【遠藤のアートコラム】「日本に渡ったフランス絵画」vol.1 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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引き続き遠藤がお届けします【アートコラム】。
6月は、現在泉屋博古館 分館(せんおくはくこかん ぶんかん)(東京・六本木)で開催中の特別展・住友グループの企業文化力Ⅲ「フランス絵画の贈り物―とっておいた名画」の作品をご紹介しながら、日本にフランス絵画をもたらした日本人たちと、住友コレクションについてお届けします。

※1 マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち

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―ローランス画伯の巨腕に驚き直ちに其の門に走りて其薫育に浴することゝなりこゝに画伯と終世子弟の情宜を結べり―

上記は、明治生まれの洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)(1874-1941)の言葉です。彼がローランス画伯と慕った、フランスの画家ジャン=ポール・ローランス(1838-1921)の作品が左、《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》。

描かれているのは、ナポレオン・ボナパルトと同じ年に生まれ、フランス革命で輝かしい武勲を立てた若き将軍フランソワ=ゼウラン・マルソーの死の場面です。

この場面は、パリのシャンゼリゼ通りにあるエトワール凱旋門にもレリーフとして刻まれています。現在フランスの地下鉄9号線の駅「アルマ=マルソー駅」のマルソーもこの将軍にちなんだものだそうで、クリミア戦争でフランスが勝利したアルマの戦いと並んでその名が残されています。

革命後のオーストリアとの戦闘でもマルソーは、敵方の将軍カール大公にしばしば敗北を味あわせました。
しかし、騎兵銃に撃たれて重症を負ってしまいます。敵将のカール大公は手厚い看護を施しますが、マルソーは27歳の若さで亡くなってしまいました。この時マルソーは、フランスの将軍ジュルダンに向かって「将軍、どうして涙など流すのです?私は、国のために死ぬのが、嬉しいのです」と言って死んでいったと言われます。カール大公は、葬儀に自分が参列できることを条件に遺体をフランスに引き渡しました。
作品中、遺体の足元で弔意を示しているのがカール大公。遺体の横で涙にくれているのはフランスの老将クレー将軍です。

精緻な描写で仕上げられた大きな画面の作品で、画中の人物が身につけている衣服や、将軍が横たわるベッドなどは、まるで肌触りが感じられるかのようです。

1877年、39歳のローランスがサロンに出品したこの作品は、メダイユ・ドヌール(栄誉賞)を受賞しています。

当時のサロンは、フランス国家が運営する美術の公募展で、画家が作品を発表できる権威ある美術展でした。

しかし、ジャン・ポール・ローランスがサロンで入選を繰り返し、国家に作品を買い上げられていった当時、もはやサロンは終焉へと向かっていました。
すでにその頃、印象派ポスト印象派の画家たちが注目を浴び、画商やブルジョワの支援を受けて活躍する時代となっていたのです。

一方日本は、文明開化の只中であり、近代洋画始まりの時代。1893年にフランスに留学していた黒田清輝(1866-1924)が帰国すると、印象派の影響を取り入れた外光派と呼ばれる作風を確立していきました。

没落士族出身の鹿子木孟郎もまた、どうにか資金を工面し、明治33(1900)年に、初めてフランスへと留学します。そこでローランスを知った鹿子木は、世界的に注目される印象派やポスト印象派ではなく、伝統的で正統派な手法で歴史画を描くローランスの、アカデミックな作風こそを学びたいと、なんとか彼に師事しようとしました。
この時に鹿子木の留学を支援し、彼がローランスに近しく学ぶきっかけを作ったのが住友家でした。

住友家15代当主、住友友純(ともいと)(号、春翠(しゅんすい))(1865-1926)は、明治28年に住友銀行を開業した人物で、茶人、風流人としても知られ、美術品の収集と、画家の支援にも務めました。

ちょうど新たに建てた洋館を飾る絵画を探していた春翠は、鹿子木に留学支援金を贈る代わりとして西洋絵画の購入を依頼。
鹿子木は留学を延長し、帰国の際にはローランスを含む多くの作品と、鹿子木自身による西洋絵画の模写を住友家に持ち帰ったのです。

住友春翠という東洋の富豪と、その代理人として作品を購入する鹿子木にローランスは興味を持ち、彼に師事したいという鹿子木の願いは叶うことになります。

1906年から1908年にかけての二度目の渡仏の際に購入したのが、マルソー将軍を描いた作品でした。

※2 年代記

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左の作品も、同じときに購入されたローランスの作品《年代記》です。

内容は、中世の騎士道文化を記した年代記作家ジャン・フロワサール(1337-1405年頃)にまつわるものと考えられています。

本国フランスでも高い評価を得たこれらの作品は、住友家に大切にコレクションされてきました。

印象派以前のリアリズムに魅了された鹿子木孟郎の強い思いによって、フランスアカデミスムの正統に位置する傑作が、今も日本に残されているのです。

参考: 住友グループの企業文化力Ⅲ「フランス絵画の贈り物―とっておいた名画」図録
    発行:公益財団法人泉屋博古館


※1 ジャン=ポール・ローランス《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》1877年
油彩・カンヴァス 210.0×300.0cm 泉屋博古館 分館

※2 ジャン=ポール・ローランス《年代記》1906年
油彩・カンヴァス 61.5×79.9cm 泉屋博古館 分館


<展覧会情報>
特別展 住友グループの企業文化力Ⅲ「フランス絵画の贈り物―とっておいた名画」
2015年5月30日(土)~2015年8月2日(日)

会場:泉屋博古館 分館 (東京・六本木)
休館日:月曜日(ただし7月20日(月)開館・翌21日(火)休館)
開館時間:午前10:00~午後5:00(入館は午後4:30まで)
※企画により変更があります。

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
関連サイト:http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/





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