公務員からの起業その3 | 札幌のNPO サポートシステム研究会 高橋 潤のブログ

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札幌の非営利団体のサポートシステム研究会代表理事の独り言です。
ソーシャルビジネス支援のNPOです。

前回の続きです。

おつきあいください。

 

私がいま振り返ると、大きな失敗がなかった理由のひとつは、段階を踏みステップアップしてきたことです。

退職してから、偶然あるところで、ボランティアの募集のチラシをみて、人生で初めてのボランティアをしたのが、今にいたるきっかけでした。

 

それは、日本初のNPO情報誌、えぬぴおんのボランティア取材スタッフになったことです。当時まだNPOという言葉すら、道内では知らない方が多かった時代です。

日本の社会の変革の主体としてNPOは熱い時代でした。どんどん市内ではユニークなNPOが誕生しておりました。

このボランティアは運営主体は、当時では珍しい中間支援組織である北海道NPOサポートセンターで、理事長はのちの札幌市長となる上田文雄氏でした。

 

交通費と若干の取材費がでるこの取材はとても大変ではありましたが、当時失業していた私にはとても楽しい、視野が広がるいい体験でした。

 

当時知り合った方々とは、今も付き合いがあります。

この中で、いろいろと知人ができ、その後もいろいろとボランティアをしました。

 

残念ながら、この日本初のNPO情報誌は五号で休刊、事実上の廃刊となりましたが、得難い経験で、ネットワークの広がりの端緒でもありました。

 

その後、道の主催のNPO・NGOスタッフトレーニングという講座に出ました。

この講座は、60時間の講義と時間外での実習という非常に充実した講座でした。年齢や性別もさまざまな人たちがあつまっていました。

講師陣も実務家や大学教員などいい内容でした。

ここで、今の活動の基礎となる素養ができました。

 

私はこの時、実習先に全国的に注目されているNPO法人札幌チャレンジドにしました。そして、講座終了後、このNPO法人でボランティアとして13年間活動することとなりました。

障害者をIT支援するという当時では画期的で、マイクロソフト日本法人の幹部も視察にくるという成長過程の団体にボランティアとして参加でき、楽しい思い出ができました。

 

この団体は現在は、事業高も一億円以上で、高校の教科書にも載る、ソーシャルビジネスの旗手として道内のNPOのリーダーのような存在です。

 

この団体が、市から業務委託された札幌市障害者ITCサポートセンターのボランティア講師を13年勤めました。

この団体の現在の理事長の知遇をうけ、さまざまなセミナーで勉強さっせてもらいました。

 

いま私が通う大学院の非常勤講師である中です。

 

この後、障害児の託児ボランティア、発達障碍児の育児ボランティアをやり、さらに大型イベントの広報スタッフを務めるなど、かなりたいへんなボランティアを次々と体験しました。

いずれも、消防の世界しかしらない自分にとり、視野が広がる得難い経験でした。

 

その一つが、ヒマラヤ圏サパナ主催の外務省後援の国際交流事業です。ヒマラヤネパール民族音楽道内公演という数千万円の大事業でせいた。

数十人のボランティアが参加して、初めて日本に来たネパールの民族音楽団の道内三か所の公演を支援しました。最年少は12歳の少女でした。いきなり先進国の日本に来たので、ホームシックになり泣いていました。ネパールは当時も今も世界では最貧国でした。

 

印象に残っているのは、アジア系の方の昔の日本の農村のような雰囲気とヨーロッパ系の方の気品がある雰囲気です。

 

運営されていたMさんは元ゼネコンの技術者で、脱サラして団体を立ち上げ、ネパールやヒマラヤ圏との異文化交流をされていました。ネパール語も話せるなかなかの方でした。

今も市民活動相談員として活動されています。

ゼネコンにいただけあり、緻密な計画と事業運営能力がありました。

 

私は知り合いから依頼されて、広報担当となりました。

日中動けるメンバーが少ないため、6000枚のチラシを一月で一人でまきました。消防時代の戦略とボランティアでのネットワークを駆使して、自分でも驚くほどの情熱でがんばりました。

公演はさいわい大成功で、満席でした。

 

終了後のパーティで、ネパールの方から感謝されて、小さい仏像のお土産をもらい、いまも自宅の机にあります。

そのご正月も過ぎたころ、ネパールから平仮名とローマ字で書かれた旧正月を祝う年賀状がきて、びっくりでした。

 

このボランティアを経験して、市民活動やNPO活動のパワーを感じて、この道に進むこととなりました。
 

この二つのボラティアは人生を変えるほどの経験でした。

公務員とは違う民間の発想を身に着けるいい機会でもありました。

 

まだまだ続きがあります。