20年前小池に入団拒否された不人気球団が屈指の人気球団に | Higman's dialy room

20年前小池に入団拒否された不人気球団が屈指の人気球団に

現在、日本シリーズが開催されており、千葉ロッテマリーンズと中日ドラゴンズの36年ぶりの決戦が行われている。ロッテが日本一になった場合、史上初のリーグ戦3位からの日本一ということになる。いまやロッテと言えばパ・リーグでも屈指の人気球団で、関東のパ球団ではいまや埼玉西武ライオンズを凌駕する人気を誇る。


しかし、20年前にはロッテがこんな人気球団に将来化けるとは誰が思っていただろうか?


かつてこんなキャッチフレーズがあったのを覚えているだろうか?


「TVじゃ見れない川崎劇場」


ロッテオリオンズ。現在ドラゴンズ監督の落合博満が3冠王を獲得したり、古くは張本勲が前人未踏の3千本安打を達成したときの所属球団だ。しかし、悲しいかな注目度が非常に薄かったのだ。なにせ本当に人気のない球団だった。大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)がハマスタへ移転してから、そのまま大洋に代わって川崎の主となり(それまではKスタの前身・宮城球場を一応本拠地としていたが、実質的には首都圏の球場を転々してたためジプシーロッテと呼ばれていた)、ライトスタンド後方に場外HR対策で王ネットを超える打球を打つリー兄弟の登場でリーネットも設置された(その後それを超える打球をブライアントが放ち話題となった)。ロッテの不人気ぶりは半端じゃなかった。TVに映るのは応援団だけが寂しく旗を振って応援していたり、珍プレー番組でカップルがいちゃついていたり、流しそうめんが流されていたりと本当に悲しいほどお客さんがいなかったのだ。観客動員は当然ながら毎年最下位。ユニフォームのダサさぶりもダントツで、かつてはドラフト会議が迫ると、プロの卵達にインタビューされると今と違い、意中球団が公言されたりもしたが、ほぼ全球団OKという選手でさえ「ロッテだけは行きたくない!」と言われるほど嫌われていた球団だった。


衝撃的だったのが20年前(平成2年)のドラフトだ。


平成元年の8球団指名重複(近鉄が交渉権)の野茂英雄(意中球団なし、全球団OK)と並ぶ注目株だった当時亜細亜大学の小池秀郎をどこが引き当てるかが注目されていた。小池の希望は読売、ヤクルト、西武の3球団だった。そして小池にも野茂と並ぶ8球団の指名が重複した。抽選の結果が出た。


ガッツポーズをしたのはカネヤンだった。


そのときのTVで生中継されていた亜細亜大学のシーンを自分は忘れていない。


「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」の大合唱。


今となって考えたら、大変失礼な話だ。


小池の表情はみるみるこわばった。そしてふて腐れたかのような態度で会見に臨んだ。入団拒否は決定的な雰囲気だった。案の定小池は入団を拒否し、松下電器へ入社、2年後に近鉄の指名を受け入団したが、期待されたほどの力を発揮できず、中日へ移籍、その後近鉄へ再移籍、現役の最後は新規参入したばかりの楽天イーグルスだった。


小池に入団拒否を食らったロッテは歯ぎしりをして悔しがった。当時の監督カネヤンが「いずれはロッテに入りたいと言われるチームに変わらないといけない」と言ったが、当時のロッテからそれを想定することは全くできなかった。


しかし、転機が訪れた。あまりの不人気ぶりからホームグランドを千葉マリンスタジアムへ移転することを決めたのだ。後に川崎球場が耐震性でアウトとなりスタンド等の解体工事が決まったので、後になって考えれば良いタイミングでの移転決定だったのだ。


千葉へ移転するにあたり、愛称も変更された。毎日オリオンズから続いたオリオンズの名が消えることとなった。マリンスタジアムとリンクするかの如く千葉ロッテマリーンズと改称され、千葉移転初代ユニフォームには文字にピンク色が採用された。プロ野球のユニフォームにピンク色とは斬新だった。後にボビー・バレンタインが監督招聘されるためにモノトーン調のユニフォームに一新され、現在のユニフォームへの流れになった。


ボビー以前のピンクマリンの時代は応援スタイルは川崎時代のものが踏襲されていた。ディアスの魔法使いサリーのテーマなど今聴いても懐かしい応援歌があり、他球団と変わらない法被を着てメガホンを叩くスタイルだった。


変化が起きたのがボビーが監督になってからだ。メジャー監督が来るから応援もメジャー風にアレンジしようということになった。ヒントになったのが当時人気がうなぎ登りだったJリーグだった。千葉にもジェフ(当時は市原がホーム)と柏レイソルが存在していたが、ファームがさいたま(当時浦和)にあることから、浦和レッズのサポーターの応援を取り入れたサッカー風応援の野球版アレンジの革新的な応援が始まった。法被を着てメガホンを叩く応援スタイルは一掃された。レプリカユニフォームを着用してメガホンを叩かず、首にはタオルマフラーを掛け、サッカー顔負けに跳んではねて歌って応援する。今まで野球に興味のなかったファンが応援に来る様になった。レッズ流れの応援ではあったが、千葉という土地柄、ジェフサポやレイソルサポの掛け持ちも目立った。サッカーファンだったけど野球も応援する。そんな人達がライトスタンドを埋め尽くす様になり、いつのまにか屈指の人気球団へ押し上げることになったのだ。今でこそレプリカ応援は各チームのファンにも浸透する様になったが、元祖は応援スタイル一新を決めたロッテであることは間違いない。


小池秀郎の入団拒否から20年経った今年のドラフト会議。千葉ロッテマリーンズは1位で東海大学の伊志嶺翔大を指名した。今年のナンバーワン野手と言われており、ハズレ1位と言えども本1位と何ら変わりのない高評価選手と言える。東海大学では抽選でロッテ交渉権決定の瞬間拍手と歓声が沸き起こり、本人もガッツポーズ、沖縄県宮古島市の伊志嶺の実家では拍手と万歳三唱に沸き立った。地元宮古島市のCATVでも「伊志嶺選手、千葉ロッテ1位指名」をビッグニュースとしてドラフト指名瞬間の実家の歓喜の表情と大喜びの両親のインタビューをニュースに流した様だ。

そう、伊志嶺翔大実は

沖縄県出身野手として初のドラフト1位指名選手なのである。


今年新人王最有力の清田育宏に続き、来年もライバルとなろう大石達也や斎藤佑樹を退けて新人王を勝ち取れる戦力となる様実力でレギュラーを奪い取って欲しい。


20年前小池に拒否されるなど度々入団拒否の悲哀を味わい続けたかつてダントツ不人気ナンバーワン球団は、いまや指名されると「嬉しい、行きたい!」と言われる大人気球団に大変身できたのだ。まさに千葉移転は大吉であった。小池の拒否こそがロッテに千葉移転にシフトするきっかけをくれたのかもしれない。


伊志嶺選手千葉ロッテ交渉権確定の瞬間

http://www.youtube.com/watch?v=2nofru4CrbA&feature=player_embedded


伊志嶺選手千葉ロッテ1位指名に喜ぶ実家の様子を伝える地元CATVのニュース。

http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/5220/57/