ビル・ミッチェル(MMTer)翻訳紹介まとめ part2 | 批判的頭脳

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前回は、ビル・ミッチェル(MMTer)翻訳紹介まとめ part1の方で、第一世代MMTerであるビル・ミッチェルの邦訳記事を三本紹介した。

今回は、さらに新しく三本の記事を要約or抜粋しつつ紹介する。紹介する記事は以下の通り。

The natural rate of interest is zero! (自然利子率は「ゼロ」だ!)
Taxpayers do not fund anything (納税は資金供給ではない)
Money multiplier and other myths (貨幣乗数、及びその他の神話)


ビル・ミッチェル「自然利子率は「ゼロ」だ!」(2009年8月30日)

・需給を均衡させる特定の利子率は無いか、仮に存在するとしても不安定なので、それを目指して金利調節をするのは無謀。
・政策金利を0に固定して財政政策で総需要を調整する方が良い。

『1980年代の中央銀行家たちは、物価安定の維持のためにはマネーストックをコントロールする必要があるというミルトン・フリードマンの考えに毒されてしまっていた。マネタリーターゲット政策が追求され、それは結果的にすぐさま完全なる失敗へと陥った。』

『マネーストックは信用需要によって内生的に決まるのだから、中央銀行がマネーストックをコントロールすることが出来ないことは明らかであった。MMTは貨幣が外生的に決まるなどとは全く考えないが――貨幣外生説は主流派マクロ経済学の教科書の主要な前提となっている。』

『グリーンスパンの”均衡利子率”は、大恐慌以前まで支配的であったヴィクセルの”自然利子率”理論の焼き直しだということがわかるだろう。しかしながら、ヴィクセルの理論を提唱するなら、その理論構造をすべて包摂しなくてはいけない――その空虚さと矛盾についてもだ。』

『金利が何らかの形で投資と貯蓄をバランスさせるとか、投資が事前の貯蓄を必要とするとか、そういった正統派の考えはどちらも間違いだということだ。我々がきっちりと理解したのは、投資が所得の調節を通じて自ずと貯蓄を生み出すということである。』

『1930年代は、ヴィクセリアンの、経済の動態に関するの考え方、金利調節を経済安定化政策の主役に据えるという考え方が完全に信用を失った時代だったのである。』
『しかし、こうした失墜したパラダイムが1970年代に復活し、1990年代まで再び支配的となった。』

『彼らは、金利変動とインフレーションの関係は疑う余地のないものとした上で、その理論が正しいのだから、自然利子率は測定すらできなくても、この概念に照らして我々がいまどのような状態にあるかを判定することができると言っているだけなのだ。』

『趨勢的な”中立利子率”をHPフィルタなどによって推計し、「政策金利と中立利子率の乖離」と「インフレ率、ないしインフレ加速度」をプロットしても、『ヴィクセルの予見に合致するような関係は全く何も描出されていないことがわかるはずだ。』

『現代金融理論(MMT)の研究者は、金融政策を景気安定化手段として貧弱な代物だと考えている。それは間接的で、効果が鈍く、不確実な分配行動に依拠している。それは機能するとしてもラグがあるし、物価圧力と無関係な地域や集団にペナルティを課すことになってしまう。』

『債務者、債権者、及び彼らの支出パターンにどういう影響を与えるかについての強力な実証研究もまた存在しない。借り手は貸し手より消費性向が高いと暗に想定されているが、定かではない。』

『現代金融理論(MMT)の研究者にとっては、財政政策は直接的で、非政府部門の金融純資産を確実に創造or破壊できるという点で強力な政策である。そうした政策は、分配に関する仮定にも依存しない。』

『その上、現代金融理論(MMT)の研究者にとっての経済の自然状態というのは、完全雇用、つまり、2%以下の失業率および潜在失業と不完全雇用がゼロであることだ。完全雇用からの乖離こそが財政政策設定の失敗を反映する――巨大財政赤字ではなく(他の条件が同じなら)。』

『財政赤字のサイズは、非政府部門の発行通貨貯蓄需要に基づいて決定されなくてはならない。したがって、もし財政赤字が不十分で失業が発生するなら、政府純支出が支出ギャップを埋めるのに不十分だということがわかるのである。』

『財政赤字が準備預金を追加し、システム全体の準備預金の余剰を創造する...サポート金利を全く提供しない方がはるかに好ましいだろう。この場合、政府純支出はオーバーナイト金利をゼロに引き下げる。...銀行間競争は、システム全体の余剰を取り除くことができないからだ』

『したがって、完全雇用という”自然”な政策目標を追求するなら、財政政策は短期金利をゼロに引き下げる随伴効果を持つだろう。この意味で、現代金融理論(MMT)の研究者は、ゼロ金利が自然だと結論付けるのである。』

『プラスの短期金利を望むなら...中央銀行は超過準備付利を提供するか、債券売却を通じて超過準備を除去するしかない。我々が望ましいと考える政策ポジションは、自然金利であるゼロ金利を保ち、債券売却を行わないことだ。そして財政政策にあらゆる調節を担わせる。』


ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)

・現代的な中央銀行システムを有する主権国家には金融的制約はなく、税には収入としての機能はない。
・財政ハト派は、将来の財政黒字が必要と考えている時点で財政タカ派と同じ穴の貉。

『古いタイプのケインジアンが支持した財政ハト派主義......は税収が”支出の資金供給になる”と論じており、たまには財政赤字を見逃そうと考えているに過ぎない。彼らは公的債務発行を懸念しており、総じて「なぜ公的債務が発行されるのか」についての理解に乏しい。』

『MMTは、非政府部門の支出(及び貯蓄需要)によって内生的に財政赤字が決まると考えており、また適切な雇用成長率を保つために総需要を下支えするものでなければならないとも考えている。』

『MMTにとって、完全雇用を達成するのに必要な財政赤字がGDP比1%なのか、GDP比10%なのかは重要ではない。必要な財政規模の違いは、単に非政府部門の支出性向の違いを反映するに過ぎないのだ。』

『「過去の財政スタンスが現在の通貨発行権持ち政府(currency-issuing government)の財政選択の実行を阻害・制約し得る」という考えはナンセンスだ......こうした信条は、財政ハト派や主流派の思考を下支えしている神話的代物である。』

『過去に形成した財政黒字が政府に追加的支出余力を齎すということは起こらない。

同様に、過去に形成した巨大な財政赤字が、政府の支出余力を減らしたり、その巨大財政赤字の維持余力を減らしたりすることもない。どれだけ巨大であってもだ!』

『第二次世界大戦の前年、当時のニューヨーク連銀総裁のBeardsley Rumlはアメリカ法曹協会である講演を行った。.....スピーチ(及び記事)のタイトルは収入のための租税は時代遅れ(Taxed for revenue are obsolete)というもので、これは確実にあなた方の心に響くだろう。』

『重要なのは、租税が ”政府にとって、費用を払うための収入” ではないというところだ。』
『納税は資金供給にならない。租税は、公共目的を追求する国家政府が政策パラメータを操ることによって、購買力が失われたり獲得されたりする事象である過ぎない。』


ビル・ミッチェル「貨幣乗数、及びその他の神話」(2009年4月21日)

・MB増→MS増という因果を示す貨幣乗数という概念は根本的に誤り。
・CT(貨幣循環理論)は、水平取引については正しいが、政府-非政府部門の垂直取引の意義を包摂し損ねている。

『 一連の説明は、銀行がまず最初に預金を得て、それを資金として貸出を行うということを含意している......ところが、そうした説明は現実世界とは似ても似つかない。それはスタイリッシュな教科書的なモデルだが、実際の運用とは程遠いのである。』

『もちろん”準備預金の価格(訳注:準備預金の借入金利)”は信用部門の資金貸出の判断に影響力を持つだろう。しかし、準備預金保有額それ自体は無関係である。貸出による収益と、...資金借入する際の金利の差が十分に大きければ、銀行は融資を行うだろう。』

『「銀行がバランスシートを拡大するためには超過準備の引き上げを通じて準備預金を”調達”することががまず必要である」という考えは不適当だ。銀行のバランスシート拡大能力は、保有する準備預金の量にも、法定準備率にも制約されてはいない。』

『中央銀行は、金融政策設定を通じて金利を操作することは出来ても、システム内の貨幣量をコントロールすることはできない......マネタリーベースがマネーサプライを決定するのではない。準備預金は......銀行が準備預金量とは独立に行った融資によって決定するのである。』

『「信用収縮は銀行の貸与資金不足で生じたのであり、量的緩和は”印刷した紙幣”を銀行に渡すことで銀行を貸出可能にする」といった言説はナンセンスである。銀行は、信用力のある顧客が訪れたとき、銀行の望む条件でいつでも貸し出しを行えるだろう。』

『信用サイクルについてのいわゆる循環モデル(あるいはウィクセリアンモデル)は、政府セクターの包摂に失敗しており、瑕疵のあるアプローチの典型例である。』

『要するに、これらのモデルは貨幣乗数神話を否認してはいるが、また別の神話を置き換えてしまっている。――金融システムにおいて政府が果たしている重要な役割を理解することなく、資本主義を理解することが出来る、という神話だ。』

『ウィクセリアンの見方では、”貨幣”は大まかに言って経済主体の信用の需要に応じて銀行が創造するものになる。......民間セクターは政府が財政的保守主義を通じて作る不景気をいくらか吸収することができるということになる。』

『しかし、ここが現代金融理解の肝なのだが、全体の金融純資産は、償却されるか、不十分な量しか作られないので、民間の貯蓄需要を満たせず、この成長は維持不可能になってしまうだろう。』

『こうした相互作用的な回路において、どうして政府が法的に認可した単位が利用されるのだろう? なぜ人はその支払単位を受容するのだろう? もし分析から政府セクターを排除してしまうと、こうした基礎的な疑問にも答えることが出来なくなる。』

『MMT論者は、信用創造プロセスを”ハイパワードマネーのレバレッジ”と考える。...銀行は明らかにマネーサプライを内生的に拡張している。...しかしこの活動はすべて、政府と非政府セクターの間の相互取引から作られるハイパワードマネー(HPM)のレバレッジングなのである。』

『非政府部門レベルにおけるすべての取引はバランスする――”全体では±0になる”.....私は、そうした信用創造プロセスを”水平”レベルの分析と呼び、政府と非政府セクターとの間の関係を示す垂直取引から区別してきた。』

『HPMは政府支出を通じてシステム内に入り、租税を通じてシステム外へ出ていく......垂直取引は、経済に通貨(currency)を導入し、水平取引はこの垂直取引成分を”レバレッジ”している....銀行が負債を発行するとき、それは必要に応じて容易にHPMへ交換可能でなくてはならない』

『政府によって選択された計算単位に最上位の価値を与えているのは何なのだろう。...... 国家貨幣(state money)(我々の場合はオーストラリアドル)が需要されるのは、租税負債を償却するのに使える唯一の手段として政府が認めているからだ、というのが答えである。』

『租税負債は、政府の借用証書...の持ち込みのみによって支払い可能なのである。...我々がその支払い手段を獲得する唯一の方法は、政府に対する財・サービスの供給であり、それを見返りに政府は支出を行う。政府支出が、我々に税金を払うための資金を提供するのである! 』

『多くの先進的なモデルの中心にある民間信用創造活動は、重要なポイントを見逃している。そのポイントとは、信用創造活動がHPMのレバレッジングである、ということである。』


……part1に引き続き、このpart2が皆さまの現代金融・財政制度理解の役に立てば幸いである。





(以上)