インドで 「カレー」 はナンと言うか? | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓1月22日は、 「カレーの日」 だったそうです。何でも、1982年 (昭和57年) の1月22日、全国学校栄養士協議会の申し合わせにより、全国の小中学校で、いっせいにカレーの給食が出たんだそうな。1982年なんて、アッシにはかんけ~ね~ ガーンあせる

〓「カレー」 と言えば、インドですよね。インドの食べ物。では、インドのコトバで、「カレー」 を 「カレー」 と言うのか?


〓確かに、インドを代表する言語、ヒンディー語に

   करी karī [ カリー ]
     ※ラテン文字で curry, kari, karee などとも書かれる


   कढ़ी karhī [ kaɽʰi: ] [ カリー ]
     ※ [ ɽʰ ] は、反り舌の [ r ]。 右肩の h は帯気音をあらわす。
      これは、英語の [ r ] が反り舌であることをヒンディー語
      話者が観察して、この子音を当てたのだろう。
      ラテン文字では kadhi などとも書かれる


という単語はあるようです。しかし、この単語は英語の curry の借用語です!? ならば、ヒンディー語で 「カレー」 はナンという?

   सालन sālan [ サーらン ]
   सालना sālnā [ サーるナー ]

〓いろいろな種類のカレーに、個別の名前がついているものもありますが、 「カレー一般」 を指すのは、この単語のようです。

   स sa [ サ ] 「~とともに」。接頭辞
    +
   लवण lavaṇ [ lavaɳ ] [ らヴァン ] 「塩」
    ↓
   सालन sālan [ サーらン ] 「カレー」


〓フシギですね。「塩味で食べるもの」 が “カレー” の語源のようです。
〓ところで、この 「サールナー」 と 「サーラン」 を Google で検索してみますと、

   सालन sālan [ サーらン ] 238件
   सालना sālnā [ サーるナー ] 46件

驚くべき少なさです。一般的でない、ということでしょう。
करी karī のほうも検索したいところですが、「腰、おしり」 という単語と同音なので検索できません。しかし、画像検索してみると 「カレー」 の写真はほとんど登場せず、あまり使われない単語であることがわかります。

〓要は、ヒンディー語の話者には、「カレー」 というククリの概念が希薄であることが原因でしょう。たとえばですよ、日本人が、


   味噌汁とか、けんちん汁とか、豚汁とか、そういうモノをまとめてナンと言いますか?」


と外国人に訊かれたらどうします? 「???」 目を白黒させてコトバを失いますね。

〓英語の curry は、ヒンディー語から入ったものではないようです。それどころか、インドの主要民族にして、北部一帯を占める 「印欧語族」 に属する民族の言語から借用したものでもないのです。
〓印欧語族がユーラシア大陸を横切ったのちに南下してインドの地に侵入する以前からインドに住んでいた先住民を 「ドラヴィダ語族」 と言います。そうした、ドラヴィダ語族に属する 「タミル語」 から借用されたのが curry だというのが、現在の定説です。

   curry 174年 (1848年) 初出

       タミル語  கறி [ kʌri ] [ カリ ]
          (1) 噛むこと。噛んで食べること。
          (2) 野菜。生野菜も調理した野菜も含む。
          (3) 肉。生肉も調理した肉も含む。


〓見てわかるとおり、その意味には 「カレーのカの字」 もありません。タミル語で、「カレー」 は、

   குழம்பு [ kuɻʌmpu ] [ クランプゥ ]
         ※ [ ɻ ] は、米語の語末の -er の r 音。
           もしくは、北京語の 「儿化音」 の r 音。
           英語の r 音 [ ɹ ] の舌の反り返りの強い音。

と言います。


          kulampu2     kulampu1
          Google で画像検索したタミル語のカレー குழம்பு 「クランプ」。


கறி の語義の (1) と (2)(3) は関係があるように見えますが、タミル語の語源を調べると、起源が別の単語であるようです。
கறி で画像検索すると、カレースープのような料理も現れるので、そのような料理を 「カリ」 として借用したのでしょう。注目すべきはタミル語の発音でして、まさに、英国人が cu- とするとおり、「ア」 音が [ ʌ ] の母音なのです。16~17世紀はちょうど英語の短母音 [ u ] が [ ʌ ] に変じた時期でもあります。
 r は 「べらんめえの r 」 です。英国人が r を2つにしたのは、「べらんめえの r 」 を写したのか、あるいは、 cury 「キューリィ」 と読ませないためでしょう。


〓実は、16世紀の英語では、 curry に先行して carriel という語形が見えています。これがポルトガル語の 「カレー」 という単語にそっくりなのです。

   caril [ カ ' リる ] 「カレー粉、カレールウ」。ポルトガル語

〓いったい、これはどういうことなのか?




  【 カレーをめぐる英語とポルトガル語の連立方程式 】


〓実は、 curry という単語ほど、いろいろな人が、いろいろなコトを言っていて、何が正しいのかわからない単語も珍しいんですね。
〓どうも、 curry という単語は、時代とともに、とても多くの語形で現れていて、どうやら、現在の curry と同じ発音に落ち着くまでに 150年かかっているんですね。


〓さすがに “オックスフォード” は、カレーの用例を丹念に集めています。



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【 1598年 / 慶長3年 】

Most of their fish is eaten with rice, which they seeth in broth, which they put upon the rice, and is somewhat soure but it tasteth well, and is called Carriel.     ――W. Phillips Linschoten

彼らは、たいてい、魚を米とともに食べる。スープの中で魚を煮立たせ、それを米にかけるのである。いくぶん酸っぱいがなかなかうまく、 Carriel と呼ばれている。
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〓1600年は、日本では 「関ヶ原の戦い」 のあった年で、また、英国がインドに 「イギリス東インド会社」 “British East India Company” を設立した年です。その2年前ですね。
〓ちなみに、ポルトガルは、このちょうど100年前の 1498年に、ヴァスコ・ダ・ガマの艦隊がインドのカリカットに到着しています。


〓余談でござりますが、「カリカット」 は 「カルカッタ」、つまり、今で言う 「コルカタ」 とは “縁もユカリもサオリもシオリも関係ない” 土地でござります。


   カリカット
     Calicute, Calecute  [ カり ' クーティ、カれ ' クーティ ] ポルトガル語
     Calicut [ 'kælɪˌkʌt ] [ ' キャり , カット ] 英語
     Kozhikode [ 'koʊʒɪˌkoʊd ] [ ' コウジ , コウド ] 英語現地音式
     കോഴിക്കോട് [ ko:ɹikko:ɖ ] [ コーリッコード ] マラヤーラム語
       ※ [ ɹ ] は英語と同じく、軽く舌を反らせる r 音。
         [ ɖ ] は反り舌の d 音。

   コルカタ/カルカッタ
     Calcutta [ kæl'kʌtə ] [ キャる ' カラ ] 英語
     Kolkata [ koʊl'kɑtɑ ] [ コウる ' カタ ] 英語現地音式
     কলকাতা [ 'kolkat̪a ] [ ' コるカタ ] ベンガル語


W. Phillips Linschoten という人物については、何もわかりません。姓から見るにオランダ系の人物です。日本語や英語でカレーについて書いたものに、この Linschoten という人物を 『東方案内記』 “Itinerario, Voyage ofte Schipvaert” を書いたオランダの 「ヤン・ホイヘン・ファン・リンスホーテン」 Jan Huygen van Linschoten と混乱しているものがありますが、別人のようです。だいたい、オランダ語のハナシじゃないでしょ。


〓ポルトガル語の caril [ カ ' リる ] も 16世紀初出となっており、ポルトガル語の語源辞典では、

   コンカニ語、マラーティー語 (印欧語族)
   マラヤーラム語、タミル語 (ドラヴィダ語族)

のいずれかから借用された、という、“サジを投げた” ような記述になっています。

〓英語の carriel とポルトガル語の caril は、あきらかに何らかの関係がありますが、両者に借用関係があるのか、同じ単語を借用したのかは不明です。しかし、

   現在、これだけ調べても語源のハッキリしない単語を
   英国人とポルトガル人が、ビンゴと言えるほど同じ語形で借用する

というのは有り得ないハナシで、おそらく、 Linschoten なる人物が、聞き覚えのポルトガル語を使ったのではないでしょうか。というのも、ポルトガル語の語末の -l にそのカギがあります。
〓ポルトガル語の語末の -l は、英語・ロシア語とならんで、ヨーロッパの言語では特徴的な 「きわめて暗い l の音」 なのです。音声学用語では “軟口蓋化した l と言い、また、通称を dark L (ダーク・エル) と言います。舌の真ん中をスプーンのように凹ませて出す [ l ] の音で、発音記号では、正確には、

   [ ɫ ]   dark L

と表記します。この子音は、あまりに暗いために、しばしば、「ウ」 に聞こえたり、あるいは、ブラジル・ポルトガル語やポーランド語のように、実際に [ w ] になってしまうこともあります。 英語の people なども、ぞんざいな発音では、 [ 'pi:pw ] となります。
〓この dark L の前に [ i ] のごとき、「前舌の狭い母音」 が来ると、 l とのあいだに渡り音 [ ə ] を生じます。たとえば、

   feel [ 'fi:ᵊɫ ] [ ' フィーァる ]

のごとくです。 carriel という単語は、16世紀末、おそらく、

   carriel [ kə'ri:ᵊɫ ] [ カ ' リーァる ] もしくは、
   carriel [ 'kæriᵊɫ ] [ ' キャリァる ]

と発音されたのではないか、と、思います。それは、ポルトガル語の

   caril [ ka'ɾi:ᵊɫ ] [ カ ' リーァる ]

を写したつもりではなかったでしょうか。


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【 1681年/延宝9年、元和元年 】

They boyl them [fruits] to make Carrees, to use the Portuguez word, that is somewhat to eat with and relish their Rice.          ――Robert Knox

ポルトガル人の言葉を借りるなら、 Carree をつくるために、彼らはフルーツをボイルする。それは、いうなれば、ご飯といっしょに食べ、ご飯に味付けをするものである。
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ロバート・ノックス Robert Knox (1641~1720) というのは、イギリス東インド会社に雇われていた英国人の船長です。彼は、1681年に

   “An Historical Relation of the Island Ceylon”

という本を出版しました。
〓『セイロン島の歴史に関する話』 というような意味でしょうか。書名のアタマの An は間違いではありません。英語の不定冠詞は、 an がもともとの語形で、子音で始まる単語の前で -n が落ちて現代語の a になりました。17世紀までは、 h- の前で、まだ、 an を使っていました。現代英語でも、書名などで、 “An History ~” とする例は珍しくありません。


〓この本は、ノックス船長が、セイロン人、すなわち、スリランカ人の生活を観察して記録したもののようです。当時のセイロン島には、すでに、南部からタミル人が侵入してきていました。
〓タミル語はドラヴィダ語族で、先に移住してきていた多数派のシンハラ人は印欧語族です。しかし、ノックス船長は、 Carree という単語をスリランカで聞いたわけではなく、

   to use the Portuguez word 「ポルトガル人の言葉を借りるなら」

と言っています。おそらく、 Caril [ カ ' リーる ] の dark L を聞き落としたので、

   Carree [ kə'ri: ] [ カ ' リー ]

としているんでしょう。



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【 1747年/延享4年 】

To make a Currey the Indian way.          ――“The Art of Cookery”

Currey をインド風につくるには。
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“The Art of Cookery” 『料理術』 は、18世紀の英国でもっともよく知られた料理家 ハナ・グラス Hannah Glasse (1708 ~ 70) が 1747年に書いた料理本です。当時のベストセラーです。つまり、 Currey という単語は、おそらく、ここから広まったと考えてよいでしょう。


〓この単語の綴りからは、あきらかに、

   Currey [ 'kʌri ] [ 'kəri ]

の発音が読み取れ、現代語の curry と 「音の上では同じ単語」 と言えます。
〓フシギなのは、このハナ・グラスの Currey とロバート・ノックスの Carree のあいだの 66年間の “ミッシング・リンク” に何があったのか? ということですよね。

   Carree [ kə'ri: ] [ カ ' リー ]
   Currey [ 'kʌri ] [ 'kəri ] [ ' カリィ ]

〓この両者は、アクセントの位置が違うにしても、確かに発音はよく似ています。

   英語は、外来語のアクセントを第1音節に移動してしまうクセがある

という点から考えると、2つの単語は 「親と子」 の関係である、と言えるかもしれません。


〓しかし、オックスフォードなどでは、先行する Carriel 系の単語と、後発の Curry 系の単語とは “語源が別である” という立場を取っています。
〓資料は、ここに登場しているだけのようで、どちらとも言えません。まあ、それぞれに好きなほうを信じたらよい、ということでしょう。

〓後発の Currey, Curry 系の語源は、先に示したとおりタミル語からとされています。
〓タミル語が話されている地域で、英国支配の中心的都市となったのは、もともとは、ポルトガル人が建設したマドラス Madras でした。
〓ハナシは、たびたび、それますが、日本語の 「マドロス」 は、インドのマドラスとは、じぇんじぇん関係がないのどす。

   【 マドロス 】 水夫、船乗り

〓この語形での初出は 1860年で、もとはオランダ語の matroos 
[ マト ' ロース ] です。日本語では、ちょっと訛ったんですね。日本語では 「港々に女がいる船乗り」 みたいな単語になってしまいましたが、もとのオランダ語では 「船乗り」 のことを matroos とは言いません。

   zeeman [ ' ゼーマン ] 船乗り、水夫。 sailor

ですね。英語に置き換えると seaman です。
〓なれば、 matroos は何か?

   matroos [ マト ' ロース ] 最下級の海軍兵

〓おそらく、日本に来ていたオランダ海軍の “船乗り” が 「マトロース」 と呼ばれるのを聞いた日本人が、「船乗り=マドロス」 だと思ったんでしょう。

〓っとっと、また、道草  クローバー クローバー クローバーヒツジ


〓「マドラス」 という地名は、ポルトガル人が名付けたものですが、ポルトガル語ではありません。植民地の地名なんぞではよくあることですが、ヨーロッパ人は現地のコトバだと思っていて、現地の住民はヨーロッパのコトバだと思っている、なんてことがあります。
〓「マドラス」 も、フシギなことに、どこから来たコトバだか、よくわかりません。古い語形は、

   Madraspatan 「マドラスパタン」

で、 その語源は、次のように考えられています。

  مدرسة madrasa [ マドラサ ] 「学校」 (イスラームの宗教学校)。アラビア語
    +
   पत्तन pattana [ パッタナ ] 「町、都市」。サンスクリット
    ↓
   madrasa-pattana 「学園都市!」


〓アラビア語とは荒唐無稽だ、と思うかもしれませんが、ヨーロッパ人がインドを植民地にし始めたころの 「ムガル帝国」 は、ペルシャ語を公用語としたイスラーム王朝だったんですね。もっとも、ポルトガル人がマドラスに要塞を築いたときには、インド南部は、まだ、ムガル帝国の支配下に入っていませんでしたが。
〓「マドラサ」 は、ペルシャ語でも 「マドラサ」 です。

〓1996年から、マドロスは、

   チェンナイ சென்னை [ tʃennʌj ] [ チェンナイ ]

と現地名で呼ばれるようになりました。英語では Chennai [ tʃə'naɪ ] [ チュ ' ナイ ] ですね。

〓英国がマドラスに、セント・ジョージ要塞 Fort St George を築いたのが 1640年です。以後、マドラスの市街は、この要塞を中心に栄えてゆきます。
〓ロバート・ノックスが、セイロンに関する本を書いたのが、この40年後です。そして、ハナ・グラスがカレーのレシピを書いたのが 100年後。ただし、マドラスにおけるポルトガル人の通商活動は 1749年まで続いており、これは、ハナ・グラスの料理本が出版された2年後にあたります。もちろん、ポルトガル人は、現代でも使われる
 caril という単語を保持し続けていたでしょう。

   1522年 ポルトガルがマドラス (タミル語地域) に港を築く。
   1598年 英国の Linschoten  Carriel と記す
   1600年 イギリス東インド会社設立。
   1640年 英国が、マドラスにセント・ジョージ要塞を築く。
   1681年 ロバート・ノックスが、“ポルトガル語を借りて” Carree と記す。
   1747年 ハナ・グラスが Currey と記す。
   1749年 ポルトガル人が英国によりマドラスから閉め出される。


〓この英国人とポルトガル人の微妙なカラミと、英語とポルトガル語の微妙なカラミを連立方程式にすると、そこに、“解” は見つかるんでしょうか。


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【 1766年/明和3年 】

The currees are infinitely various, being a sort of fricacees to eat with rice, made of any animals or vegetables.          ――John Henry Grose

Curree というのは、実にさまざまである。材料は、どんな種類の肉、どんな種類の野菜でもよく、ご飯といっしょに食べるフリカッセのようなものである。
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ジョン・ヘンリー・グロウス (1732~1774年もしくはそれ以降) John Henry Grose というのは、イギリス東インド会社が雇っていた御用物書きです。上の一文も、

   “A Voyage to the East Indies”

という東インド会社のために書いた紀行文です。『東インド諸島への旅』 という意味ですが、「東インド諸島」 というのは、今で言う “東南アジア” のことです。
〓綴りは、一見、ロバート・ノックスの Carree に戻っているようですが、英語における語尾の -ey, -y, -ee などは、みな一様に [ - i(:) ] という音をあらわすにすぎません。


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【 1848年/弘化5年、嘉永元年 】

If you can come to dinner, there's a curry.

もし、ディナーに来てくださるなら、 Curry が用意してあります。
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〓これは、19世紀の英国の小説家 ウィリアム・メイクピース・サッカレーの手紙の文章です。う~む、作家ともなると、ウカツに手紙に “カレー” とも書けませんぞ。いつ、言語学者が資料に使うかわからない。
〓オックスフォードが挙げる、 Curry という語形の初出は、これのようです。ワリと遅いですね。そして、以後はこれで固定化してゆくようですね。

〓以上で、英語の curry の歴史は終わりです。ここから、どういう結論を引き出すかは、それぞれの自由ということですね。



          caril

          ポルトガル人のブログで見つけた 「クスクスを使ったエビ入りカレー caril 」。