ 崇高さ
純粋さ を みとめて

うけいれて ゆくこと」


そんなかんじかな。。

大げさかも しれませんが
捕捉でした。

長くなりましたが
ありがとうございます!!



あっこ拝