理由 | 雨のち晴れ

雨のち晴れ

いろんな出来事があり、辛いこともあるけれど『やまない雨はない』ようにいつかは素敵な事がある。そんな想いでつけたタイトルのブログです。愛犬やその他、書きたい事を綴ります。

生き方の問題かもしれない。
沢田研二さんと田原俊彦さん。お二人とも間違いなく時代の頂点に立った方。しかし、大手事務所を離れた事で同じように表舞台から消える事になってしまった。証拠がある訳ではありませんが、(何処かからの)圧力があったことは否定出来ない。郷ひろみさんのように事務所を移籍しても、その移籍先が大手事務所であればそのような逆風に晒される事はなかったでしょうが、沢田研二さんと田原俊彦さんの場合はそうではなかった。その事が一番の要因じゃないでしょうか?
ただ、許せない事もある。田原俊彦さんの場合、低迷していたJ事務所を復活させた一番の功労者であることは間違いない事実のはず。それなのに、それをなかった事にするかのような一部マスコミの風潮やJ事務所のスタンス。確かに同時期に近○○彦さんがデビューしているが、J本来の持ち味、「歌って踊る」事は出来ない。ただ、思い出してみるとJ事務所は初めから近○さんを寵愛していたと思う。まだ、田原さんのファンになる前の話。
たのきん映画が何作品か作られたが、基本的に近○推しの作品が多い事に違和感を覚えた記憶がある。
歌の世界では田原さんのイメージは陽。しかし、このデビュー当時の田原さんの役者としてのイメージは間違いなく陰だった。繊細でナイーブ、「死」の影を見せる作品も多かった。その評価がその後のコンスタントなドラマ出演に繋がったと思います。
でも、そういう実績があってもJ事務所は近○寵愛のスタンスを持ち続けた。田原さんが紅白落選した年、決して落ちるような低迷状態ではなかったはず。新曲は全てベストテンにランクインして、主演ドラマも好視聴率だった。それなのに落ちた。それが、如何に衝撃的だったかは、あの発表日にわざわざNHKがニュース番組で「田原俊彦さんが落選しました。」と伝える程だったのだから。きっと、あの出来事が田原さんのプライドを傷付けたのだと思う。あれ以降、田原さんのJ事務所との関係性が大きく変わったのだと思います。近○さんは中○明○さんとの件でも、決して責任ある対応をしたとは思えない会見をしました。まるで明○さんが近○さんに迷惑をかけた…という謝罪会見のような流れを作り、自らの保身を優先した。もちろん、それはJ事務所の主導によるシナリオだったのでしょうけど。
でも、リアルタイムであの会見を見た印象では明○さんが可哀想だった。あれを庇う態度を本気で見せたなら近○さんに対してのイメージも変わったと思う。結局、近○さんはJ事務所の「長男」として君臨し、田原さんは自身の力で戦ういばらの道を選択しました。でも、分かる人には分かる。守られる事に慣れてしまった人間と戦う事を選んだ人間との人間力の違いを。それが僕が田原俊彦を応援する理由です。