昨今、親日韓国人朝鮮人は発言できないような風潮のようです。
だから日本に来て、私に文句を垂れる。

面白いのは、韓国人朝鮮人はなぜか、「民族」という括りで物事を話しますね。
日本「民族」が朝鮮「民族」に悪いことをしたのだから、日本「民族」は謝罪すべき、と。
この論理でいけば、千年後に生まれても日本「民族」である限り、謝罪を要求できるわけです。
便利な理論ですが、日本「民族」に言わせれば迷惑この上ない。

ドイツ「民族」は上手で、ドイツ民族の中に「悪いことをしたナチ」と「ナチに洗脳された被害
者のドイツ民族」がいると色分けしています。
ですから、「被害者のドイツ民族は、戦争加担の反省はする」けれど、「戦争を知らない無実で
潔白な戦争責任のないドイツ民族」は謝罪しません。
生まれてもいない時代の戦争責任があるわけがない、と。
だから戦後ドイツのユダヤ(と呼ばれる方々)への謝罪は、「ナチが起こした犯罪」に対してで
あり、「ドイツ民族」が永遠に償うものではないわけです。

ところが戦後日本は、戦争責任を曖昧にしてしまいました。
進駐軍の占領方針もそうでしたし、日本でナチに相当する戦争責任のあるはずの者の多くが上手
に逃げました。
進駐軍に協力することで。
彼らほど酷いことをしていなかった(一生懸命に自分の職務だと思い遂行していた)不器用な方
がB級やらC級やらといわれる戦争責任をおっ被され、処罰されました。
まあ、中には処罰相当な連中もいたようですが。

昭和天皇は「利用された被害者」の一人です。
戦後上手に逃げた連中にいいように使われました。
水戸黄門の印籠のような権威付けの象徴にされ、負けると「天皇の戦争責任」とか言って、自分
たちの罪を天皇陛下におっ被せようと頑張っています。
ボンボンの若社長を重役が取り巻き、会社を食い物にしていたのと同じです。
情報を一方的なものとし、本当の世界状況がわからないようにしておいて、会社が倒産すると、
「若社長の責任だ」と騒ぎ、本当の倒産の原因である重役たちは、会社の財産を私物化して逃げ
た、ということですね。
もちろん、若社長にも道義的なことを含めて言えば「責任」はありますけれど。

いずれにせよ。
いくら謝罪しても韓国人朝鮮人は日本「民族」を許すことはありません。
それを前提として、彼らの中にまだたくさんいる「冷静に物事を判断できる連中」と互いの未来
を築くべきでしょう。
若い連中は「トレンド」としてお洒落に「日本叩き」をしますが、そういう連中はやがて淘汰さ
れますのでご心配なく。

ちなみに、中国人は冷静な方が多い。
私の周辺だけかもしれませんが。
彼らの恨みと諦めは、中国共産党へ向けられたものですから。

安倍政権のわかりやすい舵取りが、これからどう進むでしょうか。
丁半賽の目は時の運、でもありますからね。