雨の合間にわずかに射す陽が

嬉しい梅雨の日々ですが、

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

今日は「今昔物語」から貞盛につい

てのエピソードをご紹介致します。


将門との争いの後、しばらく経ってから、

貞盛は、丹波守に任命されました。


丹波の国府は、現在の京都府亀岡市の

あたりだろうと言われています。

これは、貞盛が、丹波守としてその

あたりに住んでいた頃のお話です。


なお、お話は、骨子はそのままに、ロマン

の森流の味付けをしております。学問的

な正確さを追求したり、一字一句、厳正な

現代語に置き換えたりしたものでは

ありません。その点をご了承下さい。


なお、神田明神の写真、「将門」の最終回に

アップしました。


第78回  貞盛の矢傷


将門の落命後、月日は流れ、貞盛は

やがて丹波守となった。


着任して間もなく、貞盛とこの地の武士

との間に争いが起こった。(何故争った

のかは分からない。)

貞盛はその時に、矢傷を受けた。受け

た矢傷はなかなか治らず、貞盛は、

当惑した。


そこで貞盛は、わざわざ京から医者を

招いた。医者は、この傷を見ると難し

い顔で言った。


「この傷に効く塗り薬が、たった一つあり

ます。ただそれは・・・・」

医者は口をつぐんでしまった。


「何だ、どんな薬だ?何故黙る?

高価なのか、高価でも構わない。褒美か?

褒美なら心配しなくていい、十分に報い

るぞ。」


たたみかける貞盛をさえぎって

医者は言った。


「この傷に効く薬は、ただ一つ、児肝、

つまり男の胎児の肝を塗る事です。

傷を受けてから、かなり経っている

ご様子、早くしないと、たとえ肝を

塗っても、効かなくなってしまいます。

お命にも関わりましょう。」


貞盛は、ひどく驚いた。そして、何とか

児肝を手に入れたいと願った。

そこでわが子、維衡(これひら)を

呼んで言った。


「医者は、傷の治療には男児の肝が

いると言う。だがおおっぴらに探せば、

世間で噂が立つだろう。

それよりも、お前の嫁の腹にいる児、

その児の肝をくれ。そうすれば、誰にも

知られずに済む。それが一番いい。」


惟衡は、あまりのことに目がくらみ

足も震えて、冷や汗が流れた。

だが、父の頼みとあればどうして断る

事ができよう。


やむなく承諾した維衡の思いも知ら

ずに、貞盛は、ひどく喜んだ。そして、

嫁の葬送の用意をせねばなどと言う。


維衡は、激しい衝撃で今にも倒れ

そうになりながらも医者を訪ねて、父、

貞盛の言葉を告げた。これには医者

もすっかり驚いた。そこで、再度貞盛

を訪ねて言った。


「血縁者の肝では効きません。

他人の肝が効くのです。」


医者のこの言葉に、貞盛は、孫の肝

を使うことを諦めた。

やむなく貞盛は、従者に命じて

あちらこちらと該当する女を探させた。

ある日、従者の一人から知らせが

届いた。丁度飯炊き女が妊娠していて

腹の児は、6か月目だという。


当然のことながら、女は命を失い、

胎児が取り出された。だがこの児は

女児だったので目的に合わず、

捨てられてしまった。


それでも貞盛は諦めず、四方八方、

手を尽くして、ようやく男児の肝を手に

入れた。傷口にその肝を塗ると、傷は

速やかに回復して、貞盛は死を免れた。


そこで医者は、京へ帰ることになった。

貞盛は、医者に上等の馬や衣類、米

などを豊富に贈って深く謝意を表わした

が、一方で、維衡を呼んでこっそりと

言った。


「朝廷から、陸奥国行きの話が出て

いる。あの地の騒乱をおさめるためだ。

朝廷は、俺をそれほどに頼もしい男だ

と見ているのだ。

それなのに、この地の武士から致命的

な矢傷を受けて、それを治す為に児肝

を塗ったという噂が京に広まったらどう

なる?事が漏れぬよう、あの医者を京

に返すな。途中で殺せ。」


維衡は、父に話をあわせた。そして

盗賊に殺されたように見せかけ

て医者を射殺すので、夕方に出発さ

せるようにして下さいと父に頼んだ。


その足で維衡は、医者を訪ねて父の

悪巧みを包み隠さずに話した。

そして、医者の機転ある言葉で、わが子

を救ってもらったことは一生、恩に着る

と告げて、医者に言った。


「山を越えるまでは、判官代(事務官)が、

お送りすることになっています。山まで

は馬に乗り、山に来たら馬を下りて、

代わりに判官代を乗せてください。」


医者は、手を擦って喜び、必ずそうしよう

と言った。やがて、夕刻、6時を回った

頃に、医者は判官代と共に旅立った。


山にさしかかると、医者は、打ち合わせ

どおり馬から下りて、代わりに判官代を

乗せた。そして自分は、馬について歩い

て行った。そこへ、盗人を装った維衡の

手の者が現れて、判官代を医者と思い

込んで射殺すと、すばやく散って行った。


維衡は、国府に帰って貞盛に、馬上の

人を射殺した旨を告げた。これを

聞いた貞盛は、上機嫌だった。


やがて、医者は、生きて京にいること、

殺されたのは、判官代だった事が

貞盛の耳に届いた。


事の顛末を問う貞盛に、維衡は、

涼しい顔で答えた。


「馬に乗っているのがてっきり医者だと

思いました。まさか歩いているなんて

思いもしませんでしたよ。」


貞盛ももっともだと思って、それ以上

追求しなかった。こうして、維衡は,

医者へ恩返しをしたのだった。


この話は、貞盛の側近、館諸忠

(たてのもろただ)の娘の口から

漏れて、伝わった。


そして、これを聞いた人々は

浅ましく残忍な話だと口々に

言い合ったという。

           (おわり)




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