追記しました。
ロジャーダルトリー(ヴォーカル)
ローリングストーン誌 ro69 抜粋
(ポールマッカートニーとジョンレノンに初めて会ったのはいつのことか?)
1964年、イギリスのブラックプールのブラックプール・オペラハウスでのライヴで前座を務めたんだ。日曜の晩で僕たちの出番が連中のひとつ手前だったんだ。ジョンレノンが舞台奥の幕の裏で、ピートタウンゼントのギターアンプのちょうど背後でずっとピートの演奏を聴いてたってローディーがいってたのを今でも憶えてるよ。そもそもフィードバックとかそういう効果を使い出したのは、バンドとして僕たちが史上初めてだったんだけど、明らかにジョンレノンはそれをずっと聴いてたんだよね。で、その次のシングル(アイ フィール ファイン)でビートルズはいきなりフィードバックを使い始めたんだよ。
( この日のライヴでそれ以外のことで憶えていることは?)
ビートルズの演奏については音一つさえ聴こえなかったのをよく憶えてるね。ファンの絶叫がね、この世で最も意味のわからないノイズとして襲ってくるんだ。聴けたとしても音楽を聴けるのは2秒くらいで、その後はもう金切声の絨毯爆撃だよ。その後、突然、おしっこの臭いが漂ってくるんだ。ビートルズのファンっていうのは、興奮のあまり失禁しちゃうもんだったんだよね。
(自分たちのファンが失禁することはなかったのか?)
そんなことはなかったはずだと思うな。僕たち不細工過ぎたから。
(ピートタウンゼントの手元に楽曲のストックがいくらでもあることはピート自身も明らかにしていることなので、ザ・フーとしての新作制作は考えられないのか?)
そういう話はしてるんだけどさ。そう簡単にはいかないよね。もうレコード産業というもの自体が存在しないんだから。レコードなんかもう作る気にもならないよ。レコードを作るにはこっちが費用を出さなきゃならないんだから。おまけに印税も入って来ないんだから、とても実現させられる話じゃないね。レコード業界っていう世界はもう無いんだよ。レコードの制作費をどうやって捻出してくればいいのか。僕にはわからないんだ。けれども、とりあえず自分の音楽をただでばらまくために自分の身銭を使ってまでレコードを作る気になんか絶対にならないよ。いくら僕だってそこまでの浪費はできないよ。同じ無駄遣いをするにしてもほかにまだましなことがあるから。
◎音楽業界そのものが絶えず変化にさらされているわけですよね。
すべてかっぱらわれたんだよ。インターネットが幅を利かせてきたやり方は、史上最悪の略奪行為だよ。ミュージシャンはもうこの先はただで働けばいいってことなんだからね
◎アーティストはストリーミングで収入を得られますが、アルバムやCDで受け取るほどではないですからね。
君さ、それ冗談でしょ? ストリーミングで金貰ってるなんて、ふざけちゃいけないよ。もう無法地帯なんだから。ミュージシャンは毎日追剥に襲われて強奪されてるんだよ。それが今や映画やテレビやありとあらゆるものにも忍び込んできてるんだよ。よく考えればわかるはずだよ。インターネットというのは、ゆっくりではあるけれども、ありとあらゆるものを破壊してるんだから。そのおかげで人々の生活が良くなったなんて僕は少しも思わないから。ただ、仕事が増やされただけで、増やされた方がなんだか前よりちょっと必要とされているのかもって思わされてるだけで、すべて嘘っぱちだよ。フェイスブックで(いいね!)を5万ヒット獲得してなんか必要とされてるような気になってるだけで、すべて見せかけだけだから。そんなもん全部ゴミだし(笑)。もうちょっと空を見上げてみろっていうんだよ。もうちょっと現実の世界を生きてみろって。
ロジャーさんに提供
レノン/マッカートニーのトリビュートアルバムが作られてるんだ。いろんな人が彼らの曲を歌うんだ。俺は(Helter Skelter)を頼まれた。その曲は誰もやりたがらなかったんだよ(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=oy48hE6KNfs
1996 ゴールドマイン
◎貴方のベース演奏はとても冒険的ですよね。誰から影響をうけましたか?
本当に僕にインスピレーションを与えたベースプレイヤーなんていないよ。初期の影響はデュアンエディーだよ。僕は常に彼の演奏がまるでベースソロの様だと思ってたから。それに付け加えて、僕らはシンガー付きのスリーピースバンドだった。だから僕はたくさんの部分をカヴァーする必要があったんだよ。結局僕はリードベースプレイヤーになったんだ。
◎貴方は他のベースプレイヤーの誰を高く評価しますか?
僕が好きなベースプレイヤーの一人はピート クアイフだよ。文字どうり彼はキンクスをドライブさせた。そして僕がいつも賞賛しているのはポールマッカートニーだよ。なぜなら僕は彼のベースパートの構築法が好きなんだ。彼は演奏するのと同時に歌えるようにベースパートを作ったんだよ。
僕も自分のソロアルバムを作った時にそれに挑戦した。そして思った。これをステージの上でやろうって。だけどなんてことだって思った。歌いながら演奏するなんてまるで地獄だ。こんなの不可能だよ。
1996 ベースプレイヤーマガジン
◎貴方とポールマッカートニー、ジャックブルースはベースプレイヤーの新しい世代と言われましたよね?彼らの演奏をどう思いますか?
そういう意図的な質問は好きではないな。僕らは全く別のプレイヤーだ。ポールマッカートニーは偉大なベースプレイヤーだよ。僕は誰よりも彼のベースパート、そしてベースラインが一番好きだ。ジャックブルースは技術的に上手いと思うけど、僕の心には響かない。
ベースギター 1992
◎ビートルズをどう思いますか。そしてポールマッカートニーをどの様に評価しますか?
ビートルズ? 僕の友達だよ。ポールマッカートニーは僕の大好きなベースプレイヤーだよ。彼と僕は同じ時代を生きた。残念なことに、僕らより後のベースプレイヤーは誰も、僕らみたいな事が出来ないんだ。つまり、僕らがベースギターの演奏のルールを作ったんだからね。僕らは規制を作ったんだよ。今のベースプレイヤーはある意味、僕らが作った規制の中で演奏しているんだから少し可哀そうでもあるね。ただし、僕とポールマッカートニーの演奏はまったく違うから僕らはまったく違う楽器を演奏してたのかも知れないね。僕の演奏には脈絡はないけど、彼は思慮して演奏を構築していた。
◎貴方はベースプレイヤーの役割とは何だとおもいますか?
隙間を埋めることだよ。ザ フーやザ ビートルズの初期のレコードは音がペラペラだろ?だけどそれからはどうだった?つまりその差を埋めたことがベースプレイヤーの仕事だった訳だ。ザ フーは3人で演奏してたから、ザ ビートルズよりも隙間を埋めることに忙しかった。ザ ビートルズではレノン=マッカートニーの曲よりもハリスンの曲についてはベースプレイヤーが隙間を埋めなければならなかった。なぜならヴォーカルの強さが違うからね。
1996 ゴールドマイン
◎ザ フーとザ ビートルズ、ザ ローリングストーンズ、そしてザ キンクスの間に競争は存在しましたか?
そんなものより親しみやすい友情の方がより多くあったと思うよ。競争の存在を感じるとしたなら、それは君が名声のはしごに乗っているかどうかに関ることだと思うよ。もし当時、君が名声のはしごに乗っていたとしたなら、君の本当のライヴァルはザ ビートルズ、ザ ストーンズ、ザ フーだっただろう。それから、レッドツェッぺリンが現れた。そこにはライヴァル心があっただろう。そして僕らはまた、友達でもあった。つまりザ ビートルズはいつもそこに居た。どうしても彼らをやっつけられそうにもなかった。なぜなら、彼らはザ ビートルズであったからね。ザ ストーンズ。。うん。僕らは彼らと競争をしていたよ。
ローリングストーン 2023
◎1967年5月にリリースされた『サージェント ペパー』が、同年12月にリリースされた『ザ フー セル アウト』で聴かれるような、よりコンセプチュアルなアプローチに影響を与えましたか?
いや、違う。違うよ。ビートルズは僕らをコピーしたんだ!ポール マッカートニーは、アルバムのアートワークにもあるBag O'Nails(会場)で僕に近づいてきたんだ。彼はいつでも私にとてもとても優しかったよ。最初に言っておくよ。でも彼は、『 A Quick One, While He's Away』というミニ オペラをとても気に入ってくれたと言ってくれた。それは『The Who Sell Out』の前のアルバムに収録されていた。そして、似たようなことをやろうと考えていると言ってくれたんだ。
でも、ビートルズを非難するつもりはないよ。当時、少しでもアート スクールに通い、少しでも冒険好きだった人なら。。。。もちろん、ビートルズはスタジオで最大限の実験をするよう奨励されていたんだけど。。。。何かコンセプトのようなものをやろうと考えるのは自然だったと思う。
ビートルズは成長しなかったんだ。ビートルズはとても興味深い存在になり、ポテンシャルがとてもとても習熟した時点でレコードを作るのをやめてしまった。彼らはソロアーチストとして動き始めたけど、明らかにバンドとしての彼らは止まってしまった。
それでも彼らが、今ここに存在しないにもかかわらず、長い間ビートルズがアピールし続けたことはいまだに普通に存在するんだよ。なぜなら彼らは明白に本当の情熱に駆られて、果てしなく革新的だったからだ。彼らはひどく多くのものを音楽に取り入れて、それはいまだに生き続けているんだよ。
ビートルズのレコーディング活動にはとても興味深いものがあるね。逸話が一杯あって、ポールが良く使っているエアースタジオで仕事をしてみると良くわかるよ。そこのスタッフの多くがアビーロード スタジオ出身だからね。そこにはエンジニアのジェフ エメリックという男がいて誰でも人に話したくなるような逸話をいくつも知っているよ。だからビートルズの有名な評伝や本を読んでも目新しい情報なんてなかったのさ。
だけど彼らについて一番興味深いのは彼らがあっけなく消えていったことだね。彼らのバンドとしての命は短かったんだ。
ジョンレノンについて悲しむべきなのは僕たちはみんな真実を知っているという事だ。僕でもジョンレノンでもどんな有名人でも映画俳優であれ、政治家や大統領でも普通の人間だということを知っている。彼らにピストルを向けて発砲すれば終わりなんだ。血を流して、誰もがそうするように苦しむんだ。
それから僕らはスターの仕組みを直視しないとだめだ。スターのからくりを。(我らがヒーローは自らの人生に奇跡を起こし、そして僕たちの人生に奇跡を起こし続けているなんて思うことだ。)僕たちはみんなスターを必要としてるんだ。普通の人間が他人に普通でないことを要求する事実、これこそが悲劇を生み出すことになるんだ。気味が悪いけど、それが世間の風潮の様だね。しかし、それはこの世が始まって以来のことだし、今日突然変わらないだろうね。そういったことを人々はきちんと認識すべきだよ。
◎昔、ビートルズと近い関係にありましたか?
うん。僕たちはビートルズの前座をやっていたんだ。彼らはすでにビッグな存在だった。セカンドアルバムの頃、キンクスと一緒にビートルズのイギリス公演に参加して、ほんのしばらくだけど彼らの前座をやったよ。
◎ジョン レノンとポール マッカートニーの印象を教えてください。
よくブライアン エプスタインの所で洒落たパーティーをやっていたんだ。ジョンがやってきて、当時の奥さんのシンシアを交えて食事をした時のことを覚えているよ。面と向かって座ったのは初めてだったので、ちょっとドキドキしたよ。ポールとジェーンアッシャーの事は良く知っていたんだけどね。僕が居心地悪そうにしてるのを見て、ジョンがとっても大きい声で言ってくれた。(食べろよ!)って。
当時のジョンはどうひいきして見ても(うぶ)というわけじゃなく、かなり品が無かった。それはしばらくすると改善されたんだろうけどね。そして、ジョンは人の心を逆なでする人間でもあったよ。彼は平気で(お前は馬鹿だ)って言いきった。だけどジョンは稀な人で、愛すべき人間だった。
ポールは最初からすごく感じが良かった。彼とは二人でいろんなパーティーに行ったけれど、いつも人目に付くのはポールの方だった。彼を知らないような高齢の男性でさえ、ポールに視線を送っていた。僕はそれを羨ましく思っていたんだけど、今ではそうでなくて良かったと思っている。何しろポールはきっと今でも人目についていることだろうから。
ポールはものすごくウィットに富み社交性に富んでいた。彼は品のあるユーモアのセンスを持った21歳の若者だった。彼はまた若者特有の愚かさも持っていた。でもそれはみんなが持っているもので自分の21歳の頃の事を思い出してごらん。
ローリングストーン誌
◎レノンですか? マッカートニーですか?
マッカートニーだよ。ソングライターとして見ると、彼は本当に素晴らしい。彼は僕が一番好きなソングライターなんだ。自分が落ち込みそうな時、興奮した時、あるいは増長しそうな時、マッカートニーの楽曲を流すんだよ。それには自分を冷静に戻す十分なクオリティーがあるんだよ。
コンタクトミュージック 2006
60年代当時からの仲間達には今でも影響を受けつづけている。中でもボブディランとポールマッカートニーの存在は突出している。様々な面で優れた仲間の存在に触発されたからこそ今の自分がいるんだ。
レイデイヴィスの詩の才能とマッカートニーの自信と行動力。それにミックジャガーの誰とでも上手くやっていける能力とボブディランの口髭。僕たちの世代はけた違いにすごい。そう、みんながみんな素晴らしいやつらだよ。
◎貴方は楽曲を書きますが、自分でヴォーカルを取ろうとは思わなかったんですか?
全くおもわないね。実はロジャーダルトリーがグループを離れた時、僕がヴォーカルを取ろうとしたんだけど、その時、ちょうどロバートプラントがスタジオに来たんだ。彼は僕が歌っているのを見てもまったく興味がなさそうだった。彼はまったく僕らと話さなかったけど帰ろうとしなかった。彼はロジャーと話がしたかったから、彼を待ってたんだ。
バンドでは歌える人間が歌えばいいんだ。ビートルズ、ストーンズ、レッドツェッぺリン、歌える人間が歌っている。
ギタリスト 1990
僕は人々が現在、ブルース、ロックンロール、カントリー、フォークを全く別のものだと思っていると思う。だけどそれは違うんだ。それはただ、それぞれのカテゴリーがもっとも統制された形で存在するというだけの事なんだよ。そしてロックンロールはおそらくもっとも統制の厳しいカテゴリーなんだ。
◎貴方もある種の制限を受けたのですか?
ああ、ロックンロールの規律はとても厳しいんだよ。たくさんの規律はルールとなり、人々にとってリスクになった。70年代にルールを破った人々はいまだにその反応に傷ついてるんだ。
◎しかし(ザ フー)のようなバンドはそれらの制限にとらわれずロックンロールの感触と真のポップをミックスさせませんでしたか?
面白いのは僕らはある意味でロックンロールを拒否していたことだ。ザ フーはロックバンドというよりはよりポップバンドだった。人々がザ フーの歴史を何かで読んだり、僕が(ロック)について話すのを聞いた時には混乱する人もいるだろう。
なぜなら、僕が(ロック)について話す時には、60年代の新しいポップ。。。つまり、ブリティッシュポップの出現の背後にあるイデオロギーについて話しているんだ。ビートルズのような人々を含めてね。僕が誇りに思うのはそれが僕らの周りで起きて、僕らの周りに由来するからだよ!
僕はその頃の事をよく良くポール マッカートニーと話したよ。キュビズム(ピカソとジョルジュ ブラックが始めた現代美術のムーブメント)よりも長く続くムーブメントのはじまりに僕が関れたって感じる事はとても魅力的な事だよ!
もったいぶった言い方だって思うだろうね。だけどロックンロールは専門家が言うよりは長く続いた。2年はね。つまりエルヴィスはただ、一つだけロックンロールアルバムを作った。
それからビルヘイリーには2枚のアルバムがある。そして、エディーコクランは1枚。バディーホリーはまったくロックンロールでは無かったけど、他の人々は1枚のアルバムをそうだと認めるだろう。ジェリーリールイスはかつて言ったよね。(僕らはビートルズのようなバンドの出現により葬られた。)
ビートルズは音楽を大戦後を起源とするロマンティックでセンチメンタルなものに戻したんだ。それらはメロディーをより含み、セックスよりも愛やセンチメンタリズムの詩を持っていた。(ロックンロール)はコードが極めて少なく、セックスについての詩に溢れていた。
だけど、その時僕らは何をしていたのかなんて理解出来ていなかったんだよ。僕は、ビートルズのメンバー自身が彼らの音楽で何をやっていたのかについて、ほかの人間以上に理解出来ていたなんて思っていないよ。
ジョンレノンとポールマッカートニーにはまったく幻想なんてないよ。だって僕は二人を知っているんだから。彼らは人間だよ。ちょっと音楽が出来て、ちょっと頭が切れるだけだよ。
◎貴方のジョンレノンの一曲は?
(ジェラスガイ)
この曲が好きな理由は言わなくてもわかるだろ?ジョンは愛すべき男だったけど、一面では本当に意地悪で嫌なやつでもあった。ただ、彼には裏表がなくて見たまんまなんだ。
あの二人の暮らしがどんなだったか想像もできないな。悪夢だったんじゃないの?この業界で完全に頭がおかしくなっちゃう人がいるのは良くわかるよ。気軽に外に出ていけないんだから。毎日、自問するんだ。(僕は一体何者なんだ。)って。僕らの場合、女の子にキャーキャー騒がれたのは数年で終わったから良かったけどさ。
◎ビートルズで親交があったのは誰ですか?
ポールマッカートニーだよ。なぜなら、彼は外向的な人間だったからね。僕は外向的な人でないと、長く一緒にいられないんだよ。僕も外向的だから、(ノリ)が合わないというか。実はザ ビートルズには内向的な人達が多いんだよ。
僕らは選ばれた人間なんだよ。僕らはクラブに行けば労働者階級の若者だったし、ステージに立てば、貴族にもろくでなしにもなれた。
mgm 2005
ポールはみんなが彼に期待するような行動を取っている。僕は変だと思うよ。だけどそれが彼の人生の対処法なんだろうな。だから彼がするすべての事はポールマッカートニーショーになるんだ。
英サン紙 2012
サー ポールは素晴らしかったよ。僕らは去年、彼と仕事をしたけど彼を一日中、仕事で縛り付けるなんて出来なかった。彼は言った(来年、君の為にここに来るよ。ログ)。そして今年、彼はここに来た。
ロイヤルアルバートホールで彼のアリーナショーをフルで見るなんて、人生で一回出来るかどうかの経験だ。彼は世界でもっとも偶像視されている(アイコニックな)人物だよ。