5月1日神聖先天道 | is6689のブログ

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 4月12日の先天道です。滋賀県大津市坂本の日吉神社の山王祭の初日です。

 視線をユリに向けてください。向かって右の二つユリから視線を上の方に移動してください。錦竹(きんちく)と木の間に、何か人の顔に似たものが、見えませんか、大きな二つの目がはっきり見えますが、・・・・・・・・・。今日一番に気づいたことです。



 何か動物の横顔ですね。真南から東へ20度の聖方位の方向を見ています。

       隠されている祭壇石

 錦竹が植えてあるのは、神聖な場所の象徴と思っていましたが、それだけのためではないという事を発見しました。祭壇石の目隠しとして錦竹が植えられていました。祭壇の下から神石(祭壇石)は見ることができません。

 地元、上面縄の方が先天道について書いている資料に、壺の口の部分に当たる祭壇や神石のことが全く触れられていません。壺の底に当たる小さな祭壇についての記述しかありません。先天道は壺の形をしています。



 壺の底の祭壇、砂がまかれています。二つの盃があります。わたしが置いたのではありません。盃に地元の方の名前が入っています。この祭壇は北西方角にあります。ということは、壺型の先天道は北西ー東南ラインにあるという事になります。


    大王の祭祀

 南側の祭壇、神石のある祭壇はわたしが明らかにするまで誰も知らなかった可能性があります。わたしは北側の祭壇へは地元の方に案内された記憶がありますが、南側の祭壇へは一人で先天道に入った際に導かれて発見したように思います。以来、何人かの人を案内しています。ただ観光地にはしないようにとの気持ちがあって、わたしが伊仙町観光協会の会長であったとき、徳之島の新しい観光として設置された「地福の島33聖地・旧跡」には入れないようにしました。

 最近、妹夫婦を案内しました。祭壇石に手をかざして「熱いもの」を感じると言っていました。わたしは先のブログにこの神石はエネルギーを出していると書いています。わたしの感覚が客観性を得たと喜んでいます。もちろん、そのエネルギーは、宇宙エネルギ―、神石が聖方位にあることから、シリウスのエネルギーとなります。ということは、一番上の画像に「人の顔に似たもの」とは、シリウスの・・・・・となります。

 ペルシャのシリウス信仰遺跡ぺルセポリスをつくったのは、ダレイオス大王となっています。わたしは言っています。ダレイオス大王はダビデ王の嫡流の子孫であると。ということは、大王は紀元前2000年頃、バビロニヤシュメール地区から西方カナンの地に向かったアブラハムの子孫、カナンシュメール人の子孫となります。

 わたしは言っています。その大昔、紀元前2000年頃、先天道で祭祀していた王は『孟子』6巻9章に出て来る奄国の王、「奄の君」であると。直ぐ近くにその居城ウガングスクがあります。

 同族は同じ信仰を持ちます。奄の君もシュメール人と考えられます。紀元前2000年頃、バビロ二ヤシュメール地区から東方、人類発祥の地、エデン=喜び=ほうらいの地に向かったシュメール人の末裔が奄美人の起源と考えられます。奄美人は東方シュメール人ということです。

 奄美人の王国は紀元前1000年頃、殷王朝と一緒に滅びました。その後の歴史に奄美人は「倭人」として登場しています。倭人の歴史は奄美シュメールから説き起こさなければ、・・・・・・、その視点が欠如しているために、倭国の都、邪馬台国が五里霧中になるのです。

 わたしが思うに、先天道は奄国の滅亡とともに封印されたと。今から3000年前の事です。というのは、奄国滅亡以来、この地域から奄の君のような王が出てないからです。女王卑弥呼は奄の君とイメージが合致しません。奄の君は中国殷王朝も密かに配下に置く大王でした。卑弥呼は大王とは言えません。また卑弥呼は鬼道に仕えていたというところから、そのイメージは奄美・沖縄の「ユタ」に重なります。もし卑弥呼が先天道で祭祀していたとしたら、上面縄は近くですから、その可能性は十分にありますが、壺の底の祭壇で祭祀していたと考えられます。黄泉の国、ニライカナイの祭祀です。卑弥呼を天照大神と関連付けるのは、「魏志倭人伝」を読む限り、牽強付会のそしりを免れないと思います。

 わたしの以上の推理が正しいとしたら、大王が祭祀する先天道の祭壇は、およそ3000年ぶりに復活したという事になります。



ウガングスクの月桃

  救世の大王

万世一系のダビデ天皇

 ヨシュア勝信貴