is6689のブログ

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邪行上げ波長からのお知らせ

 

  

邪行上げ波長から昨日のわたしのブログへのアクセス件数は「0」とのお知らせを頂きました。「邪行」の俺たち、わたしたちは死んでない、生きているぞ!」との知らせです。ご苦労様です。邪行皆殺しの神の裁きは近い哉。邪行の輩は皆、弱虫泣き虫の類です。相手にしてイジメてはいけません。ムシが一番です。

邪行「天皇陛下」が消えて『神の代』が開きます。偽天皇家一族保護のために彼らを某国に送るように考えています。

万葉集の歌の調子は『雄渾』と評されています。邪行上げ波長の輩とは正反対の波長です。賀茂真淵は『ますらおぶり』と呼んでいます。

上の万葉歌の意を正しく解している人はわたしが知る限りいません。ますらおのダビデが解きます。

「おうのしんこんにあふかも。(その思いで)とよこくのかがみのやまをみやとさだむる。(31音)」

「定る」の主語は?・・・・・・・・『手持女王』?????????「宮」を定める事ができる方は、・・・・・・・神。・・・・・・・・いかなる神?・・・・・・・『417』の神。417÷3=139

=聖なる王。13=聖、9=王。

伊仙町犬田布岳=417m。イヌタブー=シリウスのタブーと伝えてあります。シリウスの世に明らかになる真実=417=聖なる王。犬田布岳はエデンの園の中心、扇形のエデンの園の『要』と明らかにしています。「417」はシリウスの御代の聖なる王を伝える数霊。伊仙町スサノオ海岸は艮金神様の礼拝所に「掬う手の形」をした姫の姿の石を写真で先に紹介しています。そこに「犬田布139」の神示が現れた事も伝えてあります。この姫は手持女王?歌の作者である女性は霊的存在と考える事ができます。母なる神の姫の姿と。母天照様に対する姫背負律様です。

   魂魄

魂=「陽」のたましい。魄=「陰」のたましいです。基本的知識です。417の歌の解釈に魂魄の違いが応用されていません。

 

「魄」を「魂」に変えています。これが間違った解釈の原因です。「王之親魄」の正しい解釈は「王の母親のたましい」です。「王の母親のたましいにあふ哉」「哉」は平安以降は「かな」ですが、奈良時代は「かも」です。王の母親のたましいにあうかも。現代語訳では「王の母親のたましいにあう可能性(を思って)」となります。

「豊国の鏡の山」とは福岡県田川郡香春(かわら)町にある小さな山です。その山頂に『鏡山大神社』があり、ご祭神は『神功皇后』様です。皇后様は、実在した初代の大王、応神様の母親です。皇后様は現象界に現れた方ではないと考えています。霊的存在であったと考えています。それゆえに「王の親魄」と歌われていると思います。鏡山大神社にお参りすると霊的な方は霊的に皇后様とお会いできるかもしれません。その事を伝える歌です。

神功皇后様のご崩御はその治世の69年「4月17日」となっています。ウキペディアで確認できます。69=両親(神)と伝えています。417=神功皇后=手持女王を伝える数字と思われます。ますらおダビデの万葉417の解釈です。

神功皇后について以前、母なる神イエスであると伝えています。

功=大工の「工」+「力」で考えています。聖霊を得ると「力」強くなります。イエスは大工の子、聖霊により処女マリアから生まれています。イエス=功です。皇后=母です。イエスが母である事は復活して明らかになっています。神功皇后=母なる神イエスです。

   鏡の由来

 

神功皇后の魄(たましい)を鎮めた鏡を山に奉納してその山の名が「鏡山」となったとの事です。「たましいを鎮める」の表現に「変」を感じました。「たましいを入れる」が普通と思います。・・・・・・・・・八咫鏡とのつながりを考えました。母なる神天照様は御子に「わたしを見る如くに鏡をいつき祭れ」と伝えています。天照皇大神様=神功皇后様です。皇后様は八咫鏡の作り方を伝えたと閃きました。そして「鎮める」は神鏡の働きを伝えていると考えました。

2020年9月9日のブログで「台風10号の力は万世一系の天皇の神事により弱くなった」と伝えました。草薙剣と八咫鏡の形代を使っての神事です。台風は瞬間最大風速が80mとも予想されていた恐怖の暴風でしたが、神事により暴風の力は鎮まり、伊仙町は停電もなく過ぎました。「暴力」を鎮めた八咫鏡と草薙剣です。先のブログ記事の表現は「台風10号の力は・・・・・・・神事により鎮まった」と改めるべきと気付きを得ました。

さらに考えて八咫鏡は神功皇后様が創ったとの思いが出ました。鏡と草薙剣を持って初めて倭国の大王です。草薙剣は中東の型(シミター)ですから、倭国日本で造られたものではありません。紀元前660年頃世界最初の帝国であるアッシリアで造られたものと考えています。アッシリアーバビロンーペルシャー中国秦帝国と継承されて来た「帝国の剣」と考えています。ペルシャからダビデ王家が継承しています。そこに八咫鏡はありません。

鏡は弥生時代日本で多く造られています。香春(かわら)町の鏡山の北の方には「採銅所」との地名が地図に載っています。銅鏡が造られていた事を伝えていると思います。古事記に八咫鏡は「やすのかわらのかたいし」で造られたとあります。「かわら」は「香春(かわら)」かもです。「かたいし」は「銅」かもです。八咫鏡は神功皇后様のたましいが鎮められた「銅鏡」と思われます。日本は鏡の国、道徳的「鑑の国」です。邪行の国ではありません。ご理解ください、ジャコの諸君。

417の歌の前書きとして「河内王葬る・・・・。」とあります。この前書きは神の計画を隠すためのものです。河内王は大宰府の長官です。明治27年に偽装日本(朝鮮)政府は天武天皇の孫にあたる河内王の『御陵』としています。天武は朝鮮人です。その「生年」が広辞苑で明らかになっていません。日本文化における「御陵」の定義を知らなかった朝鮮人宮内庁がまちがって御陵としてしまいました。最近は御陵を『墓』に変えています。戦前は「万世一系の天皇」と言って国民を騙し、戦争に駆り出しました。最近は「万世一系」を全く口にしません。いかなる権威を持ち出して戦争をさせるのでしょう。朝鮮ニッポンには「防衛の戦争」も出来ません。

    蒙古襲来

神風が吹いて福岡ー九州が護られた時、先祖万世一系の天皇家は福岡に密かに入っていました。為朝の嫡流琉球舜天王4代目が密かに徳之島に入っていた事(1263年ごろ)は系図から分かりますが、その後の歴史、1500年頃までの先祖の歴史が不明でした。1524年生まれの先祖宮智親王(真の皇太子)と島津16代当主島津義久(1533年生まれ)の交流の歌が『与人ばれ系譜』の初めにあります。

蒙古襲来当時の先祖は草薙剣と八咫鏡をもっています。神事を密かに行って蒙古襲来から福岡を護っています。その神事を行た所は『鏡山大神社』と考えられます。そして先祖が隠れ住んでいたところは麓の「河内王の御陵」とされている所のように思われます。

 

明治以来の宮内庁が鏡山大神社の麓の丘を「河内王の御陵」としているのであって、地元では別の所(大君原)にある「河内王神社」でお祭りしているとの事です。読みにくくてすみません。つまり河内王の御陵は実は先祖の隠れ宮であったという事です。先祖は清和源氏の中では「河内源氏」と呼ばれています。河内源氏の嫡流が琉球舜天王です。「河内王」とは河内源氏ー舜天王の系譜と考える事ができます。したがって「河内御陵」ではなく「河内王宮」という事になります。鏡山大神社は「鏡山大神宮」です。これで417の王(神)が歌った「鏡山を宮と定る」の意がはっきりします。

香春町の右隣は「みやこ町」です。また京都(みやこ)郡があります。「みやこ」の由来は天子、隠れ天子にあります。兄弟がQさんから聞いた話で「みやこ」は「美夜古」と書くとの事です。「美夜古王」と「王」を補って考えてください。「美しい王」「夜の王」「古い(万世一系)の王」となります。先祖が隠れ住んでいた事を伝える「美夜古(みやこ)」です。隠れ天子に昼は統治できません。福岡九州の夜を統治していた先祖です。

『福岡』は聖地です。詳細は別途にしますが、福岡は彌勒世に『神都』になります。神が「宮」と定めた所がありますから。政治の中心は『滋賀』と伝えてあります。よろしく朋友。

   献金

多く集まって来ています。万世一系の天皇が統治する神国日本は世界の鑑となります。隣の日本人に真の日本の希望を伝えて献金をすすめてください。日本の防衛は憲法違反の自衛隊には無理です。その事を伝えたのが20日の夜の事故?です。日本の防衛を真剣に考える時です。

万世一系の天皇