映画アイアンクロー、鉄の爪フリッツの写真とゴング追悼号で偲ぶ! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 初の日本武道館といえば、音楽であればビートルズですが、、、

 プロレスでは、1966(昭和41)年12月3日ジャイアント馬場Vsフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル選手権である。

 最近ではYouTubeでもこの試合の映像をみることができる。

 

 現在、上映中の映画「アイアンクロー」の宣材によれば、

 1980年初頭、熾烈な競争のプロレス界に歴史を刻んだ“鉄の爪”フォン・エリック一家。

 父フリッツに育てられた息子の長男ケビン、次男デビッド、三男ケリー、四男マイク(スタンリー・シモンズ)ら兄弟は、父の教えに従いプロレスラーとしてデビュー、デビッドが世界ヘビー級王座戦へ指名を受けた直後、日本でのプロレスツアー中に急死する。ここからフォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われる。

 

 フリッツ・フォン・エリック家族の物語であるが、モノクロ時代のエリック・ファミリーを知っているので、あまりにも悲しすぎて映画館ではみることができない。

 

フリッツ・フォン・エリック

 今はなきゴングでの「世界名レスラー100人伝説!!」の表紙はフリッツ

 宣材の鉄の爪やフットボール時代の写真もあって、今は亡き竹内宏介氏のプロレス愛を思い出す、、、

 

ゴングのサイン集

 表紙のフリッツは黒のTシャツ姿でカッコいい。

 ジン・キニスキーとかフリッツのようなレスラーは今の時代にいるのだろうか、、、

 

1973(昭和48)年4月13日

 日本プロレスの最後のシリーズに参戦したときの写真が残っていた。

 このとき息子のデビッドを連れてきていて、大木金太郎とのインターナショナル選手権

 息子への社会見学だったのか、TV放映がなくなった日本プロレスへの義理だったのだろうか、、、

 

1997年9月10日フリッツ死去

 ゴングでは前年にフリッツの取材をしていて、特集号を出している。

 フリッツを襲った息子たちの悲劇、ドリス夫人との離婚、一時消息不明となっていたのですが、、、

 テリー・ファンクからキラー・カール・コックスに連絡し、インタビューに応じたとのエピソードも感動的で、馬場さんについても「俺とインターのベルトを賭けて戦った頃が、馬場のプライムタイムだったんじゃないかな。」

 一方、ゴングの竹内さん、馬場さんと初めて口をきいたとき「ボクは外人レスラーの中では、フリッツ・フォン・エリックが一番、好きなんですよ」って、言ったらしい、、、

 

いやぁ、まいったなぁ