その時代の本当の「弾圧」のことは誰も触らない? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 2011年3月11日以降の福島の現実を見に行こうと、ネットで呼びかけ、レンタカー代を割り勘にして、福島に向かった行為が、いわゆる白タク営業として警察の差し押さえ、そして呼びかけた人たちが逮捕されました。

 

 誰が考えても、こんなものが違法として逮捕されるのはおかしい、と思うと思います。逮捕のために逮捕が目的の権力の狙い撃ちの暴力、すなわち「弾圧」であることは明々白々です。

 

 しかしながら、報道は、警察リークを鵜呑みにした垂れ流し記事のみ。警察の行為の違法・不当を論じた報道は全くみません。

 

 一方、抽象的には、「新共謀罪」については、一定批判的な記事は散見しますし、また、今や歴史的事実となった治安維持法違反事件である横浜事件については多くのメディアが、弾圧行為として積極的に取り上げます。

 

 過去の弾圧は、遠いから扱えるけど、現在進行形の弾圧はホット過ぎて扱えないということでしょうか。

 それとも、過去の弾圧は不当に見えるけど、今行われている弾圧は、そもそも弾圧にも見えない、もしくは、やむをえない逮捕だと整理されているのでしょうか。

 

 これは、マスコミだけではなく、多くの私たちのものの見方の中に、すでに偏見が植え込まれていることの証ではないかと危惧します。

 

 「いやあ、思っているけど、声をあげられないんだよ」みたいなことを、こっそり伝えてくる人はいます。

 

 しかし、あえていえば、思っていて声をあげないのと、問題意識を持たずに声をあげないのといかほどの違いがあるのでしょう?

 

 おかしいことに気づかない感性の「教育」、ないしは、おかしいことに声をあげられない「圧力」は、結局は同じ支配の「手口」であり、いずれにせよ時代の「弾圧」に抵抗できていません。

 

 「新共謀罪」が成立する前からこれでは、時代は繰り返すだけ。歴史から学ぶのであれば、自分の偏見に向き合い、勇気をもって、今・ここにある・弾圧に声をあげましょう!