ちょっと落ち着きました。

現場についてもう少し
正確に書いておきます。


馬房で立ち上がって
頭を打って、

即死だったようです。


鼻血がかなり出ていて

それが物語っています。



平成7年4月26日生まれのセイウンスカイは


17歳(旧表記)は
人間なら70歳くらい。


種牡馬も引退しており

大往生…


そう言う見方をしてあげるのが一番正しいかもしれません。


セイウンスカイはただ放牧して
のんびりするだけの毎日でしたが



わしの、いや、

西山牧場従業員の心の柱になっていました。


「うちから皐月賞、菊花賞を勝つ馬をつくれたんだから、またできるはず」

「ここにいるのがその本馬だから」


そんな感じで、
西山牧場にいるだけで
みんなの心の支えでした。


そして、今日、そのセイウンスカイの亡骸を見て

わしの頭にずっとあった
ある疑問の、

その答えが見えたように思えました。



その疑問とは…



『わしはセイウンスカイの引退の時期を間違えたのでは?』


これは、ずっと、ずっと、思っていたことでした。



平成11年、秋の天皇賞。

一番人気ながら、ゲートに入らず
スタートを7分遅らせて


道中、スムーズさを欠き
5着。


その後、屈腱炎を発症し

一年半休んで

平成13年、春の天皇賞で復帰するも惨敗。

その夏引退式。


しかし…


世間から

『あの平成11年、秋の天皇賞で5着、その後屈腱炎を発症した時点で、種牡馬にするべきだった。』

と多数お叱りを受けたのを覚えています。



しかし、今日、今さっき
馬房で暴れて亡くなった
セイウンスカイを見て


思いました。

『あそこで引退ではなく、もっと走らせてやれば良かったかと…』


セイウンスカイは
牧場でのんびり余生を過ごすより

競馬場でもっと、もっと
走っていたかったのではないか、と。



話のできない馬の本心はわかりませんが、


「俺はここでのんびりするより、走っていたかった、暴れていたかったんだよなあ、馬主さんよぉ」


引退したセイウンスカイには何度も放牧地で会いましたが


今にして思うと、そう語りかけていたような気がします。


「俺は子孫繁栄より、俺自身がアスリートでいたいんだよ。」




いろいろ考えさせられますね。


1つだけはっきりしていることは

セイウンスカイがいたから、
馬主・西山茂行がいる。



私財を投げてでも牧場経営に心血注いだ
父の西山正行を


最後の最後のご褒美のように皐月賞の表彰台にあげてくれた

この芦毛の名馬を


涙で送ります。


ありがとう。