あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昨日の5月1日はメーデーでしたが、、、

中森明菜デビュー日、育ての親が明かす秘話」、新聞のテレビ欄の見出しにひかれて、YTV(読売テレビ:日本テレビ系列)の「情報ライブ ミヤネ屋」を視聴

 

デビュー42周年記念

 本日ベストアルバムが発売、ブログが更新されたとか、、、

 

育ての親が明かす秘話

 これは島田P証言、♪少女Aなどで、既に書籍で語っていたエピソードでしたね、、、

 

作曲家が明かす名曲裏側

 こちらも♪北ウィングの作曲者の林哲司さんの談話で、新鮮味はなかったですが、ちゃんとインタビューをとっていたのがよかったですね。

 そして、映像の明菜は昭和歌謡の歌姫、素晴らしいとしかいいようがない、、、

 

「上沼・高田クギズケ!」

 その前の4月28日、YTV(読売テレビ)で放映された、、、

 トップの話題が中森明菜さんの復活

 

上沼恵美子さん

 やはり、明菜さんの話題となると、嬉々として得意ネタを披露

 翌日のスポーツ新聞などにもとりあげられていて

・明菜の関西後援会の芸能人1号がやしきたかじんさんで、「2番目が私だった。明菜ちゃんが来てて、入らしていただいた」が、会費は払っていないとか(笑)

・ 「楽屋に行きます。何もって行ったらいいですか?」と聞くと、明菜に「レモンの木」と言われた。「レモンの木を探してんけど、どっこもなかった。それで(楽屋)行かへんかったんや。やっぱり違うな、スターは」と語った。

 

あれっ、このネタ聞いたことがあるなぁと思っていたら

 同番組で、2022年5月8日と2023年11月19日に喋っていたので、鉄板ネタなのでしょうね(笑)

 

明菜さんがなぜレモンの木といったのだろうか?

 レモンといえば、週刊「ザ・テレビジョン」の表紙

 1982年9月22日発創刊号の表紙でレモンをもったのが、当時角川の秘蔵っ子、女優の薬師丸ひろ子さん。

 ちょうどこの年の5月にデビューしたのが、明菜さんで、上沼さんが聞いた当時、明菜さんはザ・テレビジョンの表紙に登場していたのだろうか、、、、

 ちなみに、当時は難しかったでしょうが、いまではレモンの木はネットでも購入できるので、、、

 上沼さん、明菜復活イベントには、レモンの木を贈ったらどうでしょうかwww

 また、会費も払ってあげてくださいねwww

 

いやぁ、まいったなぁ

 

 

 

 浅尾美和さんといえば、バレーボール選手ですが、、、

 関西人にとってはABC(朝日放送テレビ)の朝の看板番組「おはよう朝日です」の水曜日のコメンテーター

 

浅尾美和さん

 2012年12月10日、現役引退。

 2013年4月2日、結婚し、岐阜県可児市へ引っ越して専業主婦に

  なお、結婚する27歳まで男性と交際したことが一度もなかった!

 2016年5月、日本マザーズ協会によるベストマザーズ賞を受賞。

  故郷三重県から請われて「みえの国 観光大使」を務めているとか。

 おは朝のコメンテーターは、2019年4月から務めているとか

 中日ドラゴンズファン(2009年から)なので、阪神タイガースファンの岩本アナからのいじられキャラになっているのですよぉぉぉ

 

先週の水曜日

 阪神タイガースが首位をキープしたが、当初快調だった中日ドラゴンズが5連敗、浅尾さんはこれからですよって、前向きな笑顔に

 

5月1日(水)

 昨日、猛虎快勝、岩本アナは変顔で浅尾さんをみて、これって、いじめっ子www サディスチックなのですが、、、

 

浅尾さんもスポーツ選手らしく、結果は結果として受け入れるし、耐える姿がいいし、笑顔で返すので、、

 関西の視聴者にも、好感度は高いはず、、、、

 

 去年の成績と比べればという話題などで、浅尾さんも笑顔満開でホットしましたね、、

 

いやぁ、まいったなぁ

 

 関西の視聴者は、浅尾さんの悲しい顔を見たくないので、水曜日の前日に限って、何とか中日ドラゴンズに勝ってほしいのではないかって、思うのですよぉぉぉ

 初の日本武道館といえば、音楽であればビートルズですが、、、

 プロレスでは、1966(昭和41)年12月3日ジャイアント馬場Vsフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル選手権である。

 最近ではYouTubeでもこの試合の映像をみることができる。

 

 現在、上映中の映画「アイアンクロー」の宣材によれば、

 1980年初頭、熾烈な競争のプロレス界に歴史を刻んだ“鉄の爪”フォン・エリック一家。

 父フリッツに育てられた息子の長男ケビン、次男デビッド、三男ケリー、四男マイク(スタンリー・シモンズ)ら兄弟は、父の教えに従いプロレスラーとしてデビュー、デビッドが世界ヘビー級王座戦へ指名を受けた直後、日本でのプロレスツアー中に急死する。ここからフォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われる。

 

 フリッツ・フォン・エリック家族の物語であるが、モノクロ時代のエリック・ファミリーを知っているので、あまりにも悲しすぎて映画館ではみることができない。

 

フリッツ・フォン・エリック

 今はなきゴングでの「世界名レスラー100人伝説!!」の表紙はフリッツ

 宣材の鉄の爪やフットボール時代の写真もあって、今は亡き竹内宏介氏のプロレス愛を思い出す、、、

 

ゴングのサイン集

 表紙のフリッツは黒のTシャツ姿でカッコいい。

 ジン・キニスキーとかフリッツのようなレスラーは今の時代にいるのだろうか、、、

 

1973(昭和48)年4月13日

 日本プロレスの最後のシリーズに参戦したときの写真が残っていた。

 このとき息子のデビッドを連れてきていて、大木金太郎とのインターナショナル選手権

 息子への社会見学だったのか、TV放映がなくなった日本プロレスへの義理だったのだろうか、、、

 

1997年9月10日フリッツ死去

 ゴングでは前年にフリッツの取材をしていて、特集号を出している。

 フリッツを襲った息子たちの悲劇、ドリス夫人との離婚、一時消息不明となっていたのですが、、、

 テリー・ファンクからキラー・カール・コックスに連絡し、インタビューに応じたとのエピソードも感動的で、馬場さんについても「俺とインターのベルトを賭けて戦った頃が、馬場のプライムタイムだったんじゃないかな。」

 一方、ゴングの竹内さん、馬場さんと初めて口をきいたとき「ボクは外人レスラーの中では、フリッツ・フォン・エリックが一番、好きなんですよ」って、言ったらしい、、、

 

いやぁ、まいったなぁ