盆休みⅡ | 夢か現か幻か

盆休みⅡ

皆さんこんにちわ^^

昨日に続き私の盆休みをばw

 

久留米 北野さんを後にし、目指したのは筑後 水田天満宮。

水田天満宮は後白河天皇の勅令により、菅公の玄孫で、当時の太宰府天満宮宮司家から菅原為永が宮司となり分祀したのが始まり。

後白河天皇と言えば、のちの源平合戦の黒幕w

向かう途中、ちょっと大きな神社を発見して、立ち寄ることに。

渋滞もしてたしちょうどいい休憩と思いつつ…

それがここ。

 

久留米市大善寺町 玉垂宮。

祭神は藤大臣(高良明神とも)といいますから詳細不明の人です。

なんでも、神功皇后の三韓征伐の折に功があったひとなんだとか。

文献などには一切出てきません。そして、神功皇后自体実在のあやしい人でもあります。

モデルは斉明天皇だったり、実在だとする説もある謎の多い皇后さま。

ま、そんなことは置いといて、創建は天武天皇元年(671年)と言いますからとにかく古いです。天武天皇は古事記の編纂を命じた天皇。日本初の歴史書です。

嵯峨天皇の時代になり弘仁五年(814年)に神仏習合となり、大善寺というお寺になります。

それが大善寺町の地名の由来。

鳥居が素晴らしく立派です。

この鳥居は戦国時代末期のものだったかな。

 

外門の横には大黒様と八咫鏡?があります。大黒様は大国主命だったり、マハカーラだったり、ヒンズー教最高神シバァだったりしますね。このあたりは神仏習合の名残でしょう。

 

 

手水舎は江戸時代のもの。徳川家斉 家慶の治世で大塩平八郎の乱や水野忠邦の改革など混乱のさ中。

 

 

手水舎にはこんな手ぬぐいが。いいですね^^

 

中門も大きく立派。

中門をくぐると、横にこんなものが。

 

日本三大火祭りと称される『鬼夜』のたいまつだそうです。

私の近所の太宰府天満宮でも似たようなまつりがあり、こちらは鬼すべと呼ばれます。

喧嘩祭りですw

このスペースは元々なんだったのでしょう?お守りやらの販売所だったのでしょうかね?

中門左右にあり、片方はたいまつが、片方は休憩所になってます。

そして本殿。

 

 

大きく非常に立派です。

供えのお酒がま新しいのでお祭りがあったんでしょう。

 

提灯に描かれている左三つ巴は、筑後領主だった有馬氏の家紋です。有馬氏から手厚い庇護を受けていたのでしょう。

 

 

賽銭箱にも。

 

 

境内非常に広いので、お祭りで賑わっているときは楽しいと思いますよ。

昔は子供の遊び場だったと思います。私も小さい頃は近所の神社で遊んでましたし、太宰府にに来てからは太宰府天満宮で遊ぶことがちょくちょくありますし、ちびに天満宮遊びに行こうと誘い、天満宮で遊ぶこともあります。

今年は暑すぎるので子供の姿も見ませんが、カブトムシが歩いていたりしてたので、きっと子供が遊んでいることでしょう^^

境内見て回るとこんな石灯篭がw

デカいw

 

ほんとデカいw

撮り忘れましたが大善寺時代の名残、鐘楼がありました。もちろん鐘もありました。

神社巡りって面白いw

みなさんもちょっと巡ってみると面白いですよ。

 

余談ですが、ことわざにこんなのが

『15歳までにその国の神話を学ばない国は亡びる』

ヨーロッパのほうの言葉みたいです。

神社に祀られている神様は9割は古事記に出てくる神様たち。

何の神様でどんなことをしたのか知ることは大事だと思います。

日本は神の国。八百万 いろんな神様がいて、すべてに神が宿る 。神羅万象

こんな国は他にないです。

日々の生活の中、神様を意識してみると面白い発見があるかもしれません。

なんせ、貧乏にも神様がいるのは日本だけですからw