大きな地震に襲われ一部壊れてしまった熊本城。しかし、当時の知恵が最後まで城を守りぬいた。


熊本城の石垣は独特な弧を描く扇の勾配になり、加藤清正が近江国から率いてきた石工集団「穴太衆」の特殊技術を活かし造られた
穴太積みの極意は“石の声を聞く”。
“石の一つ一つが収まるべき所に収まる”ということで石の一つひとつの形状を考えながら積んでいく。
積み上げる「野面積み」でした。
穴太積みの技術は、柔軟構造で地震にも強い、先人の知恵の結晶。

特徴ある石垣が同時に観れる熊本城の「二様の石垣」
結構有名な所。
加藤清正が築いた武者返しの綺麗な石垣と細川忠利が本丸御殿建築の際に積み増した石垣が並んだ二様の石垣。
隅石の形状(算木積)や傾きに違いがよく現れています。
{48244D0F-440F-4941-AF02-55CD72639830}こちらが、二様の石垣。右の緩い方は「穴太積」の石垣。

より傾斜が急角度なのは、清正が石垣を造った後の細川時代の石垣。

長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせる「算木積み」工法が開発され傾斜のきつい石垣を築けるようになった。


うちこみはぎ)という技法が使われています。
二様の石垣は同じ打込接でも隅石(石垣の角)の積み方に違いがあります。


城は加藤清正が築き、のちに細川忠利が城主として入ったが、加藤時代の石垣を細川時代に拡張していた。

城が建つ茶臼山は、熔結凝灰岩で脆く地盤が軟弱なため、石垣の崩壊を防ぐ為に裾の角度を緩やかにし、石垣のすわりを良くしている。

弧を描く扇の勾配「武者返し」は、耐震構造の意味もあったようです。

熊本城の崩れた部分は新しく積んだ石垣や建築した天守の屋根が大部分のようで、それこそ400年の風雪にも、西南戦争の砲撃にも耐え抜いた宇土櫓は無事。
崩れた部分は、新しく積んだ「算木積み」の石垣が多かったそう。

加藤清正、凄い!
そして400年前の大工さんとか石工職人さん、そして当時の築城技術が素晴らしい!

そして、天守閣の瓦が落ちたのを悲しんでいる人多いですが、天守閣の瓦は、落ちなければいけなかったんです。
あれは、実は倒壊しないようにわざと簡単に落ちるようにしてあるんです。
所謂昔の人の知恵ってやつで、地震が起きた時は速攻で瓦を落とすことで、屋根を軽くする意図がある。
それにより建物自体の崩壊を防ぐ、という意味があったそうです。

瓦屋根が倒壊し易くなったのは建築法が改正されて、「瓦は落ちないように」となってかららしい。

そして、今も城下町を守る加藤清正の治水工事。
加藤清正の備えの達観性に凄さを感じる。
彼は敵の備えだけでなく、自然災害も視野に入れて城下を造っている。
城は湧水地ではなく厚い岩盤の上に建ててある。そして河川の治水(川の流れを大きく変える工事)。
坪井川と井芹川を合流させて、それを天然の内濠にし、白川を外濠にしてある。
そして外濠の役目のある白川には、あえて長六橋ひとつしかかけなかった。
加藤清正の知恵には驚きます。

{4066262A-63BC-4282-A77E-E2191CC1E6EF}

そして、現在も、この石垣技術は生きています。

地震でずり落ちないようにするため積み石を奥行き方向に長く寝かせる「ごぼう積み」、

石垣の裏に「栗石」というこぶし大ほどの大量の石を詰める。

穴太衆積みでは、水はけもよく、栗石が地震の時にクッションとなって石垣本体の崩壊を防いでくれるのだという。

穴太衆積みの石垣は大小さまざまな石を使ってできている。一つ一つに役割があり、要らない石は一つもない。

コンクリートブロックと同じ条件で穴太衆積みを施工し、250トンの荷重をかける実験すると、コンクリートの1.5から2倍の耐荷力が実証されている。



西南戦争のときに、西郷隆盛率いる薩摩軍14000人の総攻撃に、熊本城の中に籠城していたたった、4000人の政府軍側(熊本城側)が

50日間、薩摩軍の猛攻を耐えて、それでも落ちなかったのは加藤清正が作った熊本城だったからこそ。

兵隊があの石垣を1人も最後まで登れなかったんですから。まさしく武者返し。

1人も城の中に入れなかった。

官軍を率いて、熊本城に籠城を決めた谷干城(たてき)は、加藤清正が作った城の堅固さを信じて、籠城作戦を決めたんですが、それが成功したということですよね。
この後、薩摩軍を率いていた西郷隆盛が

「ワシは、官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」
と言ったのは有名です。
熊本城を落としておけば薩摩軍有利になっていたかもしれない重要な戦いで、西郷隆盛軍に落ちなかった熊本城。
そして、今回の震度7が2回も襲った未曾有の大地震にも、傷つきながらも、どうにか耐えた熊本城、最強かも。


{ADB38999-D5EB-4A82-8541-CCF7BA56668D}

この写真と、つぶやきに感動!

こうして、最強の城は満身創痍になりながらも、立派に戦い抜いた。



この方のブログに、地震が起こる前の立派な熊本城の写真や熊本城のことを詳細にかいてあります。



熊本市に住みながら、あまりにいつも身近にあり、そこにあるのが当たり前だった熊本城。
普段は特になんの興味を持つわけでもなく近くを通るだけ、みたいになってたんですけど
今回の地震で、改めて熊本城のことを勉強しなおして、加藤清正の凄さを思い知らされました。
もちろん、熊本城の堅固さ、加藤清正が熊本で行った治水工事の事などは、
小さい頃から両親や周りの大人達から聞いたりしてるので、なんとなくは知ってましたが、そこまで興味はなかった(笑)

清正公のことは、熊本人は「せいしょこさん」
と、親しみを込めて呼びます。

今回のことを機に、世界に誇る熊本城のこと、もう少しお勉強してみようかと思いました。

城マニアではないけれど、日本三大名城がせっかく身近にあるんですもの、知らなきゃ勿体無い(笑)


そうそう、息子が自分の母校を今日見に行ったのですが、初代校長の銅像が基礎の石からズレてたらしく
壁にも亀裂が入ってて、ちょっとショック受けてました(・・;)
{C634B188-C601-4430-B3AC-2CE84A4BB65A}

いろんなところに被害が(・・;)